第10話
真緒が、待ち合わせ場所の花火会場入り口に着いたとき、そこはすでにたくさんの人で賑わっていた。
全国有数の観光地として名高い箱根は、季節のイベントも盛大に行われる傾向にある。
そのため、花火大会も大小合わせれば数えきれないほどあり、その中でも、今日の花火は一、二を争う規模のものだ。
これだけの人が集まるのも無理はない、と目の前を行き交う人の流れをぼんやりと眺めながら、真緒は思った。
自分と同じく、浴衣に身を包んだ同世代とおぼしき女の子達が目の前を通り過ぎるのを見て、不意に真緒は手に持った巾着から手鏡を取り出す。
普段は下ろしている髪を結い上げているせいか、それとも、しなれない化粧のせいか、なんとなく落ち着かない。まあ、化粧と言っても、薄くパウダーをはたいて眉を描き足して、マスカラとリップを塗っただけのごく薄いものだけど、普段ほぼノーメイクの真緒にしてみれば、それでも立派な化粧だ。
(やっぱりやりすぎたんじゃないの、これ)
鏡に映った見慣れない自分の顔とにらめっこしながら、今日の着付けとメイクを担当した親友の顔が頭を過る。
荒北と花火に行くことになった、と真緒が伝えたときの、驚いたような、解せないと言わんばかりのような、何とも言えないさっちんの顔を思い出して、真緒は小さく笑う。
「言っとくけど、荒北のために可愛くするんじゃないからね」
真緒がイケてないみたいに思われたら、あたしが嫌なの、と前置きしながらも、なんだかんだ色々してくれたさっちんは、やっぱり素敵だと思う。と、今頃は彼氏と花火デート満喫中の親友に、心の中で感謝した。
「なに百面相してンだよ」
「わッ!」
不意に、聞き覚えのある声が頭上から降ってきて、思わず真緒は声を上げた。
気づけば、すぐ横に荒北が立っていて、少し怪訝な顔で真緒を見ていた。
「び、びっくりしたぁ」
いつからいたの、と胸を撫で下ろしながら、真緒が尋ねる。
「いまきたとこォ」
まるで真緒の反応がわかってたみたいに、したり顔で荒北がニヤニヤしている。それが少し悔しい。
「あ、私服」
初めてみたかも、と、真緒が目を瞬かせる。見慣れた制服ではなく、Tシャツにゆるっとしたパンツという、いかにも高校生といった私服姿がなんだか新鮮に映る。
「なんか見慣れなくて、変な感じする」
「はァ?それをゆーなら、伊東チャンもだろ」
「えっ、やっぱり変?」
浴衣とか着慣れないからなぁ、と真緒がちょっと困ったような顔で笑う。
「いや、そうじゃなくてサ、その、アレだ、似合ってる……って、言わせんな、バァカ!」
荒北がそっぽをむいたまま、頭をガシガシ掻いた。
「あ、ありがと……」
予期せぬ褒め言葉に、真緒が思わず口ごもる。まさか褒められるとは思わなかったので、なんだかとても恥ずかしい。でも、素直に嬉しくて、自然と頬が緩む。真緒は心の中でもう一度、さっちんに感謝した。
「行くぞ」
ぼやっとしてんじゃねーよ、と、荒北が真緒を促した。どうやら気まずい沈黙が始まる前に、先手を打ってくれたらしい。荒北のさりげない優しさに、密かに心をときめかせながら、真緒は荒北の後に続いた。
「思ってたより、すごいね、人」
「マジうっぜ。どっから沸いてくンだ」
心底嫌そうに吐き捨てる荒北の隣を歩きながら、真緒は周りを見回す。メインストリートの両サイドには屋台がびっしりと立ち並び、まるで縁日みたいに賑わっている。
ふと、その一角に、懐かしいものを見つけて、真緒は視線を止めた。
「お。金魚すくいかヨ」
真緒の視線の先に気づいた荒北が、勝負するかァ?と、口の端を持ち上げる。
「うん!」
言っとくけど、私けっこう得意だよ、と少し得意気に真緒が荒北を見上げる。
「へぇー……」
「あ、信じてないでしょ」
「つか、全然そゆ感じしねぇしィ?」
むしろ鈍そーだろ、伊東チャンは、と少し小馬鹿にしたように荒北が笑う。
「もうッ!」
後で泣いても知らないからね、と口をとがらせた真緒が、荒北と共に水槽の前にしゃがんだ。
「わー可愛い」
数匹の金魚が泳ぐ小さなビニールを目の前に翳しながら、真緒が満足そうに眺める。
ふと、隣を横目で見ると、普段に輪をかけて不機嫌な荒北がいた。
「ンだよ。言いてぇことあんなら言えヨ」
ニヤニヤしやがって、と荒北が真緒を見る。
「え、いいの?言っても」
「あー……やっぱダメ。言うのなし」
荒北くんて、と切り出した真緒の言葉を荒北が遮る。案外、打たれ弱いのかもしれない。
「……リンゴ飴食べたいなぁ」
「てめ、おぼえてろ!」
オレはホイじゃなくて、モナカ派なんだよ、くそ、と負け惜しみを言いながらも、本当にリンゴ飴を買ってくれた荒北は優しい、と真緒は思った。
どこへ向かうともなく、二人で通りを歩く。不意に、何かを思いついた真緒が、ちょっと待ってて、と言い置くと、少し小走りに駆け出した。突然、走り出した真緒を引き留める間もなく、荒北はその場に置いてきぼりになる。
「おまたせ」
はい、と少し息を弾ませながら戻ってきた真緒が、冷えたラムネの瓶を荒北に差し出す。
「あ?」
リンゴ飴なら気にすんな、と、もらう理由がないと言わんばかりに、荒北は受け取らない。
「そうじゃなくて。成果テスト合格、おめでとう」
「あー……そゆこと」
再び差し出されたラムネの瓶を荒北が受け取る。すぐに、プシュッ、と音を立ててビー玉が瓶の底に沈んだ。
「どーせなら、ベプシが良かったンだけどォ」
「身体に悪いからダメです」
「って、ラムネはいいのかヨ!」
意味わかんねェ、と荒北が喉の奥をクツクツと鳴らす。
「渋谷先生が褒めてたよ。点数良かったって」
「そりゃ、どォも。まァ、でも」
ぶっきらぼうに答えながら、荒北が真緒に視線を落とす。一瞬、荒北と目が合うものの、即座に逸らされた。
「あんがとネ。伊東チャンいなかったらキビしかった、マジで」
思いがけない言葉に、鳩が豆鉄砲くらったような顔で、真緒が荒北をまじまじと見た。それから、やんわり、と花が綻ぶように笑う。
「どういたしまして。でも、頑張ったのは荒北くんだから」
合格できて本当に良かったぁ、と、まるで自分のことのように喜ぶ真緒を、照れたような、困惑したような、なんとも言い難い表情で荒北が見つめていた。
「でさァ……」
まァ、その、アレだ、と荒北が何かを切り出そうと、口ごもる。珍しく歯切れが悪い。
「インハイ終わったらオレも一応、受験生ってヤツだしィ?」
「うん?」
「気ィ向いたらサ、伊東チャンまた勉強見てヨ」
荒北がまるで独り言みたいに、低く呟く。相変わらず、目は逸らしたままだが、強張った声色から少し緊張しているのだとわかった。
「いいけど、私の授業料高いよ?」
素直にいいよ、と言いかけて、少しもったいぶってみる。もしかすると、荒北のからかい癖がうつったのかもしれない。
「はッ!金取ンのかよ?」
世知辛ェ、と荒北が呆れたように呟く。
「荒北くん……たこ焼き食べたくない?」
「てめ、なに調子にのってンだ!」
「いたッ!嘘、冗談ですっ……!!」
おでこをデコピンされた真緒が、頭を押さえたと同時に、背後で花火の上がる音がした。真緒が振り向くと、大きな音とともに、無数の星が夜空に消えていくのが見える。
花火の開始とともに、通りにはさらに多くの人が集まってくる。何の気なしに歩いていた真緒と荒北も、人の流れに押され、徐々に流されていく。
慣れない下駄のせいか、人混みに飲まれて真緒はうまく歩くことができずに、徐々に荒北との距離が開いていく。
「……ッ!」
はぐれる、そう思った瞬間、不意に誰かに、ぐい、と手を引かれた。はっとして、手の持ち主を見ると、見えなくなったはずの荒北の背中がすぐ近くにあった。
「遅ェよ、バァカ」
振り返らないまま、荒北が相変わらずの悪態をつく。しかし、振り返らずとも、どんな顔をしているかわかるほど、耳が真っ赤に染まっていた。
「……」
無言のまま、真緒は荒北に手を引かれるまま歩く。
意識しないようにすればするほどに、繋いだ手が溶けてしまいそうに熱くて。
周りの喧騒が耳に入らないほど、心臓の音が煩い。
荒北に覚られないように、真緒は小さく息を吐くが、まるで呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに、うまく息ができない。
「ごめん……」
今にも消え入りそうな声で、そう小さく呟くのが、真緒にはやっとだった。
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