Overnight party 1


幸村は庭に出る、と言ったが、厳密には本当の庭に出るわけではない。そもそも千百合は虫が嫌いである。

もっと正確に言うと、ウッドデッキである。
此処を蚊帳付きにする時、父親だけが見目が悪くなるからと反対し、妻、長女からそんな事より虫の方が優先だと押し切られて結局付ける事になった、という些か悲しいエピソードもあったりするのだが。

「はあ・・・」
「ふふ、お疲れ様。静かで落ち着くね。」
「うん。いやまあ、煩いのも偶には良いんだけどさ。」
「分かるよ。でも、それはそれとして疲労は疲労だから。」
「まあ・・・」
「多分、お風呂に入ったら大分さっぱりすると思うよ。」
「ああ、それはあるかも。帰ってきてからも、なんだかんだ汗かいたし。」

確かにダイニングキッチンだってクーラー付けているが、それはそれとして大量の料理というのは重労働なのである。火も使うし、汗だってかく。

「本当に有難う。千百合達だって疲れてるのに。」
「いや、それは流石に。それこそ、一番疲れてるの精市じゃないの。土壇場でひと試合させられたしさ。」

そう千百合が言った途端、ぐ、と幸村の纏う空気が変わったのを感じた。

「・・・・・」
「・・・どしたの。」
「・・・謝らなくちゃいけないと思って。」
「え。何が。」

「ごめん。怖い目に遭わせて。」

そう言う幸村の顔は真剣だった。

ごめん。
怖い目に遭わせて。

「・・・・私が狙われたから的な話?」
「うん。まさかあんな手で来るなんて。スカウトの件で、巻き込みには一層気を付けないとと思った所だったのに・・・」
「いや。それは流石に精市に謝られる事じゃないじゃん。あれはああいう手を使う方が悪いのであってさ。」
「でも、あんな事があったらいけないんだよ。」
「いけないって言ってもさ、」
「千百合、俺はテニスが好きなんだ。」
「・・・それは知ってるけど。」
「千百合の事も好きなんだ。」
「・・・・うん。」

「だから、俺がテニスをやってるせいで千百合や皆が傷つくなんて、そんな事耐えられない。」

「・・・・・・・」
「千百合も皆も、俺のせいじゃないって言ってくれるのは分かってるよ。スカウトの時もそうだった。でも、俺がそれに甘えるようになったらお終いなんだ。」
「・・・・・・・・」

千百合は口を開いて。閉じて。また開いて閉じる。

何か言いたい。言いたいけれど自分の中で整理出来ない上に、幸村の・・・言うなれば覚悟のような物を感じ取って、それに気圧されて、余計に言葉が出てこない。

「本当にごめんね。」
「・・・でも、私何ともなってない。」
「それは結果的にだよ。」
「結果的にどうともなってないのは、精市が守ってくれたからじゃん。それで良いよ。なんで駄目なの。」
「危険があっても守るより、危険になんか最初から遭わない方が良い。そんなの当然だよ。そうは思わないかい?」

千百合はわけのわからない焦燥で涙が出そうになってきた。

幸村の言う事は、いっそ腹が立つくらい正論である。
怪我のリスクなんて、無いに越したことはない。まして必要な苦労ならいざ知らず、巻き込まれての暴力に遭うリスクなんて、殆どの日本人は0のまま暮らせるものなのだ。

それは分かるのだ。よく分かる。
筋の通った話だと思う。

思うからこそ、千百合の悪くない地頭は無意識の内に話の着地点を予想してしまう。

だって。だって。だってだって。
今幸村の言った事に対して、そうだねその通りだねと肯定してしまったら、自然に出てくる結論はーーーーー

「だから、」
「でもーーー」
「千百合、聞いてくれないか。


俺達は別れなくちゃいけないんだ、もう二度とこんな事の無いように。」


ああ。ほら。
そうくると思ったんだ。

そうだろう、そりゃあそうなんだよ。
幸村のテニス絡みのトラブルは、言うなれば幸村だからーーー幸村のスペックが引き寄せるトラブルなのだ。

だから、それを避けようとするのなら、幸村の傍に居ないのが一番安全という事になる。
実際、スカウトにしろ今回にしろ、千百合が恋人でなかったら避けられた事態であろう事は想像に難くない。
ただの友達であれば比較的安全側に居られるのは、実際異性の友人である紀伊梨や紫希を見ていれば分かる。

分かる。
そうだ、千百合にだってその理屈は分かるのだ。

(でもーーーー)

思わず顔を伏せると、堪えてた涙が落ちそうになった。

分かる。分かるよ。
幸村ならそう結論を出すだろう。

だって幸村は千百合と同じくらい、テニスだって愛してるのだから。
テニスも愛するなればこそ、愛する物が愛する者を傷つけるなんて事にならないようにしたい。そう思う心理だって分かる。
其の為にはもう、2つの距離を置くしかないのだ。

(でもーーーー)


でも。
でもそんなの。


(でもーーーー!)


「でも、ごめんね。」


「え、」

強い力で抱き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられた。

ぱしゃ、と軽い音がして、持っていた麦茶が庭に零れた。
その拍子に、千百合は涙を堪えるのを束の間忘れてしまって、ぽろぽろぽろ、と涙が次から次へ出てきてしまう。

「ごめんね。」

幸村の囁くような声が耳元に落ちてくる。


「それでも、千百合が好きなんだ。離したくないんだ。
どんなにそうした方が良いって分かっていても、どうしても出来ない。
絶対に千百合を守ろうって思ってたのに、矛盾してるって自分でも思うよ。
何度も何度も考えたけど、それでも駄目だった。
俺はテニスがないと駄目だけど、同じくらい千百合も居てくれないと嫌なんだ。
だから、俺からは言えない。
千百合の方が嫌になったなら、それは受け入れないといけないと思うけど、俺からはどうしても別れようって言えない。


・・・・君が好きだ。」


聞き終えた瞬間、両手に力を入れてぎゅっとしがみついてしまった。
肩に目を押し付けると、涙が滲んで冷たくなった。

「びびらせないでよ・・・」
「ごめんねーーー」
「そうじゃなくて!こっちはさ、こっちは、別れるって言われるんじゃないかと思って、思ってっていうか、実際そういう結論出してた、じゃんか、」
「うん。でも普通はそう思うというか、やっぱり最善手としてはそうなんだよ。俺は選べなかったけどね。」
「私だって選ばないわそんなもん!」

なんだか段々腹が立ってきた。
脅かされただけじゃないか。

「そんな、さ、・・・そんなの今に始まった、事でもないし、有名税みたいな、もんで、」
「でも、許容してくれとは言えないよ。俺の方からは流石に。」
「するしかないでしょ・・・っていうか、もう、どうしようも無いでしょ、プロテニスプレイヤーとアイドルの近くに居ようと、思うんだったらさ、もうしょうがないじゃん、」

千百合だってこの手のトラブルが好きなわけじゃない。
でも、有名人が近くにいる以上、もうどうにもならないと思う。
幸村と紀伊梨は、これからきっと有名になっていくだろう。でも、それでも傍に居たいと思うから。

確かに、ここまで直接攻撃みたいな事は今までされた事はなかった。
そういう怯えは確かにあった。ここまで来たか脅し文句、みたいな感じはした。
したけど。

でも、幸村は自分を最後まで守ってくれる。
それが分かっているなら、自分の身の事なんて怖くない。

「はあ・・・怖がって損した。」
「ごめんね、」
「悪いと思ってるんだったらもう二度とこんな話しないで。」
「・・・・そうだね。そうするよ。」

千百合を抱きしめなおして、幸村ははいの返事をした。

このままで居てくれる事を愛しい千百合が良いと言ってくれるのなら、後はもう迷っている暇はない。
迷いは自分の足を引っ張る。腹を括って進むしかない。

「これからも、危ない事はあるかもしれないけど。」
「・・・・うん。」
「俺がさせないから。」
「うん。」
「一緒に居て欲しい。」
「うん。」

「・・・こっちを向いて。」

どうして、と言われると説明は出来ない。
それこそ丸井じゃないが、なんとなくとしか言いようのない感覚。

こっちを向いて。
そう言われた瞬間、その通りにしたらどうなるか分かった。

分かっていて、そのようにした。

もう涙の止まった千百合の目には、夜でも綺麗な紫色である事が伺える幸村の瞳が映る。
今まで何度も見てきた瞳。
今まで色んな感情を乗せて、千百合を見てきた瞳は、今初めて見るような色をしている。

自分もそんな目をしてるんだろうか。


「ん・・・・」


静かに静かに、唇が重なった。




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