「あーゆー馬っていい親掛け合わせたサラブレッドなんですよね。いいとこのボンボンなのに人間の娯楽にされるだけの人生なんだって思ったらかわいそー」
「いいとこのボンボンだろうが使えなきゃすぐに殺処分だぜ。呪術師と一緒だな」
鼻で笑ってそう吐き捨てたのは伏黒甚爾という名で紹介された男だ。ベンチに座る名前の、簡易テーブルを挟んだ右隣のベンチに軟体類かってくらいふにゃふにゃにダルそうな格好座っている。前の席に脚までかけて行儀が悪いが、それもある意味のこの場にあった格好なのかもしれない。
この男が今回名前が時雨から引き受けた仕事の協力者だ。
星漿体暗殺。
甚爾の事情も名前の事情も詳細に知っている仲介人の時雨は2人を引き合わせて「お前ら2人でこの件に一枚噛まないか」と誘った。
甚爾には金払いの良さを売りに、名前には星漿体を狙って術師が集まることを売りに話をしたのがよかったのだろう、丁度他の仕事もなかった2人はあっさりと時雨の言葉にうなづいた。
協力者なんていらないが、まあ時雨が是非にというのなら使えない奴ではないんだろう。使えなかったら殺して時雨に文句つけて、夕食でも奢らせればいい。そう思って了承する程度には2人とも時雨とはそこそこの付き合いだった。
「急にいなくなったと思ったら何してんだよオマエら」
競馬場に不釣り合いな硬っ苦しいスーツ姿の時雨が声をかけてきたのは名前たちが掛けたレースが始まった直後だった。甚爾と名前が横並びに座っているのを見て、彼はその一列後ろのベンチに腰掛ける。
時雨の問いかけに「金を増やしてんのさ」とは甚爾。「しゃかいべんきょー」とは名前。
「オマエが勝ってんの見たことねーよ。つか、未成年って馬場入れんのかよ」
「金かけなきゃ問題ねーよ」
「じゃあ名前はかけてはねぇんだな」
時雨にそう問われた名前は低い背凭れのベンチに座ったままイナバウワーの要領で背中を逸らせて後ろを振り返った。そのまま後ろに立つ時雨に大きく広げた掌を見せる。それから「5」と一言言えば、逆さまになった視界の中で時雨が呆れた顔をするのが見えた。ついでに軽く小突かれる。
「仕事はどうした?」
そう問われた甚爾は露骨に嫌そうな顔で「うっぜぇなぁ」と呟く。
名前は大人2人が「無職だ」「無職じゃない」だの、「仕事しろ」「仕事してる」だのガキみたいに言い合っているのを横目にレース場の中を走り抜ける馬を見ていた。
あのしなやかな生き物たちは一陣の風のように過ぎ去っていくけれどそこに自由はない。決められた道を命じられたままにただ駆ける。何故己が駆けるのかさえわからずに。
呪術師と一緒だと言った甚爾の言葉は的を得ている。でも、速く走れることを期待されて生まれてくる分恵まれてる。生まれ落ちた瞬間から、それどころか生まれる前から死ぬことを願われるような子だっているのだから。
「名前、オマエはいいのか」
「なにが」
「伏黒のやり方。コイツ手付金全額懸賞金にしやがったぞ」
呆れた顔で甚爾を見る時雨に、けれど名前は大して興味もなさそうに「別に文句とかないですけど」と言うばかりだった。
なにせ甚爾の考えた殺り方は名前にとっても都合がいい。
星漿体に賞金をかけて呪詛師に狙わせる。金に目が眩んだ
いやらしいやり方だがこれ以上なく合理的だ。あとは要所要所でこちらから手を入れて誘導していけば、あちらさんは掌の上で愉快に踊ってくれる筈だ。
それに護衛連中もやってくる呪詛師をいちいち全員殺すほど暇じゃないだろう。そこが名前にとっての
「心配しなくても全額返ってくるさ」
このレースみてぇにな、と甚爾が言ったその瞬間に、レースの結果が放送された。けれど話し込んでいた2人と違ってちゃんとレースを見ていた名前はすでに結果を知っている。
甚爾が見事に外したことも、
「ねー、時雨」
「なんだよ」
「換金ってどうやんですか」
「……は?」
自分が単勝を当てたことも。
「……名前、オマエ今いくつだ」
「歳?じゅーろくでーす」
「まあ、当然換金はできねぇわな。わかった。してきてやるから待ってろ」
「おいガキ、その金で次当てんぞ。何倍にもしてやるからよ」
「わー、クズの思考回路」
「いいから仕事しろオマエらは」
名前の馬券を受け取った時雨がベンチから立ち上がりながら「伏黒、オメェは楽して稼ぐの向いてねぇよ」と笑う。甚爾の図星をつかれたような苛立たしげな舌打ちもなんのそのといった顔だ。
「頼むぜ。W術師殺しWコンビ」
「明後日には解散予定だけどな」
「音楽性の違いが理由でーす」
「似たもの同士だよ、お前らは」
名前の頭を軽く撫でた時雨は思い出したように甚爾に尋ねた。
「ああ、そうだ。恵は元気か?」
「なに?誰の話ですか?」
「…………誰だっけ」
とぼけるのではなく、本当に覚えてない様子の甚爾に時雨はそんなもんかと苦笑して、それから何も言わずに名前の馬券の換金に向かった。
染めて傷んだショートの金髪が肩口より少し上で揺れる。首元の広いシャツからは黒のキャミソールの肩紐が見えていた。その上に羽織ったパーカーをさらに着崩し、ころころと棒付き飴を転がすガキ。
「飴食いながら肉饅食ってんじゃねぇよ」
人に奢らせておいて雑に食うガキにいらついて、その脚をテーブルの下から蹴る、が軽く避けられる。
「甘いのとしょっぱいのって合うんですよ」
「バカ舌」
現場の様子を確認しに向かった時雨との電話を「電波が悪い」と切った後、甚爾は売店で買ったタコ焼きに手をつけた。電話をしているうちに冷めてしまったそれを口に放り込みながら喋る。
「これ食い終わったらぼちぼち向かうぞ」
「呪詛師集まってるんですか?」
「時雨が言うにはな。高専の連中も雑魚をいちいち始末しねぇだろ。補助監督あたりに引き渡される前に殺っとけ」
そう言えば、肉饅を外周から食べるという気味の悪い食べ方をしていたガキがヘラッと笑った。
「美味しいです」
肉饅の話なのか飴の話なのか、はたまた仕事の話なのか、わからなかったから甚爾は返事もせずにタコ焼きを食べた。名前は元から返事など期待でしなかったのだろう、指を2本立ててはひとりで好きに喋り出す。
「今日だけでもう2人も殺せてるんですよ。こんなに美味しい仕事はなかなか無いから、幸先が良くって気分がいいです」
名前が言う「殺せた2人」というのは星漿体の護衛である高専の2人組が追い払っていた『Q』の刺客のことだ。護衛が昏睡させ、高専の関係者か『窓』か補助監督か、そのあたりがその呪詛師たちを回収しようとする前に意識のない2人を弱った獲物を狙うハイエナのように殺してしまった。
嬉々としてそいつらを殺しに向かった名前を見て甚爾は理解できないものを見る顔をした。別にわざわざ殺す必要はなかっただろ、と思わず時雨に目線で問いかけた甚爾に、事情を知っているらしい彼は返り血もなくすぐに戻ってくる彼女を見つめながら「人間色々あんだよ」と言うだけだった。
「私怨か?」
小腹を満たしてから競馬場を出る。そして星漿体の通う学園に向かう道すがら、甚爾は名前に問いかけた。興味はないが暇だった。
問われた側の名前はダラダラと半歩後ろを歩く甚爾を小首を傾げて振り返った。
「なにがですか?主語が足んないんですけど」
「術師殺し。私怨でやってんのかって聞いてんだよ」
聞き直せば名前はぼんやりと空中を見つめながら「あー」と喉から無意味に音を出した。数秒、音を出しっ放しにして、それからようやく意味のある言葉を続ける。
「生きるためですね、広義の意味で言えば」
「狭義の意味ならどうなんだよ」
鼻で笑うようにそう言ってやれば、名前は足元の石を爪先で蹴り転がしながら「そうですねぇ」とちゃんと考えているのかそうでないのか判別のつかない声音で呟いた。
「人生って別に全員が全員ラスボスを倒すのが目的じゃないじゃないですか。少なくとも私はそうなんですよ。私の場合、大切なのは数。質より量。クリボー倒そうがクッパ倒そうがカウントは1。だったら弱いクリボーを数倒してカウント増やしたほうがいいに決まってるでしょう。……あー、あの、これ伝わってます?」
「なんもわかんねぇよバカ」
「えー、わかんない方がバカなんじゃないですか?」
「死んどけ」
そんなふうにたらたら話ながら歩く2人を急かすように着信が鳴った。甚爾はそれが時雨からのものであることを確認するだけして電話に出ることなくすぐに電源ボタンを押して切った。急かされなくてももう着いてる。
裏から学園に入れば、ワゴンのそばに立つ時雨が大して怒ってもないくせにわざとらしく怖い顔をしてみせた。
「仲介人こき使っておきながらオマエらは重役出社か」
「事実文字通り重役だろうが」
そう遠く無いところから壁が崩れたりガラスが割れたりする音が響いてくる。懸賞金に釣られた呪詛師と護衛が戦闘をしているのだろう。その騒音に先ほどまで猫背で気怠げだった名前が嬉々として目を輝かせる。
ちらちらと甚爾や時雨の顔を見ては「もういいですか?まだですか?」と期待に満ちた目で見つめてくるものだから、大人2人はその姿に落ち着きのない犬を見た。
「……わかった。好きにしろ。ただし殺るのは呪詛師だけだ。護衛とメイドは殺すな」
「はーい、わかってまーす」
許可が出た途端に飛ぶように駆け出す子供の後ろ姿を甚爾はガリガリと頭を掻きながら見つめた。時雨も気が抜けて笑う。
「犬だな」
「ハッ、確かにな」
「あとは、あれだ、全力で投げたスーパーボール」
時雨の例えに甚爾が吹き出すように少し笑った。
甚爾に懐きだした名前と、名前を邪険にしない甚爾の様子に、どうやら上手くやってるようだなと保護者じみた目線で時雨は内心胸を撫で下ろす。どちらとも付き合いはそれなりに長いのだ。有能な人材であることは確かだから、自分の判断ミスでこの2人が殺し合うことにならずに済みそうで安堵した。
「名前ばっかりに働かせんなよ」
「アイツのあれは仕事じゃねえだろ」
視線の先、護衛の高専生が校門前でメイドと別れたのを見て、甚爾も気怠そうに女の方へ向かった。
名前が戻ってきたのは、甚爾が昏睡させたメイドを「テキトーに遠く連れてってテキトーに殺せ」と時雨に放り、更にそのメイドを時雨が協力を申し出た盤星教の連中に引き渡した後のことだった。
時雨が運転する白いワゴンの開きっぱなしの助手席の窓から滑り込むように名前が入り込んでは「セーフ」と笑った。いくら裏道で速度を落としていたとしても走行中の車に乗り込むバカなんてそうそういないだろう。
「どっから入ってきてんだ、バカ」
「見られてねぇだろうな」
「プラスで2人も殺してきましたー」
「会話しろ」
「わざわざ車止めてもらうのも悪いなって思いまして。誰にも見られてやしませんよ。それよりそちらのほうは?」
「あ?誰にもの言ってんだ」
「ツラに全振りした性格ゴミカスドブの闇鍋男」
「一晩で18人抱いた社会不適合者のクズ」
「最悪じゃないですか、女の敵」
「全員同意の上だわ。テメェらまとめてここで事故らすぞ」
後部座席を占領していた甚爾は時雨の頭を1発叩き、助手席でだらける名前には背後からブレーンドリル、いわゆる米神グリグリをかました。拳を握ったまま中指で両方の米神を強く圧迫するととてつもなく痛い、これはプロレス技としても使われるほど人類共通の弱点だ。
その弱点を容赦なく攻められた名前は「あぎゃぎゃぎゃぎゃ」と悲鳴を上げて狭い助手席で足をばたつかせる。飛んでくる脚が時雨の鼻先をかすった。
「おい馬鹿ども暴れんな」
「暴れてんのはこいつだけだろ」
「きゅう」
背後から背もたれごとヘッドロックで締められた名前が小さな呻き声と共に大人しくなる。落ち……てはいないようだ。対人戦ならば最強レベルの伏黒甚爾相手とはいえ戯れで気絶させられるほど弱くはないらしい。
「で、お前らこれからどうすんだ」
盤星教の連中、人質をよりによって沖縄に連れて行きやがったぞ。連絡を受けた時雨がそれを2人に伝える。
「沖縄ァ?」
「えーいいなー」
「よかねぇだろ。つーことは、」
「呪詛師が少ない沖縄に懸賞金期限ギリギリまで滞在するか、もしくは沖縄で期限を迎えるかするだろうな」
「んー?つまり、連中が東京戻るまで私たちやることないってことですか?」
「まあ、そうなるな」
「つまり、明日はオフってことですか?」
「まあ、そうなるな」
やったぁ……?と両腕を上げながら首を傾げる名前に「どういう感情だよ」と甚爾が突っ込む。
「いや、オフは嬉しいですけど術師殺せないなって……」
「今日充分殺したろ。それに最終日になりゃ殺したい放題だ」
それもそうかと呟いてみれば、後ろから甚爾にがしがしと乱暴に頭を撫でられる。雑な手つき。首は左右に振れるし、髪の毛はめちゃくちゃだ。人の頭を撫で慣れていない、さらに言えば他人を慈しむために触れることに慣れていないその手つきにどうしてか、名前は落ち着く。
「じゃあ明日はどうすんだ、オマエら」
左カーブ、緩やかにハンドルを切りながら時雨がこちらをチラリと見た。
名前は考える。明日のこと。唐突な休日。
考えて、それを口にした。
→「甚爾、明日暇でしょう?私が遊んであげますよ」
→「時雨、明日暇ですか?私とデートしましょうよ」