THE STONE WORLD


分厚いマスク

+++


優しくしなきゃいいんだろ?俺はクソ野郎なので、パッと思いついたことをすぐに実行に移した。

「ナマエ、こっち見な」

立ち上がって彼女の手を掴み取った。驚いて上を向いた頭を押さえつけ、断りもなく覆い被さる。長い長いキスをした。当然抵抗された。だがいくら強い力で殴られても、気にせず続行した。

「っ、……、……?」

俺は今、彼女の命令を聞いているだけ。嘘。俺がしたくなったからしてる。こんなに長い間触れ合うのは初めてだ。
視線の先の両目が、再びたくさんの涙であふれてこぼれていく。……自分でも何がしたいのか分かんねぇんだよな、これ。彼女泣いてんじゃん。好きな子泣かせて何がしたいのかね。ああ、本当に嫌われちまうかも。でも優しくすんなって言われたし。

こんなに苦いキスは初めてだ。
今、たばこ無いのに。

俺の体を押しのけようとする手の力が抜けた頃、ゆっくりと口を離せば、俺の頬に向かって振りかざされる手の平。何をしようとしているのか予想はできたが、避けようとはしなかった。けれど、ためらったのか、それともそんな気力がなかったのか……その手はそのまま下に落ちた。それを目で追ったあと、何食わぬ顔で話を続けた。

「他には?」
「……あ、あ、……なに……、?」
「だから、ほら。一個聞いたから、次。俺に何してほしいか教えろよ」
「なに、わ、わかんないん、だけど……なにしてんの……?なに、考えてんの……?」

何考えてんのかは自分でも分からない。

「ああ、ちなみに『優しくしない』は今のキスで無効だから。もしこの俺が気に入ったんなら気が済むまで何度でもオーダーしな」
「なに言ってんの……?」

ホントだよな、何言ってるんだ俺の口。でも俺があんたに向ける言葉は全部嘘じゃない。それだけは分かっておいて欲しいね。

「こ、こっち見ないで」
「分かった」
「離れて……あっち行って」
「おー」

命令通り、彼女を視界から外して椅子に戻った。それからテーブルに肘をついて、窓の外の月を眺める。ぼんやりと時間の経過に気がついた。すっかり夜が更けている。もうあのゼノも寝ている頃だろうか。

「……ねぇ」

大人しく言うことを聞く俺に驚いたのか、しばらくしてから尋ねられた。涙は少し落ち着いたらしい。

「……本当になんでも聞いてくれるの?」
「そう言ってんじゃん」

返事をしながら、片方の手が無意識のうちに俺の黒い服を撫でていた。これ、早く着てみたい。思っていたより頑丈そうだ。ちゃんと俺の要望通り、上から下まで開け閉めできるファスナーつき。
そうやって観察していたら、彼女の口から飛び出てきたのは相変わらず突飛な言葉。

「なら私のことは嫌いになって」

あー、そういうの言うと思った。

「悪いけどそれだけは聞かねぇかんな。なんでも聞くとは言ったが、なんでも聞き入れるとは言ってねぇ」
「屁理屈」
「なんとでも言え」
「ばか、スタンのばーか」
「……ん?ふふ、どうしたよ、さっきまでの威勢はどこいった?」
「うるさい黙って」
「……」

沈黙。

「……ねぇ、何か言ってよ」
「なんだそれ。可愛いやつ」
「もううるさい。つかれた。……何も考えたくない」
「そう?じゃあ命じてくれれば何も考えられなくしてやんよ」
「…………あー、うん」

「めちゃくちゃにして」

自暴自棄になっている。

「いや、それで手ぇ出すほど人間捨ててねぇつもり。キスまでなら今すぐにでも」
「なに怖気付いてるの。女々しいのは顔だけにしといた方がいいんじゃない」
「あー待て、エッグいな……!あんたまだそんな鋭いの隠し持ってたのかよ!」
「そりゃあこんな時のためにずっと温めてきた言葉だから」

彼女の刺々しさが増していく。顔をいじられたのなんかいつぶりだ?今でも割と気にしているのに、……だからこそ今のタイミングを選んだのか。なかなか侮れない。

「あなた、相当変わってると思う」
「……そう?どこが?」
「普通だったらすぐに別の子のところに行くでしょう」
「だってナマエのこと好きだから」

やっぱり耳を塞がれた。見ていなくても気配で分かる。

「忘れた頃に言わないで」
「何度でも言ってやんよ」
「こんな私に執着してなにが楽しいの?」
「好きなやつのこと自分のもんにしたいって思うの当たり前じゃん」
「だから、私のどこがいいのって聞いてる」

思わぬ問いかけに背筋を伸ばした。組んでる足を左右で入れ替えて、すぐニヤける顔を手で隠す。それ聞いちゃう?恥ずいんだが。

「えー、どこだろ。よく分かんねぇ」

俺も立派に照れ隠ししてる。

「分かんねぇけど、あんたのこと見るとすぐ抱きしめたくなんだよね。キスしたくもなっちまうし、とりあえず見た目が好き」
「体目当て?最低」
「おーい。あんたこそ、まず俺の外見だったろ。見た目が好きはただの一部分に決まってんじゃん」

思わず彼女に顔を向けたら、いつもと同じ、ツンとした表情で俺を睨む彼女がいた。え、可愛い。惚れた。俺はもしや面食いなのかもしれない。何も言われないから、そのまま彼女のことを見つめ返したらすぐに目を逸らされた。これもまた照れ隠し。

「いい加減嫌いになって」
「嫌だ」
「なんで、なんで嫌なの」
「嫌だから」
「なんで?私がどれだけあなたを傷つけて来たと思ってるの」
「そりゃ……たくさんだ」
「普通すぐに嫌いになるでしょ。私に言われるまでもなく」
「嫌いになんなかったんだよ、それが」
「頭おかしい」
「自分でも思ってんよ」
「……意味わかんない」

ダメだな。いつまで経っても心を開いてくれない。さっき本心を見せてくれたのに、いつまで経っても攻撃的な態度でいるのは、言葉の通り俺に嫌われようとしているからだ。
またそうやって自分の気持ちを紛らわせようとする。それはむしろ自分を傷つけるだけなんじゃねぇの?

「そんなに嫌われてぇんだったら、一日くらい嫌われてみる?」

苦渋の提案。自分で言っておきながら、一日と持たないかもしれない。一日俺に嫌われてみれば、それがどういうことなのか実感できるはずだ。

「……どういうこと?」
「あー話しかけんな。今の俺もうお前のこと嫌いだから」
「……」

不安そうな顔をされた。そればかりかさっきの続きの涙がまたこぼれようとするから、その表情がまた俺の心を抉っていく。
なにその顔。あんたが言い出したんじゃねぇか。なんだこれ、キツ。ああもう、さっきから何言ってんだ俺の口!しつけぇよいい加減にしろ、縫い付けてやろうか?いや待て、その前に言うことがある。

「悪い、嘘だ、今の嘘」

十秒と持たなかった。

「命令されても無理。ナマエのこと嫌いとかありえねぇ」

一回だけでこんなに苦しいのに。彼女はそれを何度も何度も。

「あんた相当苦しいだろ」
「……苦しくなんかない」
「苦しいだろ。自虐すんな、そうやってまた自分のこと苦しめてんだ」
「……」

「苦しいのは私じゃなくて、スタン」

そんな顔してる奴が苦しくないわけないんだよ。
そういうことには詳しくない俺でも、ある程度なら予測できる。彼女はおそらく意図せず棘を振り撒いている。狙ってやっているんじゃなくて、無意識のうちに攻撃的な言葉が出るのだ。
自意識過剰と言われてしまえば自信を無くすが、俺はさっきのあれが到底嘘だとは思えない。彼女は俺を好きらしい。そのあと続けて彼女自身がこう言った。思ってもないことが口から出るのは照れ隠しだ、と彼女自身が言っていた。

本当はそんなこと言いたくないはずだろ。その表情を見ればよく分かる。でも出てきちまうのは、もう自分で自分の制御が利かないからだ。
そういうの、とてもよく分かる。俺も目障りなやつに無意識のうちに真ん中の指立ててることあるから。それと同じだ。例えが微妙とか言うな。

「俺はあんたに惚れてんだから、どんなに酷いこと言われたってよ、傷つくのは傷つくけどそれで別にいんだよ」
「絶対におかしい。なんでそんなこと言えるの……?もういいから優しくしないで」
「オーケー」

あの時のことを再現するように、彼女を立たせて壁際に追いやった。本当に俺に嫌われることを望んでいるんだったら、まずあんたが俺のことを嫌いになってみろ。

「ち、ちがう、今のはっ、…………」

分かりやすくうろたえる彼女。今度は軽く触れるだけにした。たぶんそれだけで効果があるから。でもあともう一回、額にも軽く口付けた。あの時と同じ場所だ。

これで呪いが解けたらいいけど。

そう簡単にはいかねぇよな。ゼノに言われたよ、"You can't break it."って。俺にはその呪いは解けない。どうにかするのは彼女自身だ。俺は見守っているだけ。

さっきのを思い出したのか、彼女の両目からまた涙が流れ出した。ああ、そうだ、やっぱり呪いなんてわざわざ無理して解こうとしなくていい。辛い思いをしてまで人格を変えることはない。とにかく伝えたいことを口にした。

「ナマエ、俺は何言われても何されても嫌いになんかなんねぇよ、だからあんたはあんたのままでいい」

そのままでいいから。変わらなくていい。心の中で俺のことをちょっと好きでいてくれたら、それ以上は何も望まない。本心だ。求めすぎたのがいけなかった。この前はそれでコケたけど、今日は前進できた気がする。
嫌がらないから、なるべく優しい手つきを心がけて頭を撫でた。

その瞬間、ドアが開いた。



分厚いマスク
backnext
[ toplist ]