誰かが、呼んでいる。
『−−−−−』
目を覚ませと、呼んでいる。
『−−−−−−』
目をそらすなと、呼んでいる。
「…わかってるよ」
これが私のシゴトだ。
名古屋駅、とあるプラットフォーム。そこに集結している人間達を、ただ無感情に見つめる。中心で声を張り上げている老人は確か、鈴木次郎吉と言ったか。ならば周りの男達はSP、鉄道警察隊、いや違う、県警の人間だ。既にそれだけの「何か」が起きてしまった後というわけか。…けれど、まだだ。これでは無い。まだ、何かが起こる。
ポーーーッ
伸びる線路のその先から突如響いてきた時代錯誤な汽笛に、思わず振り向いた。視界の先、映り込んだ黒い車体に、小さく声が漏れる。白煙を上げ近づいてくるそれは、かつて妖界で友と見た、
「蒸気機関車…」
しかしあれとは構造が違う。そしてなぜこの時代にこの路線を走っている。幻影を振り払い、視覚と聴覚と知識を総動員し情報を集める。だが直ぐに視界が白く点滅しだした。残念、どうやらもうお開きの時間らしい。
車両がゆっくりとホームに滑り込む。見えないはずなのに、出入り口に警官達が群がる様子を視認する。ああ、警察ともあろう者が。
「駄目じゃないか。黄色い線の内側まで、下がらなきゃ」
最後に視えた光景は、爆発するホームと蒸気機関車だった。
目を開ければ、今度は程よく暗い自室が見えた。枕元で充電していたスマートフォンを点けると、まだ朝の4時過ぎ。はて昨日は何時に就寝しただろうかと考えるも、直ぐに諦めた。何時もなら二度寝と決め込むが、シゴトができてしまった。起きるしかない。
シャワーを浴びて、ブラウスと黒のパンツスーツを取り出す。温まった所為か再び閉じようとする瞼と懸命に闘いながら身支度を済ませ、仕事用のショルダーバッグを引っ掴んで靴を履いた。行ってきます、なんて言葉は久しく使っていない。玄関に鍵が掛かっているのを確認し、目的地を思い描く。パンッと一つ手を叩けば、次の瞬間、そこはもう仕事場だった。
−霊力とは即ち全ての人間に生まれつき備わっているものであり、妖力とは即ち天賦の才である。
何故突然こんな話をしたかと言えば、「ドアのない部屋」に辿り着くには2つの方法があるからだ。部屋の中央を突っ切る霊道に霊力で接続してワームホール的に使うか、己の妖力で転送系の怪談術式を発動するか。電車で家から職場の最寄駅まで行くイメージと、タクシーで家から職場まで直で行くイメージで結構だ。だから、霊力持ちが入室するときはまだいい。霊道を歩いてくる為、同属の気配というか、「あ、そろそろ来るな」というのがわかる。しかし妖力持ちはそうはいかない。そのチカラで、どんな場所だろうと、何の前触れもなく、突然現れる。例えば
「ぅおっほぉいっっ?!」
職場に漫画を持ち込んで片手間に読んでる奴の目の前、とか。
奇声と共に誰かがイスから盛大に転げ落ちる。振動で積み上がっていた書類が倒れ、奇声の主に二次災害が降りかかった。カエルが潰れたような声が聞こえたが、しかし礼央は見向きもせずにある男の元に向かう。
「おはよう。早速なんだけど東海道で名古屋までが管轄の連中を集めてくれる?次がきた」
白布で顔を覆われたその人は二つ返事で引き受け席を立った。何でも、報告のために全員ここに揃っているらしい。男が召集をかけている間に、先程不運な事故に遭った彼に近づく。
「やあ、御機嫌よう。書類のお布団被ってるところ悪いけど、沖縄出張から帰ってきた途端幼児退行現象が起きた例の男性、どうなってる?君の管轄だろう?」
「あたた…。おはようっす、お嬢。ええ、先日近くの神社でお祓いしてもらったっぽいですが、憑いていた"彼女"の方は逃したみたいです」
「まあ、神社ならそれが限界だろう。捕獲は期待してないよ。彼女の行方は?」
「それがどうやら、近くの川を遡ってるらしいんです。…故郷の川に帰ろうとしてるんすかねえ?」
目の前で後頭部をガシガシ掻いている彼の顔にももちろん白い布が垂れ下がっているが、それでも手に取るようにその思考はわかる。きっと今、話題を逸らそうと必死に考えているのだろう。
「ところで、職場で漫画を読むというのはどういう了見なのかな?」
「ぎゃあっ、すんません!ようやく手に入ったんですよ、限定版なんです!昨日半日かけて手に入れた戦利品なんです…!」
「職場に持ち込まなくてもいいでしょう。自室で、一人で悶えてなさい」
表紙のビビットピンクがキツいその漫画を小脇に抱え、野太い叫び声をバックに礼央は会議スペースへと足を運ぶ。それなりの広さがあるこの部屋でも無駄に響くその声に、集まっていた担当者たちも乾いた笑いしか出ないようだ。あれが同僚とか考えたくない、誰かがポツリと呟いた。けれど礼央がその顔を白布の奥に隠した途端、皆真面目な雰囲気を醸し出して彼女へと意識を向ける。
「で、今度は何なんだ?」
「…鈴木次郎吉の爆殺と、愛知県警の壊滅」
唸る風に髪を遊ばせ、女は路地裏に佇んでいた。運命の日を明日に控え、最後のピースが届くのを待っているのだ。
「お待たせ」
闇から溶け出てきた同僚の男は本人の気配がわからなくなるほど霊にまみれていた。聞けば一仕事片付けてきた後だと言う。だがそこまで強力な相手ではなかったようで、礼央の妖力に触れた霊から悲鳴をあげる間も無く消滅していった。
「相変わらずスゴい力だな。俺の後任も楽なんじゃないか?」
「バカ言わないでほしい。米花町だけで何なんだこの犯罪発生率は?割に合わない」
未だ本人の気配を感知できないほど霊をくっつけているこの男は米花町・杯戸町一帯が担当区域の前任者であり、急上昇した犯罪発生率に1ヶ月ほど前とうとう匙を投げたのだ。代わりに呼ばれたのが礼央なのだが、現状を見れば一体どれ程過酷な労働環境だったかなんて想像に難くな…いや正直したくない。
「だからこうやってサポートしてるんだよ。タッグを組むなんて経験したことないだろ?」
「原則個人主義だし、あまり推奨されてないからね。じゃなくて、例のやつは?」
「はいはい、これな」
何かを摘んだ男の手が礼央に近づくが、まるでそれを警戒するように獣の唸り声が聞こえた。男の溜息と共に軽く投げられたそれを、礼央は慌てながらも難なくキャッチする。
「ちょ、投げることないでしょ!」
「下手に触るとお前の後ろに控えてるそいつが怖いんだよ。あー、ほらほら。ご主人様には触りませんよ」
男が両手を上げて降参の意を示せば、影を切り取ったかの如く真黒い犬は不満げな表情をしながらも牙を納めた。彼が闇に消える様子を確認してから、放られたそれをじっくり眺める。蒸気機関車の先頭車両と「MYSTERY TRAIN PASS RING」の文字が彫られた台座のついた、大きめの指輪だ。パス、ということは通行証だろうか。
「あの、これ…」
目の前の白布は、戸惑う上司のことなど御構い無しに言い放つ。
「明日腹痛の予定により乗車できないお客様から頂いてきた。それがミステリートレインに乗るためのパスになる。じゃ、幸運を祈るよ」
「え、いやちょっと…ってもういないし」
消し切れなかった霊のせいで気配が薄まっていたせいか、その消え方はまるで蜃気楼のように呆気なかった。路地裏に残された女は一人、手中の指輪を見やる。
「職権乱よ…う…なのか?」