第10話
目の前で、数多の垂れ柳が夜空を埋め尽くすように咲いて、今年の花火大会は終わりを告げた。
続いて花火大会終了のアナウンスが流れるやいなや、一気に人の波がさっきとは反対方向に押し寄せる。
往来の激しい大通りから少し離れたところで、その様子を真緒と荒北は静かに眺めていた。
さっき繋がった手と手は、まだ結ばれたままで。お互い花火が終わるまで、ひと言も話すことはなかった。
真緒は気持ちを全て右手に持っていかれてしまい、目の前の花火に集中することなんてできるはずもなく。
かといって、手を振りほどく気はさらさらなくて。むしろ、今こうやって荒北と繋がっているのがすごく心地いい。もし今、荒北くんが手を離したら、すごく寂しい気持ちになるんだろうな、と心の中で呟きながら真緒は隣の荒北をそっと見る。
無表情に空を見上げたまま、何も言わない荒北が、今何を思っているのか知る術はない。
(荒北くんも同じ気持ちでいてくれたらいいな……)
心の中でそう願いながら、密かに繋いだ手に力を込めた。
「帰るか」
今まで黙ったままだった荒北が、ぽつりと呟く。
「そうだね」
真緒もうなずく。ちらり、と繋いだ手を見るも、すぐに視線をもとに戻す。
そんな真緒の様子を知ってか知らずか、荒北は真緒の手を引いたまま、黙って踵を返した。
「荒北くん、今日はありがとう」
「べつにィ……」
礼を言われるよーなことしてねぇし、と相変わらず素直じゃない回答が返ってきて、真緒はくすりと笑う。
「でも、すごく楽しかったから」
やっぱりありがとうだよ、と素直に思ったことを伝える。
「……伊東チャン、てさァ……」
「なに?」
「あーやっぱ、なんでもねェわ」
「ええー気になるし」
「るっせ」
置いてくぞ、そう言いながら、荒北が繋いだ手にぐっと力を込めて、真緒の手を自分の方に引き寄せる。必然的にさっきよりも近づいた距離にどぎまぎしながら、真緒は黙って荒北の隣を歩いた。
さっきまでの喧騒が嘘みたいに、人もまばらな大通りを歩く。さっきと違うのは周りだけではなく。浴衣の裾が衣擦れするほどに、近づいた荒北との距離がこそばゆい。
本当にデートみたい、って言ったらやっぱり怒られるかな、とか、とりとめのないことを考えながら歩いていると、不意に荒北が足を止める。
「なァ、リベンジしていい?」
「リベンジ?」
「そォ。アレで」
荒北が指差した先には、野球の的当てゲームのブースがあった。どうやら、リベンジというのは、さっきの金魚すくいのことを言っているらしい。
「全部抜いたら豪華賞品だよ、おにーさん」
本物とは程遠い色鮮やかなボールを手渡しながら、店員さんが笑う。
店じまい間近のブースには真緒たち以外他の客の姿はない。
9分割の的の前に立って、慣れた手つきで片手でボールを転がす荒北を、真緒は少し離れたところから見つめる。
「……!」
一瞬、荒北が真剣な目をしたと思ったら、次の瞬間、的の一部がキレイに剥がれ落ちる。
射抜いたこともだけれど、あまりに綺麗な荒北のフォームに真緒は思わず目を奪われた。
間髪おかずに、荒北は一枚、もう一枚と新たな的を抜いていく。気がつけば、9枚あった的はあと一枚を残すだけになっていた。
手持ちのボールは残り3個。
高まるパーフェクトへの期待に、真緒の両手に自然と力が入る。
始めたときは誰もいなかったはずのブースには、どこからともなく人が集まって荒北の一挙手一投足に視線が注がれていた。
期待と緊張の中、放った2球は惜しくも外れてしまう。
残り1球を前に、荒北が小さく深呼吸をしたのがわかった。
「惜しかったね」
「あー……まァな」
「でも、荒北くんがあんなに上手いなんて知らなかった」
どうして、高校では野球部入らなかったの、と言いかけて、止める。ふと、箱根学園には野球部がないことを思い出したからだ。
「オレ、ガキの頃からずっとピッチャーでさ。けど、中2ンとき肘ケガして辞めた」
「えっ!投げたりして大丈夫だったの?」
「バァカ、あんなん全力投球じゃねぇし」
いわゆる野球肘ってヤツだヨ、と荒北が自嘲する。
「ずーっと野球ばっかだったからサ、なくなったら何していいかわかんなくなっちまって」
荒れて、周りに当たり散らして、気づいたらけっこーやんちゃしてて、とまるで昔の自分を思い出すように、荒北が遠くを見る。真緒は黙って荒北の話に耳を傾けた。
「そんなとき、福チャンに会ってさァ。そんでどーゆー訳か、今じゃチャリ部入ってロード乗ってンだから、わっかんねーよな、人生なんてもんは」
昔のことを、ぽつりぽつりと話ながら、荒北が口の端を上げる。自分自身のことを皮肉っているみたいに。
「荒北くんにとって、福富くんは、鍵のないドアに気づかせてくれた人、なんだね」
「はァ?」
「人生って、目の前の新しいドアを次々開けていくことなんだって。でも、ドアに鍵がかかってるように見えるときがあって」
それが挫折とか失敗とか心が弱ってるときで、と真緒が続ける。
「そういうときに、ドアに鍵がかかってないよ、前に進んでいいよ、って教えてくれた人のこと」
って、これプリスクールの園長先生の受け売りだけど、と真緒が苦笑する。
「へぇー……」
「でもそういう人に会えるのって、すごく運がいいんだって」
気づかなかったり、会えないことの方が多いって、先生言ってた。と、真緒が荒北を見る。
「一生大切にしなきゃだね、福富くんのこと」
「そうだネ……って、プロポーズか!」
やだヨ、あんな鉄仮面嫁にもらいたくねーし、と荒北が冗談半分に毒づく。
「ていうか福富くんが、イヤだったりして?」
「るっせ!」
たわいのないやり取りの後、本当に今日の終わりが静かに近づいているのを感じながら、真緒と荒北は出口に向かって歩く。お互い言葉を発することはないけど、不思議と気まずくはなかった。
「荒北くん、インターハイっていつ?」
「あ?8月1日から3日までだけどォ?」
もしかして、見に来てくれんの、と荒北が真緒を横目で見る。
「うん。行こうと思ってたんだけど、ちょうどJ大の実習と被っちゃってるかも」
「実習ゥ?」
「入学前に特別体験実習があるんだって」
「はッ!さすが名門大学は違うねェ」
「でも、3日は午前中で終わりだから、慰労にくらいは行けると思う」
「バァカ、無理すんな」
どーせレース後は死んでっからァ、と荒北がおどける。
「じゃあ、無理のない範囲で応援行くね」
優勝期待してるから、と真緒が微笑む。
「へいへい」
気の抜けた返事を返しながらも、荒北の顔はどこか嬉しそうに見えた。
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