※インターハイ結果に関わる描写があります。
第11話
山中湖半の救護テントで、靖友はベッドに寝転びながらぼんやりと、天井を見つめていた。
ここに運び込まれたときは、燃料ゼロの状態で、情けないことに指先ひとつ動かすことさえ、やっとだった。
しかし、あれから数時間がたった今、既にレースは終了しており、靖友も疲労は残っているものの、普通に動けるくらいまでには回復している。
レースの最終リザルトは、さっき自転車部の一年から聞いた。
優勝できなかったことは、本当にはらわたが煮えくり返るほど悔しい。結局、途中リタイアして福ちゃんを、エースを優勝へ後押しできなかったことも、悔しさに拍車をかけているのかもしれない。
しかし、一方で、たとえ今日と同じレースをもう一度したとして、自分の結果は変わらない気がした。あれが自分の持てる力の全てだった、そう言い切れるほど、ペダルを回しきった自負はある。途中リタイアっつーかっこ悪ィ結果だけど。
「はッ!マジで小野田チャンにやられるとはネ……」
今頃、山頂の特設ステージで華々しく表彰されているであろう総北の小柄な一年生を思い出し、些か自嘲気味に靖友がひとりごちる。
「真ァ波のヤツ……肝心なとこでサボってんじゃねーよ」
ボケナスがァ、と、小野田と最後のクライマー勝負で負けたチームメイトの一年を、本人不在のところで罵ってやる。それが、靖友なりの精一杯の労いであることに気づく者は、無人のテントにはいなかった。
(そーいえば、伊東チャン来なかったな)
レースを終えて、少しほっとしたのだろうか。
今まで失念していたが、ふと花火のときの真緒とのやり取りを思い出す。
と同時に、真緒のあのふんわりとした笑顔を思い出して、無性に彼女の顔が見たい、と思った。
「あの、荒北さん!」
ふいにテントの外から呼ばれて、おそらく緩んでいたはずの表情を引き締める。こんなみっともない顔見られたら、3年の沽券に関わる、そう思いながら、靖友はゆっくりと身体を起こした。
「なんだ?一年」
「その、お客さまが見えてます……」
すこぶる遠慮がちに、一年がテントの入り口で靖友に声をかけた。
「わかった。今行く」
平静を装って、一年に言い置くと、靖友は小さく息を吐いた。それから、首筋を流れる汗をもう一度拭ってから、ゆっくりと立ち上がる。普段は身だしなみなど全く気にも止めない靖友が、一応、少しは気にしたつもりなのは、尋ねてきた相手に心当たりがあったからだ。
しっかりとした足取りで、救護テントを出ると、予想していた人物ではない、意外な相手が靖友を待っていた。
「よぉ。アラキタァ」
見覚えのある緑色のジャージを着た男が、現れた靖友を見て、手を上げた。
「ほらよ」
「すまんのぅ」
ガシャン、と自販機のポケットに転がり落ちたベプシのボトルを靖友が手渡すと、早速待宮が蓋を開けた。
汗臭い男が二人、湖畔のベンチに腰掛け、黙ってベプシのボトルをあおる。端から見れば奇妙な光景に映るに違いない。
ロード乗りにはよくあることだが、ロードから降りるとお互い特に会話することもなく、無言のまま座っていた二人だったが、徐に待宮が口を開いた。
「惜しかったのぅ」
「あ?まァな。呉南は全員完走したんだってな」
「入賞圏外じゃけどな。まァ、あんとき箱学追っとったら無理じゃったわ」
待宮が少し自嘲気味な笑みを浮かべた。
「うちの東村がな、来年は純粋に前だけを見て、優勝目指すっていっとったわ」
来年の呉南は手強いよ、と、空っぽのボトルをゴミ箱に放り投げる。いびつな放物線を描いてボトルが中に吸い込まれていく。
「ウチも死に物狂いで、王者奪還に挑むと思うぜ?」
負けねーよ、と言外に含ませながら、荒北が口の端を上げる。
それを受けて、待宮も強気な笑みを浮かべた。
「おーい、荒北くーん!」
不意に耳慣れた柔らかい声が後方からして、靖友が振り返る。
だいぶ遠くから制服姿の真緒がぶんぶん、と手を振っていた。
「ごめん。やっぱり間に合わなかったね」
駆け寄ってきた真緒が息を切らしながら、苦笑いを浮かべた。
「あっ、ごめん。お話中だった?」
ふと、傍らの待宮に気づいた真緒が、小さく会釈する。
「や。別に、大した話してねーし」
なァ、マチミヤ、と靖友が待宮に声をかけるも、返事がない。代わりに、待宮の視線がじっと真緒に注がれているのに気づく。
「……卑怯じゃ」
「あ?」
「やっぱり、ハコガクは卑怯じゃ!アラキタァ!」
「はァ?なに言ってやがんだ、藪から棒に」
「ワシはインハイで勝つために、泣く泣くカナと別れたちゅうに、アラキタァ、お前はこんなかわええ彼女はべらしとるとは……!」
「バァカ、こいつはそんなんじゃねぇよ!」
「嘘つけ!なぁにが、真っ直ぐ前だけ見ろじゃ、このスケコマシ野郎がぁ!」
「てめ、ケンカうってんのか!マチミヤァ!」
「覚えとれよ!来年、呉南は必ずハコガクを地に落とす!」
文字通り、捨て台詞を吐いて、待宮が荒々しい足取りで去っていく。あまりの急展開に、訳もわからず、後に残された真緒はぽかん、とその場に立ち尽くした。
「なんか……ものすごく間が悪かったよね、わたし」
本当にごめん、と真緒が顔の前で手を合わせる。
「はァ?伊東チャンは悪くねーだろ」
悪いのは勝手に勘違いしやがったアイツだし、ったく、と靖友が苦々しく舌打ちした。
「でも……」
「いーんだよ。それよか、オレがここにいんのよくわかったな」
真緒の言葉を遮って靖友が尋ねる。
「本部の人に聞いたら教えてくれたの」
リタイアした選手は救護所だって、と真緒が少し遠慮がちに答えた。
「そっか」
靖友はそう呟くと、傍らのベンチに腰を下ろす。真緒もまた、静かにその隣に座った。
「残念だったね」
「あー……つか、悪かったな、わざわざ来てくれたっつーのに」
優勝報告できなくて、と靖友が唇を噛み締めた。
「あ。そうだ」
何かを思い出したように、真緒が持っていたビニール袋の中から何かを取り出す。
「頑張った荒北くんへ、ごほうびです」
あんまり冷えてないかもだけど、と真緒がベプシのボトルを手渡した。
「あんがと。つか、身体に悪いんじゃなかったのかよ」
「今日は特別」
「へいへい」
ニヤニヤしながら靖友がボトルの蓋を開け、一気に中身をあおる。
「ぷはッ!うっめー」
「それは良かった」
「なァ……ついでにもいっこご褒美ほしーんだけど」
「え?」
「肩、貸せ」
徐に、靖友がそう言うと、真緒の肩に頭を預けた。一瞬、戸惑った顔をした真緒だったが、すぐに、ふふっと柔らかく微笑む。
「お疲れさま」
左肩に乗った靖友の頭の重みを感じながら、真緒は小さくそう囁いた。
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