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「なあゼノ、やっぱり俺抜けてもいいか?」
彼女はいつまでも口を開かなかった。そうだよな、一回スイッチ入ったら何故か永遠に喋れなくなるよな。それこそバールでこじ開けでもしない限り。でも大切な彼女の唇にそんな乱暴なことをするわけにはいかない。
何をしても動かない彼女に対してゼノが珍しく困っているから、その顔を眺めているのもいいけど……なにより空気が死んでいるからそろそろ辛くなってきた。
「だいぶ限界だ。このままじゃ俺はこの場で大号泣をしでかす」
「そこまでか。やはり何かあったんだろう」
「……何かあったように思うか?」
「昨日は僕が説得したおかげでゆっくり睡眠を取ってくれたはずなのに、何故だかさらに深刻な顔になっているから」
彼女の本心が知れて嬉しいはずなのに、疲れの方が優先して顔に出てしまうのだろう。眠たいはずが、眠れる気がしない。けどま、たぶん床についたら一瞬で眠れる。それくらい精神がすさんでいる。
「ゼノ、やっぱ俺出てく。話はまた明日でもいいだろ?」
「スタン」
「彼女の本心は聞けたし、俺も伝えたいことは伝えられたからもういいんだよ。あとはナマエがどうすっか決めるだけ」
テーブルに置いていた俺の服を手に取って、ドアへ向かった。
「悪かった。今の俺にはそれ以外に言うことねぇよ。……ゼノ、だからあとは任せた。冷静になってくる」
割と本気で泣きたいの我慢してる。今日の棘は一段とデカくて数が多かったから。心臓がキリキリ痛くて心の中では普通に泣いてる。だからちょっと外で泣いてくる。
しばらくは距離置かなきゃだ。やっぱりゼノが現れてくれてよかった。一度彼女の方を振り返ってから外に出た。
「待て、スタン」
その声に立ち止まることはできなかった。
「待てと言っている」
こういうところでも彼女の気持ちを理解してしまう。うわ、俺はこんな放っとかれてぇ時にまで彼女のことをつけ回していたのか。俺きもちわる。
「スタン、戻れ!ナマエが何か言いたいことがあるらしい」
速攻で踵を返した。
俺に言いたいこと?彼女の言葉なら俺はなんでも聞きたい。さすがに距離は考えて、声が聞こえる程度のところで立ち止まる。
が、俺が戻ってきたとたん、彼女はまた動かなくなった。
「ナマエ?どうして黙ったまま……言いにくいことかい?」
「たぶん俺がいんのがダメだ。あんたと二人のが心開けんじゃねぇかと思う」
「でもナマエは君に話があるらしい」
それはとても嬉しいことだが。
「俺が言うと自意識過剰みてぇになるけど、俺に対してあることないこと口走っちまうから口がきけねーんだよ、たぶん」
「何故?」
「それ聞く?察しろよ」
「……」
「あんただって好きなやつには意地悪したくなんだろ!」
「いや、ならないが」
「デリカシー!!!」
もう少し彼女の気持ちを考えろ!俺も人のこと言えねぇが!
「あることないことを言われたのかい?」
「たいしたことじゃねぇよ」
「もしかして、僕が君に対して感じていた焦燥感の正体はこれか?話してくれ、君は何か重大なことを隠しているだろう」
「重大って、大げさ」
ゼノの視線がひしひしと伝わってくる。そんなに気になるかよ俺の恋バナ。……隠し通せる気がしない。確かに俺は庇っている。彼女のことを。でもそれはわざわざゼノに話す必要がないことだからだ。
でも気になるんなら、教えてやらねぇことはない。惚気みたいで恥ずいけど。クイ、と人差し指で手招きすると、ゼノは彼女の頭に手を置いてから俺のところまでやってきた。
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「今日一番エグかったのは、俺のマジメ告白を不快って言われたことか?」
ゼノに凝視された。この反応だと、彼女からも何も聞いていないらしい。俺もあいつの棘のことは何一つ話したことがない。
小屋の外壁に寄りかかる俺と、窓から中の彼女に視線を送るゼノ。ここからなら俺らの会話は聞こえないはずだ。ゼノはその顔のまま俺に視線を移した。
「何故不快だと?」
「ケンカ中だったかんな」
「いや、だとしても、そこまで言わなくてもいいじゃないか」
「それはこっちのセリフだ。まあでも出てきちまったもんは仕方がないんだろ」
「仕方がないって、だいたいナマエからそんな言葉が出てくるわけがないだろう」
「出てきたんだよな、それが」
「だってナマエは」
ゼノはそこで一旦言葉を止めた。なんだよ、もったいぶらずに教えろよ。
「君に好意を寄せているんだ。この際言ってしまうが、よく僕は彼女がとても楽しそうに君の話をするのを聞かされているんだよ」
知ってる知ってる。彼女の気持ちは。でもゼノとそういう話をしてるってのは知らなかった。なにそれ?とても楽しそうにあんたと話してんの?俺の前じゃ滅多に笑わないあいつが?
その言葉に湧き上がってくる感情は、醜いものではなかった。単純に。
「嬉しいね。俺の話してくれてんだ」
「何故彼女はそんなことを言う。君のことが好きなんだろう」
「女心分かってねーな。まあ俺もついさっきまで分かってなかったけどさ。照れ隠しに決まってんじゃん。本人もそう言ってた」
「嘘だということか。だが、嘘でも言って良いことと悪いことがある」
「俺は気にしねぇけど」
「何故?」
「だって照れ隠しだぜ、可愛いじゃん。てかなに?あんた俺の味方してくれてんの?」
「味方というか、感じたことを言っているだけだ。それだけじゃあないんだろう?」
それだけじゃない?
「ケンカになると感情は昂るものだ。多少攻撃的な言葉を口走るのは、ある程度は仕方がないとはいえ」
「ああ、仕方がないよな」
「不快、か。彼女らしくない言葉だ。とても彼女の口から出てくる言葉とは……いや、君の発言を疑っているわけじゃあないんだが」
「あいつがゼノに暴言吐くわけねぇじゃん。ていうかこんなの日常茶飯事だけどな」
「日常茶飯事?」
「ケンカに限らず」
「正気じゃない」
いきなり暴言を吐かれた。
「え、わりい」
「ああ正気じゃないという言い方は適切ではない……常軌を逸している」
「わりって」
「違う、君じゃなくて」
そう言うなり、ゼノは小屋の中に戻って彼女のもとに駆け寄った。……何事だ?俺もあとに続くと、あろうことか問い詰めるように話し出すゼノ。
「ナマエ。君はスタンに対していつもそんなことを言っていたのか?本当に?とても信じられない、いつから?」
「おいゼーノー、何言ってんだいきなり。追い込んでどうする、そんなこと言わすために話したんじゃねぇよ」
「…………素直になれないというのがここまでとは、僕の予想の範囲外だ。信じられないというのはそのことだよ」
ゼノにも分からないことがあったのか。
なんか勝った。
「ナマエ、君はいつも僕には普通に接してくれているだろう?」
「……」
「そうだ、だからこそ気づいてやれなかったんだ。君が、大好きなはずのスタンに対してそこまで大きな確執を抱えていたなんて」
「……おい、ゼノ」
「君の愛するスタンに、そこまでの言葉を使わざるを得ない心理状態にあったのなら、君は相当苦しんでいるはずだ」
「ゼノ、恥ずい」
「すまなかった。君からの相談をないがしろにしていた僕にも非がある。スタン、君に対してもだ」
ゼノが謝ることねぇのに。俺が進んでゼノにこのことを話さないようにしていただけだ。まあ、そのせいでここまで大きな諍いが起きてしまったのは、否定のしようがない。
「……やはり、もう少し落ち着くための時間が必要だね。その前に……」
ようやく話を終わらせるつもりらしいが、その前に、ゼノは再びナマエに語りかけた。
「ナマエ、さっきはスタンに何を言おうとしたんだい?それはおそらく『今』、伝えたいことなんだろう?」
ここで、ようやく彼女が動きを見せた。
小さく頷いたのだ。
「ありがとう、返事をしてくれて。君が伝えやすい手段でいいから教えてほしい。ああ紙とペンならここに」
「……」
「……ナマエ?」
「……」
返事の代わりに地面に滑り落ちる人差し指。それはゆっくりと音を鳴らした。
トントントン。仕事柄アルファベットが瞬時に頭の中に浮かんでくる。こいつ、モールスなんて覚えてたっけ。そういえば、何かと便利だからゼノに覚えさせられたんだっけか。ぎこちない動作が愛くるしい。
小さな音で綴られた一単語。
"SORRY"
もしかして今までのこと謝ってる?
そんなん秒で許すに決まってんじゃん。
可愛いやつ。