THE STONE WORLD


02

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ゼノの素手を見たのは五日ぶりだ。

ずっと前から何度も同じような時間を過ごしたはずなのに、どうして今になってこんなにも緊張してしまうのだろう。なんて、理由は明確だ。久々に彼と触れ合えることが柄にもなく嬉しいだけ。ただ、そんな自分を素直に認めたくない面倒な私が胸の中に居座っているから、そのもどかしさでいたたまれない気持ちになってくる。

「待たせたね」

絶妙な心の浮遊感を押さえつけるように胸に手を当てた。部屋に入ってくるなり、コートを脱ぎながら私の背後を通り過ぎるゼノには気づかれないように。

「ナマエ、最近はどうだい?何か変わったことは?」
「べつに、何も」

彼はいつもと同じ様子で、当たり障りのないことを口にした。まるでしばらく振りに再会した時のような、あるいは遠く離れた地で電話している時のようなセリフ。
私はテーブルに置き去りにされていたグラスに口に付けた。しばらく放置していたせいでとっくに室温に戻された生ぬるい水を一気に飲み干し、喉を潤していく。彼の前では、頭の中の言葉を声に出すだけの行為に随分と時間がかかる。

「ゼノに報告するようなことは特に何も」
「仕事の話じゃあなく、僕は君の話を聞いているんだ」
「そんなこと言っても、毎日同じようなことしか……食事の支度とか、掃除とか、洗濯とか。それが私の仕事だから」

以前はお互いの仕事の形態が異なっていたからあまり現実的ではなかったけど、もしゼノと一緒に住むことになったら率先して私が生活を支えてあげたいなあ、とか一人で将来を思い浮かべてみたり。当時思っていたのとはかなり違うけど、この数千年越しの共同生活で私は密かに夢を叶えていることになる。
私が洗濯した服をゼノが着ているとなんだか嬉しい。私が作った食事をゼノが食べていると、やっぱり嬉しい。もちろんルーナにも手伝ってもらってはいるけど、実はゼノのだけはいつも私が欲張って担当している。でも本人には絶対に教えてあげない。変なこだわりがあるから、それを隠すためにこんな事務的な返答になる。

「そんなことは良いんだ、僕は君の周りで起きた些細なことを知りたいだけ」
「そんなの、いつも一緒にいてくれたら聞くまでもないのにね」
「ナマエ、さては君……まだ僕を許してくれていないだろう」

肩に手を置かれた。顔を微妙に横に向けて申し訳程度に反応を示すと、そのままぐいと体の向きを変えられた。手の中のグラスを奪われた瞬間、眼前に彼の薄ら弧を引く口元が見えた。

「ん、」

彼と目が合ったのは唇を塞がれた後だった。ゼノが私の背後のテーブルにグラスを置いてすぐ、あっという間に上半身を抱きすくめられて、その細い胴体を押し付けるようにしながら貪るようなキスをする。容赦なくこちらに寄りかかってくるから、テーブルにお尻が乗り上がりそうになりながら必死に縋り付くと、そんな私の反応をじっくり見物するような黒い瞳がゆらりと揺れていた。
しばらくして離れていくと、舌を突き出しながら悪戯っ子のように微笑む彼。幼く見えるのに大人びている、この矛盾に目が眩む。

「ん、……ふふ、不機嫌な割には随分と積極的じゃあないか」
「……こっちのセリフ」
「足りないだろう、ほらおいで」

そう言いながら、ゼノはすぐに自分から顔を近づけて同じ行為を繰り返した。顔の向きを変えながら、何度も何度も。
既に密着しているのをさらに近づけようと腰をぐいと抱き寄せられる度に、テーブルのグラスがカタカタと音を立てて熱い空気に水を差す。が、そんな小さな音は舌が作り出すいやらしい水音に掻き消されてすぐに存在感を消した。

「……そんなに心地いいかい?」

はぁ、と吐息混じりに問いかけられた。彼の五日振りの素手が私の首元と片手首にそれぞれ添えられている。彼が言わんとしていることは分かる。でもそれ以上に、私の荒い呼吸と熱を持った顔色の方が分かりやすい変化のはずなのに、それをあえて指摘してこないところが彼の意地の悪さを際立てている。
心拍数どころか心の内まで見透かしていそうだ。そんな目をしている。

「単純だね、君は」
「うるさい」
「ふふ、君が機嫌を悪くするのも、はたまた機嫌を取り戻すのも、全て僕次第だと考えると優越感に浸れて最高の気分だよ」
「そういうことは口に出さない方がいい」
「口に出してこその意思表明じゃあないか」

これまでとは打って変わって、私の体を丁重に扱いながら触れるだけのキスを一つ。

「僕がこんなにも君に惑されているということを、知っておいて欲しいんだよ」

惑わされている?それはこっちのセリフだ。ゼノの悪意しかない言葉がいつも私を右に左に揺さぶってくる。彼の好きなように振り回されたくないのに、それなのに心だけは彼の捕縛から逃れることが出来なくて。
一旦離れようと外した手を、ゼノは逃がさないと言わんばかりに優しく掴み取った。そのまま彼の背中に運ばれてしまう私の手。そうこうしている間にもまた唇を塞がれるし。口内をかき乱されながら、こんなことならさっさと服を脱がせてベッドに私を放り込んでしまえばいいのに、なんて早くも諦めの体勢に入る私。

なんでこんなにも意地悪な人を好きになってしまったんだろう。

「……ああ、違うよナマエ。残念ながらその疑問は的外れだ」
「なんも言ってないのに」
「君だからだよ。人は誰しも天使や悪魔を心の中で飼っているものだろう?僕の中の悪魔は、どうやら君の不満顔が大好物らしい」
「……そんなの知らない。もう私ゼノ嫌い」
「僕はそんな君を愛している」

歪な愛。

「僕がこんなにも平静を保てなくなるのは、君の前でだけだ」

妖艶に微笑む彼の目は、今すぐにでも私を喰らい尽くしてやりたいと言わんばかりに細められていた。彼の中の意地悪な悪魔が舌なめずりをしているのが分かる。

「ナマエ」

耳元で囁く彼の声に、分かりやすくぶるりと震えた。だからそんなことわざわざ聞かなくてもいいのに。
返事をするのは癪だった。代わりに目の前で揺れるネクタイの結び目を鷲掴み、解いた。



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