第15話




「真緒!急にどうしたの?」
本田家のチャイムを鳴らすと、驚いた顔で沙雪が出てきた。普段はばっちりメイクしてるが、今日は素顔のままだ。家にいるから当たり前なのだけれど、久しぶりに見る沙雪のすっぴんが何だか新鮮で、真緒はふふっ、と微笑む。
「さっちん……ッ」
それが気持ちと共に涙腺を緩めたのか、思わず涙が零れる。そのまま、真緒は沙雪の首にぎゅっとしがみついた。


「ふぅん……そんなことになってたのね」
真緒の話を一通り聞き終わったあと、沙雪が頬杖をつきながら、呟く。
「黙っててごめんね。なんか自分でもよくわかんなくって」
話を終えた真緒が、申し訳なさそうな顔で沙雪を見る。
今までのいきさつ(といってもさすがにキスのことは話せなかったけれど)を吐き出して、少しだけ心が軽くなった気がした。
「つか、荒北!アイツなんなの!殴ってやりたいわ」
綺麗に整えた眉をつり上げて沙雪が悪態をつく。
「さっちん?!」
「冗談よ。ていうか、あたしが何言っても、真緒は好きなんでしょ?荒北のことが」
少し呆れたように、沙雪が笑う。真緒は小さく、しかしはっきりと頷いた。

「あーもう!なんで荒北なのー!アイツよりいい男なんていっぱいいるじゃん!」
やっぱり、おもしろくない、という不満を包み隠さず、沙雪が口を尖らせた。
「そんなことない!荒北くんて優しいし、すごくカッコいいんだから!」
沙雪の言葉を聞き捨てならない、とばかりに真緒が身を乗り出す。
「うわ、恋は盲目って本当なんだ……」
「もう!さっちんてば!」
「ごめん。真緒があんまりむきになるから、ついね。でもさ……」
「でも……?」
「本気で好きなんだね、荒北のこと」
「うん。大好き……ちょっと自分でもびっくりするくらい」
頬をほんのり赤くして、真緒が小さく呟く。その横顔が恋する乙女以外の何者でもなくて、沙雪は密かに微笑んだ。
「……真緒はさ、これからどうしたいの?」
「よくわかんない。荒北くんが好きだけど、告白するのが怖いの。昨日のことも聞きたいけど……」
「聞くのが怖い?」
沙雪の言葉に真緒は黙って頷く。
「らしくないわね。うじうじ悩んでるなんて」
「だって……」
「あたしの知ってる真緒はいつだって、自分の気持ちに素直に行動してたけど?」
真緒の顔を覗き込みながら、沙雪が挑むような視線を送る。
「……」
「卒業まであと半年だよ?悩んでる時間もったいなくない?」
ノーメイクでも充分、目力のある沙雪の瞳が真緒を真っ直ぐ捉えた。
「さっちん、相変わらず厳しいなぁ……でも、なんか勇気でたかも」
ありがとう、と真緒がふわり、と笑う。
「あ、やっと笑った」
沙雪が少しからかうように真緒の頬を指でつついた。



翌日の放課後――
真緒は緊張した面持ちで、旧体育館裏のいつもの階段で荒北を待っていた。足元にはもうすっかり懐いたビアンキがその小さな身体を擦り寄せるように、ちょこんと座っている。それがまるで、頑張れって言ってるみたいで、少し気持ちが安らいだ。
昨日、沙雪の家から帰ってすぐに、荒北にメールした。
「明日の放課後、話したいことがあるので、旧体育館裏に来てください」
たったこれだけを送るのに、何度も消しては書き直すことを繰り返した。送信ボタンを押す手が震えていたことが、真緒の緊張の度合いを示していたと思う。
「了解」
ほどなく、荒北からシンプルな返事が届いたとき、もう引き返すことはできない、と真緒はもう一度心の中で覚悟を決めた。


「悪ぃ。遅れた」
頭をがしがしと掻きながら、荒北が近づいてくる。少し猫背気味の特徴的な歩き方は、遠くからでも彼だとすぐわかる。
真緒の心臓が、どくん、と大きく脈打つ。
「何?話って」
「荒北くん、あのね、昨日……」
小さく呼吸を整えてから、正面に立った荒北の顔を真っ直ぐみて、真緒が口を開いた。
「昨日のことなら謝るつもりねぇから」
真緒の言葉を遮って、荒北がしれっと言い放つ。
「え?」
予想外にも程がある荒北の言葉に、真緒は目が点になった。一体何を言ってるのか、正直よくわからない。
「だからァ、昨日、その、アレだ……キス、したことは謝らねぇって言ってンの」
「ひ、ひどい!」
二度同じ事を繰り返されて、ようやく荒北の言葉を理解した。と同時に、あまりに酷い彼の言い様に、思わず大きな声を上げる。
「あ?」
「そんなの自分勝手すぎるよ!荒北くんは冗談のつもりでも、私は――」
込み上げてきた怒りのままに抗議するも、思いが溢れて、言葉につまる。
本当になんて酷い人だろう。なのに、まだこんなに好きなんてバカみたい。好きが止まらなくて、自分がいたたまれなくなる程に。
「冗談じゃねぇよ!あんなん好きでもねぇヤツにできっか!バァカ!」
「ッ……!!」
急に降ってきた信じがたい、でも夢じゃない荒北の言葉に、真緒の目がこれ以上ないほど見開かれる。不意に、今まで張りつめていた気持ちが緩んで、真緒の目に大粒の涙が溢れた。
「おい、なに泣いてんだよ!泣くな」
んな泣くほど嫌なのかヨ、マジか、つか、オレが泣きてェわ、と、真緒の突然の涙を目の当たりにして、一人オロオロしながら慌てる荒北が可笑しくて、愛しくて。
真緒は想いを込めてぎゅっと、彼のシャツの裾を掴んだ。
「わたし……も、好き……っ」
本当は真っ直ぐ目を見て伝えられたら良かったのに、そんな余裕は全然なくて。俯いたまま、ようやく絞り出すように掠れた声で真緒が呟いた。
「ば……ッ、早く言え、ボケナス……!」
俯いた頭ごと、ぐいっと引き寄せられ、荒北が真緒を掻き抱く。抱き寄せられた腕の力強さとは裏腹に、髪に優しく口づけられ、真緒の心が震える。今こうしてるのが夢みたいで、幸せで。
頭の中が混乱して、気持ちがコントロール不可能になっているせいか、涙があとからあとから零れ落ちて止まらない。
「……つか、泣きすぎじゃね?」
あんまり泣きすぎて、嗚咽で肩を揺らす真緒の頭をぽんぽんと撫でながら、堪らず荒北が困ったように喉の奥をくつくつと鳴らす。
「……ッ!?」
「こっち見んな!バァカ。大人しくしてろ」
何笑ってるの、と顔を上げようとした真緒の頭を、慌てて荒北が、ぐっと自分の胸に押しつける。
茹で蛸みたいに耳まで真っ赤になった顔をさとられないように、荒北が真緒を抱く腕に力を込める。
より一層、間近になった荒北の心臓の音を聞きながら、真緒もまた、そっと彼の背中に腕を回した。
さっきまで、真緒の足元にいたビアンキは、いつの間にかどこかへ姿を消していた。



下校時刻を過ぎた放課後の誰もいない校舎。
黄昏時の柔らかい光が射し込む中、長く伸びた二つの影が仲良く並んで歩く。
そういえば、以前もこんなことがあったっけ、と真緒は隣の荒北をそっと窺う。以前と明らかに違うのは、二人の手と手がしっかり絡んで繋がっていることだろう。
まさか、あのときは、荒北と自分がこんな風になるなんて想像もつかなかった、と真緒は思う。そう考えると、今こうして手を繋いでいることが奇跡みたいで、嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちが込み上げてきて、自然と笑みがこぼれる。
「何笑ってんだヨ」
気がつけば、今まで黙りこくっていた荒北が、怪訝そうな顔でじっとこっちを見ていた。
お世辞にも愛想がいいとは言えない眼差しが、いつもより優しく見えるのは、気のせいじゃないと思う。

「内緒……」
「はァ?ンだよ、変なやつ」
「いたッ……!」
「るっせ」
ふふ、と少しもったいぶった笑みを浮かべた真緒の頭を、荒北が小突く。こういうところの容赦のなさは、前と全く変わらない。でも、それがまた堪らなく嬉しいとか、本当に恋は盲目なのかもしれない。
「うん。やっぱり、ひどいと思う」
藪から棒に、真緒が強く頷きながら荒北を見た。
「あ?」
「私、あれがファーストキスだったんだけど?」
「なっ!バカ、何言ってやがんだ」
真緒に上目遣いでじっと見つめられ、荒北が慌てふためく。
「もうちょっと、こう、ロマンチックなのが良かったんだけどなぁ」
なんてね、冗談、と真緒が悪戯っぽく笑った。
「……わーったヨ」
「え?」
「まァ、その、アレだ。そのうちな……って言わせんな!ボケナス」
「……うん」
相変わらずの口の悪さだが、真っ直ぐな荒北の言葉に、真緒がはにかんで頬を赤くした。あんまり嬉しすぎて、にやけた顔が戻らない。
好き、の代わりに繋いだ右手にぎゅっと力をこめる。真緒の気持ちが伝わったのか、無言で荒北も握り返す。
そのまま、二人で校門までの道のりを、ゆっくり歩いた。

「じゃあ、また明日、ね」
駅まで送るという、荒北の申し出を丁重にお断りして、真緒がひらひらと手を振る。
本音を言えば、もっと一緒にいたい。
でも、これ以上いたら、きっともっと離れがたくなってしまう、と失われた右手の温もりを思いながら、真緒は唇を噛んだ。
「気ぃつけて」
素っ気ないほど軽く、荒北が手を挙げる。
後ろ髪を引かれる気持ちを隠して、真緒が踵を返した。


「真緒チャン」
少し歩いてから、自転車に乗ろうとした真緒の背中を荒北が呼び止める。
初めて呼ばれた名前の響きと同時に、勢いよく真緒が後ろを振り返った。


「次の日曜、どっか行かね?」


fin


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