THE STONE WORLD


05

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「美味い?」
「……ん」
「もっと食いな」

私が食べている様子をじっと眺めているだけのスタンリーに、口をもぐもぐと動かしながら首を傾げた。
ゼノさんの家を訪れた後、私たちはそこから5マイルほど離れたところの一軒家に住みついた。生活費やら何やらはぜーんぶスタンリーのお金だ。住み始めてからまた数ヶ月ほどが経ち、今に至る。スタンリーと出会ってからもう一年くらい経過しているのではないだろうか。

「……」
「どうした?」

今の彼は当時からは想像もつかないくらい柔らかい表情をしている。ずっと微笑んでるのは変わらないけど、でも以前のように恐怖を感じることはない。
スタンリーも食べればいいのに。この食事はスタンリーが作ったんだから。……でも今の彼の手元にはタバコと灰皿しかないから、今はそういう気分なのかもしれない。

「スタンリーは、どうして私に住む場所と食べ物をくれるの?」
「誰だって可愛い仔猫ちゃん見っけたら養いたくなんだろ?」

わたしはペットか。なるほど納得がいく。

「でも私……なんも返せない。お金とか持ってない。どうすればいい?」
「あんた猫に見返り要求すんの?俺はしないね。別に気にしねぇでもいいのに」
「でも」

世界のどこかには『猫の恩返し』とかいうタイトルのお話があった気がする。タイトル通りの内容なら、猫が恩返しをするのだろう。
昔私を家に住まわせたくれたあの人には、何一つ恩を返すことができなかった。その人を殺したスタンリーに恩返しがしたいと思うのは変な話かもしれないが、でも、今の私は何故か、ものすごく彼に何かをしてあげたいと思っている。尽くされてばかりなのは居心地が悪いから……だと思う。

「自分で金作りてぇんだったら、俺の仕事手伝わせてやろうか?」
「……それは殺しをするということ?」
「そうそう。あんた一回自分の彼氏殺ってんだし、もうあんま気になんねぇだろ?」
「……気にはなる」
「ナマエさ、この前ゼノんとこ連れてったの覚えてっか?ゼノ、あいつ女ばっかに構ってぜんぜん働かなくなっちまってさあ」
「いきなり何の話」

ゼノさん。愛想のいい笑顔でスタンリーよりは常人っぽく見えたけど、スタンリーのお友だちなら中身はそれなりにおかしいはずだ。ていうか……恋人が死体だった時点で充分おかしいよ。私も相当おかしくなっちゃったのかも。

「ちょっと前までデケェ会社いたってのに。今はせっせと仲良しこよししてっから、んなヒマねーとかで俺の収入頼みなんだよ」
「だから私の手が必要?」

猫の手も借りたい?

「必要ってか、そのがマシってだけ」
「……少しでもスタンリーに恩返しができるのなら、手伝う」
「おし決まり!」
「でも私、期待されるほどのことは出来ないと思う。そういう知識全然ないから……だから銃の握り方も知らなかったの」

あの時外に逃げもせずにスタンリーに反抗したのは今でも馬鹿だったなと思う。彼が銃に詳しいことを察せていたら、もう少しマシな対応ができたかもしれないのに。……かもしれないだけだ。きっとどんな行動を取っても私は逃げられなかっただろうな。

「特別なことはさせねぇよ。対象に話しかけるだけでいい」
「それで、どうするの?」
「だいたいの男は若い女に吊られるもんだ。気ぃ許して鼻の下伸ばしてる男なんざ、殺りやすいったらない」
「私をおとりにするの?」
「あ、でもナマエ普段は表情硬いから逆に怪しまれっかもな。笑う練習でもした方がいいな。猫撫で声とか出せねぇ?仔猫ちゃん」

いわゆるハニートラップってやつ?合理的というか短絡的というか。その顔面だと女はイチコロだろうけど、男は限度があるらしい。

「ねえ、スタンリー」
「なに?」
「……男が若い女に吊られるって言うのなら『あの日』のスタンリーも若い女に吊られて私をレイプしちゃったってこと?」

挑発したつもりはないけど、言ったあとで充分そんなニュアンスが含まれているなあと気づく。怒らせちゃったかな。しかし、スタンリーは笑って煙草を吐き出すだけ。

「あれはレイプに入んねぇだろ。だってあんた結構ノリ気だったじゃん」
「……そんなことない」

それに論点そこじゃない。この貞操観念くそ男が。何回か殺された方がいい。

「そんなことあんだろ。超〜気持ちよさそうだったぜ。あん時のあんたの声録音してっけど聞くか?」
「は?」
「ウソウソ」

タチの悪い嘘をつく。

「録音じゃなくて、ビデオ」
「は?」
「つーかそれじゃねぇ。ホテルの時のもあるし、結構な数残してんよ」
「……ごちそうさま」
「は?待てって、まだ九割残ってんじゃん」
「食べる気なくした」
「ひでーの。俺がせっかく丹精込めて作ったのに」

食器を放置したまま椅子からおりてリビングから出ていこうとする私に、スタンリーも立ち上がって追いかけてきた。後ろからお腹に手が回って引き止められ、振り払う間もなく斜め上から顔を覗き込んでくる。

「怖い顔。知ってんだろ?この家にもそこかしこに機械置いてんの」

それは、なんとなく勘づいてた。逃げるつもりなんてないけど、一応大事をとってスタンリーがいない時に家を探索したりしてる。ドアも窓も内側から開けられないし、凶器になるようなものもひとつもない。
そんなだから、監視カメラや盗聴器があることなんて簡単に予想できた。私を閉じ込めるための牢獄。でもホテル暮らしの時よりたくさん物があるし、住みやすいから嫌いじゃないと思ってたのに。

「……寝室にもカメラを?」
「ったりめーじゃん。気になんなら今夜一緒に鑑賞会でもすっか」
「一人でして」

その夜。
スタンリーが手に持っている端末から、思わず耳を塞ぎたくなるような音声が流れ出ていて何事かと思った。

「それ、なに」
「前に媚薬盛った時の。じゃ今日はこれに負けねーくらいいっぱい声出しな。シラフで」
「……」
「どーしてもっつーんなら、今日も飲ませてやってもいいけど」

明らかにそれをしている時の音声だ。断続的に聞こえてくるのはたしかに私の声だと分かるけど、私の声とは思えないくらい……いや思いたくないくらい、汚くて汚くて聞いてられなかった。まさかこれを聞きながらやるつもりなの?変態すぎてやだ。さりげなく耳を塞ぐ。
媚薬。あれを使われた時は辛くて正直記憶に残っていない。気持ちよかった憶えはあるけど、いつの間にか意識が飛んでいたから最後まで何が何だか分からなかった。

「あー逆に、俺だけ飲んでもいいね。でも、そんなことやったらハイになってあんた殺しちまうかもしんねぇ」
「……」
「ま、なるようになれだ」

スタンリーは勝手に話を進めて勝手に自分で媚薬を飲んだ。私の声よりスタンリーの声の方がでかかった。その日は死んだ。



彼には殺されそうになる経験があるのだろうか。無さそうだ。なので私が作ってあげようと思った。

上半身だけ自慢の肉体をさらけ出しながら、静かに目を閉じている殺人鬼。例えば今、首を絞めたり、喉を切ったり、心臓を撃ち抜いたりするだけで、この命は簡単に奪えてしまうだろう。そういうことを日常的に考えるようになったので、もう私の頭は手遅れだ。
実際、それに足る動機が私の中にはある。何度か本気で殺そうと思ったこともある。それを実行したことがないのは、成功する気がしないからというのが大前提ではあるけれど、なにより彼があまりにも無防備だから。私に気を許しているから、つい殺気が削がれてしまう。

スタンリーの寝顔を見たことがあるのは多分私だけじゃないけど、それにしてもここまで安らかに眠っているところを毎日のように見せてくれるのは、ひょっとしたらこの世界では私だけなんじゃないのか。天国には何人かいそうだけど。でも今のこの世には私だけ。そのことに対してちょっとした優越感を感じてしまうから……私はもうダメだ。彼に毒されている。
これは、いわゆるストックホルム症候群のようなものかもしれない。私も割と共犯だからそれに当てはまるかはよく分からないけど。彼のことだからそんなヘマ絶対にしないと思うが、もしもこの家に疑いがかかって警察がやってきたとしても、私はたぶん何も知らないフリをする。

だって、刑務所よりこの家の方が絶対居心地がいいから。

眠るスタンリーにまたがって、太い首に手を添えた。脈を感じる。殺人鬼でもちゃんと血が通っているんだな、と感心する。
しばらく喉仏を撫でていると、ぱちっと彼の目が開いた。ビックリして瞬きをすると、不思議そうな目で見つめられた。寝起きで少しかすれた声が耳に馴染む。

「なにやってんよ、仔猫ちゃん」
「……別に。特に意味は」
「そう?」

まだ眠そうな顔で引き寄せられて彼の上に寝そべった。素肌に耳を当てて心臓の音を聴いていると、まるで猫を可愛がるかのように後頭部を撫でてくる。
彼はそれに満足すると、私ごと起き上がって小さくリップ音を鳴らした。たばこが欲しいらしい。昨日枕元に置き忘れてしまったのかな。振り返ってそれを探そうとするが、すぐに彼の手によって顔の向きを戻された。

「ナマエ、ちげぇ」

彼と目が合ったのは唇を塞がれた後だった。
……スタンリーが求めていたのはたばこじゃなかったみたい。即座に頭を固定されて逃げ場を失くした。彼の口元を埋める匂いにはもう慣れたものだけど、その苦い味が広がっていく度に心のどこかで安心感を覚えてしまう自分に戸惑う。ほかの事を考えないと均衡を保てない。一番最初に見た冷徹な瞳はそれだけで私の心を凍らせてしまったのに。
今はこんなにも温かい。優しげに伏せられた目の奥に吸い込まれて、そのまま出て来れなくなりそうだ。

「スタンリーは、なんで私にキスするの」

私の唾液で濡れた唇を見つめながら、そんなことを尋ねてみた。どうせはぐらかされると思っていたから今まで口に出すことはなかったけど。今日はなんとなく答えてくれるような気がした。

「してぇから以外にあっかよ」

予想通りの答えだった。

「なんでしたいと思うの?」

また顔を近づけようとするから、すかさず問いかけてみる。その顔ならいくらでも候補はいるだろうに。実際に、前まではそういう関係の人が何人かいたみたいだし。でも今は何故か私だけ。どうして?

「だ〜から、前にも言ったじゃんよ。あんたとすんのが一番いいの」
「なんで?」

たしかに前にも聞いた。けれど、それはどうしてなの?しつこく尋ねて首を傾げると、スタンリーは一度瞬きしてから嫌悪感丸出しで目を細めた。

「んなこと、よく真顔で聞けんね……恥ずいんだが」

あなたに恥ずかしいとかいう概念があるのが驚きだ。恥ずかしいから答えないの?思春期の男の子みたい。

「ねぇ、どうして?教えて?」
「ん〜」

そのままキスを続行される。誤魔化された気分。しばらく付き合っていると、彼の手が脇腹に伸びてそこをむにむに揉み始めた。くすぐったい。

「とりあえず言いてぇのは。あんたのこの細ぇのにもっちりした体がさ、好き」
「ふーん」

私の体がすきなの?するりと滑り落ちる手。おしりや太ももを撫でられる。昔は殴られた時の傷がそこかしこにあったけど、今はもうスタンリーがつけたキスマーク以外は跡形もなく消えた。

「太んのはいいけど痩せんなよ。ただでさえ俺より貧弱なのに。ほんと、何食ったらこうなんの?」
「スタンリーが人を殺して稼いだお金で買ったお肉」
「それここ一年の話じゃん。気分いいけど。これからも美味いもんたくさん食えよ」
「ありがとう」

素直に出てきた感謝の言葉。
私の親戚を殺し、私をレイプし、恋人が死体の友人を持つ殺人鬼に対して、素直に出てきた感謝の言葉。真面目な顔をして伝えたら、面白くなったのか頭をガシガシとかき回された。

「ずっと思ってたけどさ、あんたってだいぶ頭イってるよな」
「スタンリーに言われたくない」

ていうか、私の頭はスタンリーに狂わされたと言っても過言じゃない。


「ナマエは?」
「……?」
「俺の好きなとこ」
「……」
「教えてよ。俺、教えたろ?」

私があなたに聞いたのは、どうしてキスをしたくなるのか、なのに。どうして私の好きなところを答えたの?……私だって子供じゃない、この意味はなんとなく理解できる。キスは、たぶんそういうものに対してすることだから。でもまさかこの殺人鬼にそんな感情が残っているとは思ってもみなかった。数ヶ月前までは。
実はずっと前から確信してた。この人、私のこと相当好きだ。

「ナマエ?答えたくねぇの?」

甘い顔をして首を傾げるスタンリー。彼はよく私のことを猫と呼ぶけど、そっちの方が充分猫っぽい。猫耳つけたいな。しっぽもつけたら可愛いかも。ぼんやりと頭の中でその様子を想像していると、ふてくされたように眉間にシワを寄せる大きな猫。

「……つまんね、あんたホントは俺のこと嫌いだろ」

拗ねた。

「嫌いじゃ、いや?」
「やだ」
「なんで?」
「だって、好きだかんな。ナマエのこと」

認めた。

「ふーん。だから、私に好かれたいの?」

彼の艶のある下唇を人差し指でふにふに押さえて、下から顔を見上げてみる。

「嫌われるだけじゃ済まないようなこと散々やってきたくせに、今更好きになって貰えると思うの?」
「……」
「随分と楽観的だね」

スタンリーはたちまち黙り込んでしまった。調子に乗りすぎた?怒っちゃった?
彼が何も言わないから、猫を可愛がるように顎の下を指の腹で撫でたら遂に反応してくれた。ゆっくりな動作で手首を掴むと、私の手をそのまま自分の頬に当てる。やけに大事そうに触れてくるから、何事かと思ったら。

彼の長い睫毛が揺らめいた。

「……悪かった。今まで、全部」

彼の声が弾丸のように脳天を貫いていった。あまりの緊急事態に頭の中が騒ぎを起こしている。ざわざわ。こ、この殺人鬼、ちゃんと謝れるんだ。しかも一度は殺そうとした人間に対して。少し煽っただけなのに、これでは初めて顔を合わせた時と立場がまるで逆転している。もはやあの時の彼とは別人なんじゃないのか?
いつまでも黙ったままでいると、いよいよ彼は不安そうな顔をして、さらには苦しそうな声で「許して」などとほざき始めた。私の体を一番強い力でぎゅうぎゅうに抱き締めて、肩にぐりぐり額を押し付けてくる。

「ああ、別に許してくれなくていい」
「……」
「でも今の俺はあんたをどうこうする気なんてないから」

初めて会った時、そう言われた後に乱暴されたんだけどなあ。

「それより、ずっと抱き締めてた方が安心すんよ。……こんな夢中なんの初めて。自分が自分じゃねぇみたい」

思春期の男の子みたいなこと言ってる。性欲おばけなのに、へんなの。顔を上げたら彼の頬がほんのり赤くなっていてびっくり仰天した。……そっか、スタンリーは私のことが相当好きなんじゃなくて、相当大好きなんだ。へぇ、いいこと聞いた。

「ねぇ、ナマエ。どうしたら俺のこと好きになってくれる?それとも……もう、どうにもならない?」
「……って言ったらどうする?」
「ショック過ぎて殺すかも」
「……」

今度は殺人鬼みたいなこと言って。

「でも殺したあと後悔すんじゃねぇのかな、俺。今まで後悔なんて一度もしたことないけどさ、あんただけは別だ」

特別扱い。スタンリーのその態度は十分過ぎるくらい感じ取っていた。私のためだけにこんな豪勢な家を用意して、毎食美味しいご飯を作って、そのためのお金を稼いで来てくれる。これじゃペットの保護にしては待遇が厚すぎる。私は変な男の人に好かれる体質なのだろうか?まだ二人目だからなんと言えないけど……まあそれはともかく。
彼の言う『好き』がどういう種類のものなのかはあまり重要ではない気がする。

「何個かあるよ」
「……なにが?」
「スタンリーの好きなとこ、無いわけじゃない」
「!」

大きな猫の見えないしっぽが立った。

「……どこよ?全部教えて」

救いを求めるような目で見つめられている。そんなに切羽詰まってたの?殺人鬼にも可愛いところがあるんだなあ。へんなの。
なんて答えよう。めんどくさいから全部って答えたいところだけど、全部って答えるのはさすがにな。でも安直に外見を褒めるのもシラケそう。言われ慣れてるだろうから。

「……まず、いつもきもちよくしてくれるところ」
「ふはっ!」
笑った。
「一番にそれ来んの、あんたってマジで正直だね。もしや足りねぇんじゃねーの?もっとヨクしてほしい?」
「……」
「あはっ、かわい」

無言でそっぽを向くと、愉しげに笑う声。急に元気になった。元気になったのなら良いけど。なんで寝起きでそんなにテンションが高いんだろう。もしかして最初から寝てなかった?
こんなことで機嫌を取り戻してくれたスタンリーは、とても嬉しそうに私を抱き締めてまた好き放題キスをし始めた。それにしても物好きな人。私のどこがいいんだか。あ、体が好きなんだっけ。へんなの。

「いいよ、俺が天国連れてってやんよ」

大きな両手で顔を挟まれて、長い睫毛に見つめられた。あなたはもちろんのこと、私だってもうそこには行けないと思うけど。

「……だから、ずっと一緒いて」

でも、連れてってもらえるのなら喜んで。



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