Learn 2


練習が終わっても、まだまだ可憐の一日は終わらない。
何時もなら終われば帰るけど、今日はこれからもうひと頑張り、テニスのお勉強である。

しーんとした部室棟。
他に誰か居るのか。もしかしたら居るのかもしれないけど、部室棟が広すぎて居る人数は少なすぎて、お互い以外の気配が全然感じられない。

「で、そういう時にシングルスやったら迷わず前へ出る所や。けどダブルスやったら後ろへ下がって、相方がこう出た所のカバーに入るっちゅう選択も出来んねん。」
「えーと・・・その場合、相手選手はこっち?あ、待って!相手もダブルスだから、1人はこっちで、もう1人は、」

奥深きかなテニス道。
勉強そのものは至ってスムーズに進んでいるし、可憐の呑み込みスピードだってなかなかのものだが、全然追いつかない。
何か一つを学んだと思ったら次に学ぶ事が出てきて、それを学ぶとその次が出てきて、以下延々繰り返し。

「もう1人は・・・こっ、ち?」
「惜しい。そっちへ行くと、味方側としてはこの辺に落としたい、いう心理が働くのは相手も分かってんねん。やからこういう場合は、相手は大概こっちに行きよるわ。」
「な、成程・・・!」

さっきからこんなんばっかりである。

分かった!さっきの話からするとこうじゃないか?
いえ、違います。この場合はこうなので、そっちではなくこっちが正解です。の、繰り返し。

全然全貌を掴める気がしない。定石の数が多すぎて。

(むむむ・・・)

何がむむむだとか言われそうな顔で悩んでいると、忍足がフッと笑ったのが気配で分かった。

「ちょっと休憩しよか。」
「うんっ。」

パタ、とペンを置いてふーー・・・と息を吐く。
ああ疲れた。

「お疲れやな。」
「あ!ううんっ!忍足君こそごめんねっ!部活の後で疲れてるのに・・・」
「そんなん全然。俺も知らんかった事あるし、良い機会やわ。」

(え、あんなに淀みなく質問に答えてるのにっ?)

恐るべし忍足の頭の回転の速さ。頭が良いのは知っていたけど、普段から勉強の類は得意なのだろう。

「・・・あっ!そうだ忍足君っ!ちょっと待って!」
「ん?」
「あのねっ、鞄の中に・・・あっ!ちょ、ちょ、」
「おっと。」
「ごめんなさい・・・!」

ええよ、と忍足は何時も優しい声音で返してくれるけど、やっぱり情けない。
ちょっと鞄の中の物を取るだけで、いちいち中の教科書を零し落としそうになるなんて。

「ええと、あ!あった、あったよっ!」

可憐が出したのは、小粒のチョコレートだった。

「はいっ!疲れた時には甘い物っ!」
「おおきに。チョコレートとか食べるん久しぶりやわ。」
「そうなのっ?あ、でも男子って甘い物そんなに好きくないかなっ?」
「それはまあそれぞれやろなあ。最近は、甘い物好き公言してる男子も居るし。」

まあそれはそれとして、忍足自身はそこまで言うほど好きなわけじゃない。
嫌いなわけでも無いけど、自分から進んでは買わない。
だからこんな機会でもないと、チョコレートなんて口に入らないが。

(・・・美味いわ。なんちゅうか、沁み渡るわ。)

疲れた時には糖分取れよというのは科学的にも立証されてる事だが、こうして食べているとあれは本当だったんだなあと実感する。

「美味しいっ?」

忍足はハッと我に返った。
いけないいけない。今完全に、口の中のチョコレートの味にしか意識が向かってなかった。

「うん、おおきにな。」
「そう?良かったっ!」
「自分やとなかなか食べへんしなあ。」
「勉強中とか欲しくなったりしないっ?」
「どっちかっちゅうと、ブラックのコーヒーとかが欲しゅうなんねん。」
「あ、似合うねっ。忍足君っぽい!」
「俺、どういうイメージなん?」
「えー?えっとね、なんかこう、大人なイメージというか、学生が勉強してるっていうより大学生くらいのお兄さんがするような振る舞いで勉強してる感じかなっ。落ち着いてて、優雅で、」

(男に向かって優雅て。)

なんか色々間違ってないか、と網代相手なら迷わず突っ込むが、可憐はあくまで真面目に、褒め言葉としてそう言ってるのが分かっているので突こうにも突けない。

(でも優雅・・・優雅言うたら、どっちかいうと跡部の方ちゃう?)

「・・・いや、あれは「華麗」やな。華美な所が。」
「え?」
「何でもあらへんよ。」
「そう?」
「可憐ちゃんは、年相応っぽいな。」
「そ、それは子供っぽいって事?」
「ちゃうちゃう、普通に可愛い女子中学生って感じで勉強してるんやろなと思うてん。ココアとか飲んでそうやわ。」
「当たりだ・・・!忍足君凄いねっ!」
「寒い時とかは膝掛とか使うてみたり。」
「おお!」
「偶に、ペットの猫が邪魔しにきたり。」
「あ!惜しい、犬なんだよっ!部屋の前でね、きゅうきゅう鳴いて私の事呼ぶんだっ!」

可愛いんだよっ、と言って思いだし微笑みする可憐の笑顔は、見ているとこっちの顔まで綻んでくる。

「名前なんて言うん?」
「ショコラですっ!ミニチュアダックス!」
「可愛い名前やな。ええと思うで。家族の誰かが、めっちゃチョコレート好きとか?」
「・・・・・」
「可憐ちゃん?」

可憐はすごく言い難そうに忍足から視線を外した。

「・・・ショコラが来たのは、私の一昨年の誕生日だったんだけど。」
「おん。」
「お父さんとお母さんが私を吃驚させようとして。」
「・・・・・」
「何の前振りも無しにいきなりショコラを家の中で放して、私吃驚し過ぎて、その時食べてた誕生日ケーキのショコラショートが喉に詰まって・・・」

だから、ショコラ。

「・・・ぷっ、はははははは!くくくくく・・・・!」
「もうっ!だから嫌なの、この話するのっ!」
「ほんまにごめんな、でも・・・はははっ。ごめんな、堪忍な、」
「良いよもうっ!もう慣れたもん!」

この話をすると、皆漏れなく笑うのだ。
良い持ちネタという見方をしようと思えば出来るけど、ドジの話なんてしたいもんじゃないじゃないか。


カン!


「んっ?」
「?」

今何か音がした。
そしてパタパタと走り去る誰かの足音も。

足音はまあ良い。
もう遅いし、居残っていた誰かが時間も時間になっている事に気づいて、やべ!早く帰らないと!と慌てて帰宅したのだろうと予想は着く。
しかし。

「今カン!って言ったよねっ?」
「言うたな。なんやぶつかったんやろか。」

2人は座っていた椅子から立ち上がり、入口の扉を開けた。

と。

「あ・・・」

開けたと同時に、コン、コロコロ・・・と音がした。
開けた扉に弾かれて、廊下を寂しそうに転がったそれは。

「わあ、綺麗だねっ。」
「トンボ玉やな。多分さっき走ってった奴のストラップかなんかで、切れて落ちたんやろ。」

そして急いでいたので落ちた事にも気づかず、走り去ってしまった。
まあそんな所だろう。推測だけど。

「誰かなっ?」
「誰やろ。青いトンボ玉なんて誰でもつけてそうやしなあ・・・」

これが例えば某次期立海のエースになるワカメ頭少年が持つような、ウンチのキーホルダーとかだったら、少なくとも多分男子の誰かだろうなとか性別の判断は出来たのに。

「・・・まあ、そんなありふれたもんでもないし、間違いなく部の人間やし。落し物として連絡したら、すぐ分かるやろ。」
「あ!そっかそうだよねっ!」

忍足の手の中でキラキラ光る青いそれに、良かったね、直ぐ帰れるよ、と内心で呼びかけてみた時。

キーン・・・コーン・・・

「・・・って、えええっ!?もうそんな時間っ!?」
「切り上げ時やな。帰ろか。」
「ま、待って待ってっ!あ、あわわっ!」
「慌てんでええから。」

何時ものやり取りをしながら片づけ始める可憐と忍足。
トンボ玉の行方は、又明日。


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