Family moments 2:My dream 2
紀伊梨は緊張と基本無縁の性格をしている。
だから夜のイベントで歌う事になっても、別に緊張して他の事が手につかないとか、そういうのが全然無い。
極めて普通にぎりぎりまでビーチで遊び、夕方になって準備を始め、空の色が暗くなり始めた頃に紀伊梨は家族と共にイベントの会場まで来ていた。
「そもそも、そのリラさんってどんな人?イギリスで売れてんの?」
「えーと?・・・リラ・ターナー15才・・・あ、この子だ!」
「どう、母さん?」
「うーん・・・イギリスでは、普通。くらいかなあ?多分ね。」
「へー。」
「じゃあ、日本人のあたし達は、あんまり知らないね?」
「そー!そーなんだよー、紀伊梨ちゃんリラちんの歌をスマホで買おーと思ったんだけどさー、何か見つけるの難しくて・・・あ!乾っちー!」
「やあ。」
少し離れた所に乾が立っていた。
先に来ていたらしい。
「あり?乾っちのおかーさんとかおとーさんはー?」
「あっちに居るよ。この辺りの方が見つけやすいかと思ってね。」
「乾君、こんにちは!今朝はごめんね、紀伊梨ったら朝遅くってもー・・・」
「おかーさんだって寝てたでしょー!」
(わあ、頭良さそう!)
(紀伊梨と同い年くらいなのに・・・)
(紀伊梨姉ちゃんって、自分は賢くないのに賢い人が不思議と集まるよなあ。)
「え?皆何か言った?」
「「「何も。」」」
「?まあ良いや!で?リラちんは?」
「まだ来ていないらしい。一緒に行こうかと思ったんだが・・・心の準備が要ると断られてしまった。」
「(居るわよ。)」
一同が振り向くと、五十嵐家の後方にリラが立っていた。
更にその後ろには、リラの両親らしき2人。
どことなく微妙な顔なのは、紀伊梨や乾が云々というよりも、歌手としてやり直す方向に舵切りしようとしている娘への不安の表れであろう。
正直、リラだって気丈に振る舞っているだけで、不安はある。
本当に出来るのか。もしこのステージで失敗したら、今度こそ歌手であろうとする自分の心は木っ端微塵になるかもしれない。
逃亡も怖いが、挑戦も怖い。
紀伊梨を巻き込んでいなければ、逃げたかもしれない。
自分で呼びつけておいて自分が出てこれないなんて、という気持ちが最後の一押しになってリラは此処に居るのである。
「リラちんやほー!よしゃよしゃ、これで揃ったから歌えますな?えーと?」
「(これで歌えるのかと聞いているが、どうなんだ?)」
「(もう少し待って。この後、客席からゲストを選ぶ時があるから、それに立候補する。)」
ちらり、とイベントのステージを見やるリラ。
野外に据えられた仮設ステージでは、今DJがアメリカで流行っているナンバーで客を揺らしている。
もう30分程待たねばならないだろう。
乾が通訳すると、紀伊梨がえー!結構待つじゃーん!と言った。
日本語の分からないリラでも、紀伊梨が不服な事は伝わってきた。
緊張していないことも、伝わってきた。
イベントの進むステージ。
その前に広がる客席の、最前列とは言わないまでも、そこそこ前の方に紀伊梨達は位置している。
かなり真ん中の席に紀伊梨、乾、リラの子供3人が揃って座る。
その斜め右後ろに五十嵐家が、斜め左後ろにターナー夫妻が着席。
乾夫妻は視認できない位置に居るが、そもそもこの夫妻はしっかりしている我が子なので、左程心配していない。ステージに立つわけじゃないし。
「・・・・・・・」
そろそろだ。
その時が迫るにつれ、リラの心臓は嫌な音を立てる様になってきた。
乾もそれを察して、なるべく静かにしているが、紀伊梨だけは全然意に介していない。
リラの事なんか忘れてるのではと思われるくらい、ただただステージのパフォーマンスに全力で乗って全力で拍手して、いぇーい!と叫びながら食事を食べ。
「・・・時に、聞きたいんだが。」
「ほ?」
「そんなに食べていて、大丈夫なのか?こう・・・気分の問題でというか、気分が悪くなったりという事は、」
「えー?紀伊梨ちゃんいつも、ライブの前でもお腹いっぱい食べるお?」
「・・・そうか。」
「(何を話したの?)」
「(ステージの前にそんなに食べて大丈夫なのか尋ねたんだ。いつも満腹まで食べるから、問題ないらしい。)」
「(信じられない・・・)」
片手で目を覆う仕草をするリラに、乾はやはり普通はこうはならないのだと一つ学んだ。
「(有難う御座いました・・・・さて、ではここいらで次のパフォーマンスへと進みましょう。今からズバリ、観客席のお客様・・・そう、貴方達ですよ。どなたかに歌って頂きます、さあ誰か!我こそは、という方は?)」
きた。
リラがはっとステージを見つめるより早く、思わずきたか、と乾の呟きを拾った紀伊梨の手が上がった。
「はーい!あ、イェース!イェスイェスー!へいへーい!」
「(ちょ、ちょっと、)」
「え?何?」
「(おーっと、これは可愛らしいお嬢さん!自信がありそうだね?ではどうぞ!ステージの方へ!)」
嘘でしょ、とリラは内心で呟いた。
本当に紀伊梨には一切の躊躇いがないらしい。
英語がわからなくても手招きされてるのは分かるので、紀伊梨はすぐさま立ち上がり、まだ戸惑いから動けないリラの腕を引く。
「さーさー、行くぜリラちん!」
「(ま、待って!ちょっと貞治!思いとどまる様に紀伊梨に、)」
「(しかし、目的はこれだろう?)」
「(そうだけど、)」
「(こういった事は、勢いも案外馬鹿にならないものだ。)」
「・・・・」
「あり?リラちん、どったの?トイレ?」
「いや、問題ないらしい。行ってくると良い。」
「そう?よっしゃー!行こー!」
こんなにがたがたな状態でステージに向かう事なんて、リラは覚えがない。
ステージというのはもっとこう、深呼吸して、全力を出し切るためにメンタルを整えてから向かうものじゃないのか。こんな押せ押せドンドンな状態で、なんて思う間に、もう自分の足は仮設ステージの階段を上がってしまう。
「(ヘイ!お名前は?)」
「へい!えーと?」
「(・・・リラ・ターナー。紀伊梨、名前よ。名前。)」
「ネーム?あ、お名前!五十嵐紀伊梨ちゃんです!英語だと、紀伊梨・五十嵐ちゃんです!紀伊梨だよ紀伊梨!皆覚えてねー!」
(これは純粋に感心するな。)
乾は観客席に残っているだけに、観客の様子が手に取る様に分かる。
周りの客は、皆方向は違っても、今確かに紀伊梨に着目している。
皆口々に可愛い子だな、なんて言って笑ったり、紀伊梨?紀伊梨って言う名前なの?なんて確かめあったりしている。
「(ははは!元気な子だね、どこから来たのかな?)」
「???えーと?」
「(私はイギリス。彼女は日本人よ。此処に来てから友達になったの。)」
「(おお、日本!そうか、どうも英語じゃないと思ったら、日本から!)」
「あ、今のは聞こえた!ジャパンジャパンー!」
「(そうか、では異国で友情を育んだ2人のプリティーガール達は、何を歌ってくれるのかな?)」
「(あ・・・・!)」
そうだ。
何を歌うか決めていない事に、リラは今気づいた。
いや、普段のリラならとっくのとうに気づいていたような事だった。
極度の緊張と不安が、リラからこんな初歩的な事を考える思考能力さえ奪っていた。
「(え、ええと・・・・)」
「え?何々?」
「(曲よ、曲!分かる、曲よ!とはいっても、紀伊梨は日本語しか出来ないし・・・・)」
正確に言うと、紀伊梨は英語の曲でも歌える曲はあるといえばある。
しかし、何せ今紀伊梨とリラは通訳なしでお互いに会話が出来ない。
何が歌えて何が歌えないかの打ち合わせなんて出来ないし、紀伊梨が英語不可(とリラは思っている)である以上自分が合わせねばとリラは思うが、自分が知っている日本語の曲など、この状態で直ぐには思いつかないしーーー
「すきやき!」
助け船を出したのは、母の皐月だった。
「(私、すきやきが聞きたいでーす!リラちゃん、歌えるかな?)」
「すきやき?」
「上を向いて歩こう、だよ紀伊梨!」
「あ、きゅーちゃんの奴ー!リラちん、歌える?」
「・・・・・」
上を向いて歩こう。
すきやき、というタイトルで海外で知られるこの曲は、おそらく日本の曲で一番知られている曲の一つ。
「(・・・ええ。)」
「はい?って事はいける?よしゃ!じゃーそれで行きましょー!」
「「「「「Yeah!」」」」」
乾の周りで、観客達がざわめく。
すきやきよ、すきやきだ、日本人が歌うすきやきがセーシェルで聞けるなんて。
完全に話題をさらっているのは紀伊梨側の方だが、この場合は却って良かったかもしれない。
今のリラは、自分に注目が集まりすぎるのをストレスとしか捉えられないだろうから。
「よ−し、行くよー、」
すう、と紀伊梨が息を吸う音を聞いて、リラも息を吸った。
「「・・・上をむーいて、あーる、こーーーう♪
涙が、零れ、ないよーーうに♪」」
リラは一度だけ、歌詞の意味を調べた事がある。
その時は、変な歌詞だと思った。
涙を零したくないまではわかるが、其の為に取る手段が上を向く事だなんて、小さい子供の発想だわなんて思った事を、今でも覚えている。
「「・・・上をむーいて、あーる、こーーーう♪
にじんだ、星を、数えーーて♪」」
でも、今なら分かる。
(春の日も、夏の日も・・・一人ぼっちで誰も居なくても、泣けてきても泣きたくない日だってあるの。)
そんな日には、上を向いて歩く。
悲しみに沈む自分に負けないように。自分以外誰も自分を助けられない、そんな時に負けてしまわないように。
上を見上げて、泣いてない泣いてない。
そんな空元気が必要な時だって、あるの。
今は紀伊梨が隣に居てくれるけど。
「「一人ぼーっちの、夜ー・・・♪」」
またきっと、一人の瞬間は訪れるから。
自分は、歌手だから。
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