喫茶ポアロ、一番窓に近い席で、少年少女はまだかまだかと卓上中央のスマートフォンを睨みつけていた。カチ、カチ、カチ。その様子を、バイトの青年がカウンターの奥から静かに見つめる。カチリ。掛け時計も置き時計もないはずの店内で、秒針の音が聞こえた気がした。
プルルルル、プルルルル
典型的なコール音と同時に、少し罅の入った画面が着信を示す。3人の子供がおもむろに視線を移し、4人分の視線を受けた少年は片手に紙の人形を握ったまま、通話ボタンを押す。
「もしもし」
赤い文字で「こじまげんた」と書かれたその紙に、また少しシワがよった。
『わたし、メリーさん。今交差点のところにいるの』
話は20分ほど遡る。公園で出会った女性、天田礼央は"人形が消えた"という、話すコナン自身ですら理解できていない内容の説明を当然のように受け入れ、そして提案してきた。
"人形をおびき出す手伝いをしてほしい"
おびき出すという言葉に一抹の不安を感じたが、人形が消える原因を作ってしまったかもしれない手前、探偵団に拒否権はなかった。表情の晴れない子供たちに何を思ったのか、礼央は笑顔のまま付け加えるようにこう言った。
「だあいじょうぶ。ちょっと電話に出て、言われたことをそのまま私に伝えるだけの簡単なお仕事だから。君たちに危害は加えないし、なんだったら保護者の目の届くところでやろう」
その後、公園からある程度距離を取る必要があるとのことで、彼女をポアロに案内した。本当は探偵事務所の方に行く予定だったが、いびきをかいて爆睡する小五郎を見て、コナンが開けたドアをそっと閉めたのだ。…安室がシフトに入っていたのが幸いだった。
子供たちを角の席に座らせると、礼央はボストンバッグから一枚の紙人形と赤ペンを取り出して元太に自分の名前を書くよう言った。そして唯一スマートフォンを持っているコナンには、11桁の数字が書かれた紙を渡してきた。
「これが私の携帯番号ね。これから五分おきに君達が拾ったそのスマートフォンが鳴る。君は電話に出て、相手から言われた場所を私に教えて欲しい。でも気をつけて。出るときは必ず、この紙人形を持っていてね」
6つの緋文字が書かれた紙人形がコナンの手に渡る。そして彼女は4人分のオレンジジュースを頼むと、そのまま店外に出ていった。着信があったのは、それから数分後。わたし、メリーさん。今公園にいるの。スピーカーはOFFのはずなのに少女の声は店内に響き渡り、呆然とする子供たちを残して通話は一方的に終了した。メリーさん。聞いたことのある名前に、その物語に、信じたくはない仮説を立てたコナンは自分のスマートフォンで礼央に電話をかける。
「もしもし、礼央さん。今公園にいるんだって。…ねえ。この電話の相手ってもしかしなくても…」
『そう、君の考えている通りだよ。でも怖がらないで。彼女を捕まえた後で、全て教えてあげるから』
不安そうな顔をする3人に、説明は後でだと伝える。どのみち、スマートフォンを回収するために彼女はもう一度ここに来る。その時に全てを話してもらえばいいだろう。礼央が頼んでいったオレンジジュースに口をつける。一気にかさが減ったことで、思った以上に喉が渇いていたのだと気づいた。只ならぬ気配に何事かと寄ってきた安室にも簡単に事情を話して、次の着信を待つ。冷えたグラスの表面を、雫が一筋伝った。
ONにしたスピーカーから、もしもしーと間延びした声が聞こえる。
「もしもし、次は交差点だって」
『…うん、あったあった。じゃあ次の着信で捕まえられるかな』
「ほ、本当ですか?!」
「すげえな姉ちゃん!」
ガタンと立ち上がった元太に一言注意したのは安室だった。お客が子供たちしかいない今、彼も好奇心のままに会話へと参加する。
「確かに、公園から交差点までの距離を計算すれば、次に現れる地点は予測できます。ですが公園からポアロまでのルートは何通りもありますし、その間に交差点なんていくつもありますよね。どうやって特定したんですか?」
コナンが考えていた事そのままを、安室が問うた。スピーカーの向こうからは暫しの沈黙の後、誰の声だか得心がいったのだろう、ああ店員さんねという呟きが聞こえた。
『彼女の本質は「近づいてくる恐怖」。通話相手にもわかりやすいような目印の多い、大きな通りを好むんですよ。ポアロは比較的大きな通りにありますから、公園からポアロまでの間、できるだけ大きな通りを進むようなルートなんてすぐに特定できます。あとはまあ、経験と勘ですね』
事も無げに話した彼女の、じゃあ切るねの一言で通話は終了した。安室もコナンも正直納得はしていないが、態々かけ直すような話でもない。切れてしまった以上次に話せる機会は5分後、その時にはメリーさんとやらも捕まって
「あっ…」
「ああっ!」
体勢を戻そうとした元太の腕がグラスにあたり、倒れたそれの中からオレンジジュースが流れ出す。歩美がすぐさまグラスを立て直し、安室もさっとカウンターの方へ駆けていった。各自おしぼりで何とか被害拡大を食い止めたが、一つだけ助からなかったものがあった。テーブルの真ん中に置いてあった、例のスマートフォンだ。
「ど、どうしよう〜!」
「おまたせ、とりあえずタオルで拭こうか」
真っ白なタオル数枚を片手にやってきた安室にスマートフォンを渡し、4人でテーブルの上を拭く。粗方の水分を拭った後、タオルに包まれたそれを凝視する安室に気づいた。安室さん、名前を呼べばゆっくりと顔をこちらに向け、深刻そうな面持ちのまま4人にも画面が見えるよう持ち変える。白い画面に、赤い文字が浮かんでいた。
『許さない』
左上にポツリと表示されたそれ。暫く見つめていると、その隣に二輪目の赤い花が咲いた。許さない。許さない。許さない。許さない許さないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないユるさないゆるサないゆるさなイユるサなイゆるさナイユルさないゆルさなイユルサないゆるサナイゆルサナいユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ
ころしてやる
真っ赤に染まった画面の中央、場違いな程整った黒い6文字に、総毛立つ己を自覚した。殺気とは別格の、本能的な恐怖。言うなれば、幼い頃暗闇に抱いたそれ。呼吸が浅くなる。潤ったはずの喉がまた渇いてくる。神経が研ぎ澄まされ、僅かな音でも、耳が拾う。コナン君、ふと聞こえた小さな呟きに意識を向ければ、真っ青になって震える3人がいた。そうだ、こいつらの方がもっと怖い思いをしているはずだ。落ち着かなくては、落ち着かせなくては。こいつらを、俺は
「コナン君、あの女性に連絡しよう」
低く穏やかな声の主は、その声色と同じく静かな表情で俺を見ていた。濁流の如く流れ続けていた情報が一時停止し、過剰に働いていた頭が冷静さを取り戻す。何度か深く呼吸をして、再び脳内整理を始める。現状、当初の目的、今俺にできること、今俺にできないこと。ごちゃごちゃになっていた思考からいらないものを取り除いていけば、行き当たるのはとてもシンプルな答え。
頼ってもいい大人が、すぐそこにいる。
安室の提案にようやく頷き、スマートフォンの履歴から彼女にコールしようとした。
プルルルル、プルルルル
静まり返った空間に、着信音が鳴り響く。自分のそれは履歴一覧画面で止まっていて、ならば残るは一択。恐る恐る見上げれば、未だ安室の手中にあるそれが、勝手に通話画面へと切り替わった。
『わたし、メリーさん。今喫茶ポアロの前にいるの』
ほぼ同時に、カランカランとドアベルが鳴る。安室が鋭くそちらを睨みつけたが、いくら待っても、客の姿は見えない。緊張感で満たされる中、少女はさらなる爆弾を投下する。
『こじまげんたくん』
教えたはずのない名を呼ばれ、元太が肩を揺らす。何故だか自分も、心臓に銃口を向けられたような気分になる。そこにいるわけでもないのに、画面の向こう側にいる何かを見つめる。冷や汗が、止まらない。
『ゆるさないから』
握りしめた紙人形が黒ずんでいることなど、気づく余地もなかった。