THE STONE WORLD


冷たい風が届かない





「名前、この部屋暑くねえか?帰って速攻で冷房つけたのに」
「あ、なんか少し前からエアコンの調子が悪いみたい。他の部屋は全部大丈夫だけど、リビングだけ」
「マジかよ」
テーブルに突っ伏しながら、広告をパタパタと仰ぎ続ける千空。私は空になった器を持って台所へ向かい、皿洗いを始めた。
「千空、眠いならもう寝たら?」
「・・・そーする。片付け助かるわ」
千空は気の抜けた返事をしてゆっくりと立ち上がる。歯磨きをするのだろう、洗面所に向かうのを見届けながら、スポンジに洗剤を垂らす。すると、千空はすぐに戻ってきた。
「これテメーのか?」
その人差し指に、可愛らしい色の髪ゴムがぶら下がっている。石神家に女性はいないから、おそらくというか確実にこれは私の私物だろう。あれ?どうしてこんなところに。
「前来た時に置いてったのかな。テーブルの上置いといて」
「はいよ」
千空は言われた通りに髪ゴムをテーブルに置くと、またすぐに洗面所に姿を消した。私、忘れっぽいからなあ。器の汚れをスポンジで擦って、泡と共に水道水で洗い流していく。
もし本当に同棲することになったら、料理やら家事やらは誰がやることになるのだろう。・・・まあ普通に考えたら私だよな。千空はきっとどこかの研究所に入り浸ってほとんど家に帰らないだろうし、そもそも私は住まわせてもらう立場なんだし。料理、少しずつでも練習しようかな。

「名前」
「うわあ!いつからいたの?」
「いや今だが」
いつの間にか千空が私の真後ろに立っていた。今度はなんの用だろう。ちょうど皿洗いを終えた私は、タオルで手を拭きながら千空を振り返る。
「これテメーのか?」
千空はさっきと同じことを言いながら、これまた可愛らしいポーチを差し出してきた。あ、それは昨日どこにも無いなあと思って自室で3分くらい探した私のポーチ。見つからないと思ったら、石神家にあったのか。髪ゴムに続けてポーチまで。まったく私は。
「んでこれ、俺のベッドの枕元にあった訳だが・・・何か言うことあるか?」
「・・・」
私はお口にチャックした。
「・・・そうか、だいたい分かった」
そう言って、千空はそのまま背を向けてどこかへ行こうとする。私は慌てて千空の服を掴んだ。
「まままままま待って!違うのこれは違うの!全然違う!千空が考えてること全部違う!」
「・・・何が違うんだ?」
案の定、千空はニヤニヤしながら振り返る。ああこれは何もかも分かっているやつだ。私がただ勢いで否定しているだけというのも、全て分かっているやつだ。
「思えば、冷房の件もそうだ。俺はあの時掃除だけ頼んだよな?ズボラなテメーがわざわざ面倒なことをする訳が無え。床に掃除機だけささっと掛けときゃそれで済む」
はい。おっしゃる通り、私は掃除機しか使っていません。雑巾がけとか手の込んだことはしていません。
「だったら。掃除機かけるだけなら、いちいち全部の部屋の冷房なんかつけねえよな?リビングだけならまだ分かる。だがテメーは他の部屋の冷房が全部、壊れていないことを知っていた」
はい。おっしゃる通りです。でももうやめて。千空探偵もうやめて。
「結構頻繁に来てたんだな?この家に、俺がいない間に。多分だが、掃除だけが目的じゃねえな」
「ち、違うもん・・・千空の勘違いだよ」
「この期に及んで何言ってやがる、洗面台と俺の部屋だけでもう証拠十分だ」
「そんなこと・・・!」
「他のところも、探せばまだ見つかるんじゃねえか?テメーがこの家に居座っていた痕跡が」
千空はポーチを私に押し付けた。それからとっても素敵な顔で愉快そうに嗤いながら、身を屈めて私に視線を合わせてくる。
「なんだ、テメー。もうとっくにこの家住み慣れてんじゃねえか。なら同棲するにも何も心配は要らねえな?」
ぐすん・・・ちょっと忘れ物しただけで、ここまで追い詰められるなんて・・・。
「・・・千空やだ。浮気したら絶対バレるじゃん。絶対できない」
「いやほとんどテメーの過失だろが。てかなんで浮気するつもり満々なんだよ。俺はそんな非合理的なことはしねえ」
千空は眉をひそめて呟いた。
「・・・ん?」
少し引っかかった。
「まだ言い訳するつもりか?懲りねえ奴だな」
「いや、違くて。千空、前まで恋愛自体非合理的って言ってたのに。人と付き合う前提で話をするの、珍しいね」
「・・・ああ、俺ちょっと考えたんだよ」
千空はソファーに座って手招きをした。な、なんだろう。そんな、折り入って話があるみたいな・・・おそるおそる近づいて、その隣に座る。
「これ、あの時にも言ったんだが、覚えてるか?俺が東大を選んだ理由」
突然なんの話を。
「まあ科学に目が眩んでしばらく日本を離れたが・・・お陰ではっきりしたな。正直言うと」
千空は私の手を持ち上げて、手の甲に軽く口付けた。

「俺はテメーの近くにいたい人間だ」

「これが恋愛感情云々だとか、そういうのは正直あんま関係ねえし、心底どうでもいい」
「とにかく俺はテメーの近くがいい。話す時も住む場所も、他の何をするにもな。だから合鍵だ」
「俺はわざわざテメーをほっぽって他の奴のところには行かねえ。したくないことはしない。したいことだけをする」
「合理的っつーか極々当たり前の判断だろ?伝わったか?」

「名前、魂抜けてんぞ」
何言ってるのこの男は。そんな、突然そんなことを言われたら魂だって抜けたくもなる。私は何も言うことができず、先程千空に触れられた手の甲をじっと見つめていた。なに、今の、ほとんど告白じゃないか。千空、長旅で疲れてるんじゃないの。夏の暑さにやられちゃったんじゃないの。
「あとな、こんなふうに」
私が無反応なのを意に介さず、千空はまだ続けようとする。それどころか、私の肩に手を回してあからさまに距離を縮めてきた。
「俺が思い立った時、いつでもテメーを抱き締められる。わざわざ家まで会いに行くくらいなら、一緒に住んだ方が早いだろ」
追い討ち。まるで犯人を追い詰めるかのような囁き声が、私の脳内を支配した。
「テメーも少しは合理的に考えろ。家族に確認取った時点で、もう答えは出てんだろ」

「・・・この部屋、暑いね」
「そうだな。冷房直さねえと」
そうじゃない。君の抱擁が熱いからだ。
「修理ってどのくらいかかるの?」
「そりゃあ破損具合による」
何にせよ、エアコンの修理が終わるまでこの暑さが続くのか。私は暑いのが苦手だから、とてもじゃないけど耐え切れない。・・・しょうがないなあ、近いうちに私の部屋から超優秀な扇風機を持って来てあげよう。
私はゆっくりと目を開けた。
「千空。私、朝弱いから・・・ちゃんと毎朝起こしてね」
「んなこと、言われるまでもねえ」


Fin.



冷たい風が届かない
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