■話 送り犬

吾輩の名はリンタロー。礼央の曽祖父殿から頼まれかれこれ二十年以上彼女を見守ってきた、優秀なぼでぃがぁどである。種族は送り犬。本来山道に現れるものではあるが、都会でも何ら苦することなく生活できる。

妖怪を相手にするためか、礼央は日が沈んでから活動することが多い(ばいととやらは昼過ぎに入れている)。特に黄昏時、世界が曖昧になる時間帯は、良からぬものたちが目を覚ます。
行く当てなく放たれた人々の願いや呪い、その中に潜む大小様々な悪意の塊。彼女らが"禍(わざわい)"と呼ぶそれは、夜の帳が下りるのに合わせ町々を侵食していく。人の憎悪や怨みを喰らい肥大化し、最後には町一つを喰らい尽くすのだ。闇の住人である彼女らは、故にこそそれを…おっといけない。



少し前から、誰かにつけられていることはわかっていた。後ろを振り向きはしないが、段々距離が縮まっているのを気配で感じる。目的は金か、身体が、快楽か。
あくまで"何も気づいていない"体を装い殊更細い道を選ぶ。そいつは背後で歓喜に息を殺し、意志を持った足取りで一歩、踏み込んだ。切れかけの街灯が照らし出したその影は何かを振りかぶるような構えで、空気を裂く音さえ聞こえそうだった、が


ゴキンッ


その腕は乱入者により可動域外まで強引に曲げられ、凶器が自分に届くことはなかった。一拍置いて、鉄パイプとコンクリートがぶつかり合う音がする。ようやく視界に捉えた男は突如ひん曲がった己の両腕に呆然としていたが、堰を切ったように襲いかかる痛みが彼を現実へと強引に引き戻した。

「え、あ、が、ああああぁぁぁぁっ??!!」

知らない男の叫び声が響く。激痛に悶え苦しむ姿は陸に打ち上げられた魚のようで、何とも居た堪れない。宵の闇と同化しかけている優秀なボディーガードは蛍の如く輝く目を山なりに細め、さあ褒めろと言わんばかりに尾っぽを振っている。

「ご苦労様、リンタロー」

間違えずに頭を撫でてやれば満足そうにふんすと鼻を鳴らし、けれど次の瞬間にはもう興奮を抑えられないとばかりに獲物を見据えていた。何とか意識を保った男は、尻餅をつきながらズルズルと後ずさる。その姿が、妖怪の本能に火をつけているとも知らずに。
送り犬は山道の怪だ。山道を歩く人々の後ろをぴたりとついてくるが、こちらが何もしなければ彼らも何もしない。寧ろ夜道を行く旅人を守ることもある。だが、

−いい?送り犬の前では、決して転んではいけないよ。
−たちまち食い殺されてしまうからね

山と共に暮らす人々の間で脈々と語り継がれてきた怪談(やくそくごと)を、都会育ちの男が知るはずもなく。
いやだ、やめてくれ、と狂ったように呟く声は、誰にも届かない。


ひっ、と男が息を吸った時、その頭(こうべ)は既にバケモノの口に収まっていた。




『昨夜0時過ぎ、××町の住宅街の路上で男性が全身から血を流して倒れているとの通報があり、近くの病院に緊急搬送されました。調べによりますと、男性は□□カンパニー社員○○○○、42歳。先週から相次ぐ連続殺傷事件の容疑者とのことです。通報した方に聞いたところ、○○氏は身体中に噛み跡や爪痕があり、警察は慎重に捜査を進めると___』