第12話




耳慣れた携帯のアラームの音で真緒は目を覚ました。
本来ならば、まだ起きるには早い時間なのだが、荒北の朝補習につきあって以来、この時間に目覚めるのが習慣になってしまっている。
ベッドの上に座って、うーん、と伸びをする。
それから、軽くストレッチをしてから身支度を始めるのが真緒の普段通りだ。
久しぶりに制服に袖を通せば、自然と気持ちが引き締まる気がする。
胸元のリボンを結び終えて、ふと、サイドボードに置かれた携帯を手に取れば、昨夜のことを思い出して、自然と頬がゆるむ。
昨夜、荒北からメールがきた。
「明日、帰り勉強しねえ?」
飾り気のない文面が荒北らしくて、思わず笑みがこぼれた。
単なる受験勉強の誘いなのに、嬉しくて気持ちがふわふわしてしまうのは、なぜだろう。
恥ずかしいような、くすぐったいような、不思議な気持ちに戸惑いながら、真緒はメールに返事をした。


休み明けの教室は、いつも以上の喧騒に包まれていた。
教室のあちこちから聞こえてくる、クラスメイトの夏の思い出話を聞きながら、委員長の真緒は担任の渋谷への提出物を回収する。

「荒北くん、おはよ」
自席に戻る途中、教室の入り口で、ばったり荒北に出会して、真緒は思わず笑顔になる。なんだか、とてもキラキラして見えるのは久しぶりに会ったからだろうか。
「オハヨ」
真緒に気づいた荒北が、軽く片手を上げた。
「つか、集めてンの地理の課題?」
「うん。後で職員室持ってくから、荒北くんも出してね」
「へいへい」
「……!!」
すれ違い際に、頭をぽんぽんとされて、本気で心臓が止まりそうになった。
そんな真緒の気も知らずに、荒北は涼しい顔でバックパックを机の上に下ろしている。
あれ?今日、私なんかおかしい。
ああいうスキンシップは今に始まったことじゃないのに、すごくドキドキしてしまう。
そんなに簡単に、無自覚に触れないで、と思うのはどうしてだろう。
そう思ったと同時に、予鈴が鳴った。



「自習室と図書館、どっちにしようか」
放課後の廊下を並んで歩きながら、真緒が荒北に尋ねる。
「自習室でいんじゃね。近いしィ」
「うん。じゃあ、そうしよう」
「げ。参考書部室かよ」
ガサガサとバックパックの中を漁りながら、荒北が舌打ちする。
「先行っとけ」
そういうやいなや、荒北は踵を返す。
その背中をしばらく見送って、真緒は自習室へ向かった。


「え。うそ」
自習室の前に、一枚の張り紙。
――窓ガラス破損のため、利用禁止――
(荒北くんにメール……でも)
ふと、図書館と運動部の部室棟が近いことを思い出す。
今からなら、私が部室まで行った方が早いかも、そう思って真緒は自転車部の部室に早足で向かった。

(どうしよう。なんも考えずに来たはいいけど……)
部室が近づくにつれて、急にえもいわれぬ居心地の悪さに気づく。
(やっぱりメールすればよかったかな)
今更そんなことを思いながら、自転車部の部室前に立つ。すると、部室のドアが少し開いてることに気づき、真緒は何の気なしに、隙間から様子を窺うべくドアノブに手をかけた。

「だーかーらァ、伊東チャンとは何でもねえよ」
タイミングを図ったかのように荒北の声が聞こえてきて、真緒は思わずドアノブを持ったまま硬直する。
「嘘をつけ!荒北!なんでもない女子がインターハイに応援に来るはずがないではないか!」
「水くさいぜ、靖友。おめさん、つきあってんだろ?伊東真緒と」
「ちげーよ、バァカ」
「ははーん……本当は既にローレライに骨抜きにされているな?さては」
「俺は応援するよ。靖友」
「はッ!お前らバッカじゃねーの!オレはァ、なんとも思っちゃいねえよ、伊東チャンのことは!勝手に決めんな、ボケナス!」

(……ッ!!)
荒北の台詞が、鋭いナイフみたいに真緒の胸に突き刺さる。

それから、自分がどうしたのか、あまり覚えていない。
気づけば、部室にくるりと背を向けて駆け出していた。
走って。走って。
辿り着いた誰もいない旧校舎の壁にもたれるように座り込む。
途端、堰をきったように、涙がポロポロと溢れて止まらない。

(やだ……めちゃくちゃ傷ついてる。わたし……)
荒北の言葉が耳の奥で何度もリフレインしては、その度に心が千切れそうに痛い。
(そっか……好きなんだ)
あらためて、自分の想いに気づく。
そして、気づいてしまえば、自分ではどうしようもなく思いが高まって止まらない。
(ついてないな……光の速さで失恋なんて)

折り曲げた膝の上に、頭を乗っけて、心の中で呟く。
胸が潰れそうなほど痛くて苦しいのに、なぜか場違いな苦笑が漏れる。
(バカみたい……)
空を仰ぐように、伏せていた頭を上げる。
それでも、真緒の涙の雨が止むことはなかった。



prev next
back


azulverde