Aroma
入学式の日のランチタイム時に5人で決めた事がある。
それは、「週に1回はなるべく5人で集まってご飯にしよう」という事。
なるべくで良い。
クラスの友達だって大事だし、特に幸村などは大会が近くなってくるなどしたら、昼休みも部活関係の事に追われるかもしれない。
でも、この曜日になったら皆が待っていると思うと嬉しいよね。
そう紀伊梨が言い出したのが発端となって決まったことだ。
今日は入学して、最初のその曜日。
そしてもう1つ、嬉しい日。
(千百合ちゃん、今頃は合流してるでしょうか?)
紫希は昼休み、弁当と、ナイフを入れておいたパウンドケーキを抱えて廊下を1人歩いていた。
千百合は直前にやった班別での理科の実験が長引いて、チャイムが鳴っても後片付けに追われていた。
だから紫希は手伝わなかった。
手伝わないで・・・幸村に千百合を迎えに行ってくれと頼んだのだった。
有難う、行ってくる、と言って理科室へ向かう幸村はそれは嬉しそうで、紫希はその幸村の笑顔だけで大満足だった。
(千百合ちゃんには怒られるかもしれませんけど・・・大丈夫ですよね?)
千百合だって幸村が好きだ。
だからきっと喜んでくれるだろう。
そんな事を考えながら歩いていた時だった。
「・・・・あ!」
紫希は思わず駆け寄った。
廊下の掲示板。
そこに貼られているポスター。
ビードロズのポスター。
そう。
今日はビードロズを立海にアピールする、ファーストステップの日。
(やっぱり、嬉しいですね・・・)
こうして、掲示板にポスターが貼られていると、学校に受け入れて貰い始めたのだという実感が湧く。
此処だけじゃない、他の場所にももう貼られているはずだ。
皆見てくれていたら良いな。
興味を持ってくれたら良いな。
始まりの予感に胸を躍らせて、紫希は幸せな気分で、暫しポスターを見つめるのだった。
そのほぼ同時刻。
丸井は購買へと向かっていた。
持たされてる弁当?それって1限と2限の間に腹に納まるものでしょう?
今日はカツサンドにしようかなフルーツサンドにしようかな、なんて考えながら階段を下りて、進む方向を向いた先。
(・・・・なんだありゃ?)
偉く幸せそうに壁を見上げる女生徒が居た。
一体何がそんなに喜ばしいのだろうかと思いつつ、通り道なので自然と距離は近づいていく。
そして、丸井にも見えた。
今朝も見せられたそれ。
(ああ、ポスターか。)
ビードロズの学内宣伝ポスターである。
丸井の脳裏に、紀伊梨の発言が過ぎる。
『ブンブンバカにしてるなー!?これでも私達、小学校では普通に人気あったんだかんねっ!』
本当かよ、なんて思いながら話半分に聞いていたけれど。
(本当に居たみたいだな、熱心なファン。)
そう、例えば。
愛おしげにポスターを眺めている、其処の女の子のように。
(しゃーねえな!教室に帰ったら五十嵐に教えてやるか!)
ライブ待ってる人が居るんだから。
ちゃんとやれよ、なんて。
クスッと笑いながら丸井は背を向けている女生徒のーーーというか、紫希の後ろを横切った。
「・・・・・・」
そして引き返した。
丸井の中で、脳内会議が始まる。
おい、これはアレだぞ。
ほら、アレ。
アレだよ、アレ。
「抹茶の匂いがする・・・」
「え・・・!?」
紫希は思わず言葉を失った。
抹茶の匂いと言われ、それはひょっとして私の事でしょうかと思い後ろを振り向いたら、心臓が飛び出そうになった。
知らない男子生徒が居る。
いや、居るのは別に全然良いのだが。
(ち・・・近い近い近いです!)
本当に真後ろに立っていた丸井の、予想外の顔の近さに紫希は慌てふためくが、丸井はそんな事意に介さないで、すんと鼻を小さく鳴らした。
「後ホワイトチョコの匂いもする。」
(どうして分かるんです・・・!)
ハンカチに包んであるから、パウンドケーキを持っているなんて分からない筈なのに。
匂いというけれど、此処まで完璧に当てられるものだろうか。
紫希は不思議で仕方がない。
「それ?」
丸井にパウンドケーキをピンポイントで指さされて、紫希はちらりと本気でエスパーを疑った。
「あ・・・正解、です。」
「お、やっぱりな!」
そう言ってニッと笑う丸井の笑顔に、紫希は少し落ち着きを取り戻した。
悪い人では無さそうだ。
びっくりはさせられたけど。
「何処の?」
「へ?」
「店だよ。何処で買ったんだ?」
「あ、いえ。これは買ったんじゃなくて・・・」
「あ!もしかして手作りか!」
「はい・・・」
「あちゃー・・・そんじゃあそれは食えねえな。」
幾ら丸井でも、見も知らない女子にお菓子を集ったりはしない。
しないけど。
(・・・・なんだか凄くしょんぼりしている気が・・・・)
それは気の所為では無い。
実際しょんぼりしている。
美味しそうな匂いがしたのに、それを自分が食べる機会は無いのだと思うと、とても。
(・・・・・・・・)
「引き止めて悪かったな。」
「あ・・・」
「じゃあ、」
「あ・・・あの!」
「ん?」
紫希はそうっとハンカチを解いた。
中には丸井の当てたとおり、抹茶ベースにホワイトチョコをねりこんであるパウンドケーキ。
「・・・もしよろしければ、大したものではありませんけれど、お一つ・・・」
「マジか!!!良いのか!?マジで!?」
「あ、で、でもお口に合うかどうか、」
「合う合う!まずいわけないだろい、こんなに美味そうな匂いしてんのに!」
(だろい?)
初めて聞くタイプの口癖だな、なんて思いながら紫希はラップを開けていく。
「でも悪いな、なんか。本当に良いのか?」
「うーん・・・」
普段だったら、流石にこんな事はしないかもしれない。
全然知らない人だし。
でも。
「・・・実はこの間。」
「?」
「全然知らない人が、お菓子を下さったんです。全然知らない、私の為に。」
「へえ、そうなのか?」
「はい。ですから・・・その人にもいつかお礼をとは思うんですけれど、それはそれとして。」
自分もやってみようかと思ったのだ。
全然知らない人たる自分が。
全然知らない目の前の男の子に。
丸井ブン太なる少年が、あの桜降る日にそうしてくれたように、自分も。
「とっても嬉しかったので・・・ですから私も。はい・・・」
紫希はラップを完全に開けて竹串で一切れ取った。
「どうぞ。」
「・・・そっか。おっしゃ!頂きます!」
「あ、あの、本当に不味かったら、」
「なんだよ、心配性だなー。そんな事無いって!」
そう言われたって、自分の作った物が人の口に入る瞬間はいつだってドキドキする。
「・・・美味い!」
「だ、大丈夫でしたか・・・」
「だからなんだよ大丈夫って。」
丸井は苦笑してしまった。
「本当だって、美味いよ。俺は食い物のお世辞は言わねえの!」
「そ・・・そう?ですか?」
「そう。今ある奴全部食えって言われたら俺すげえ喜んで普通に食うぜ?」
ご機嫌さんでもう一口。
「あー、美味い。甘さ加減丁度良いなこれ!砂糖減らしてんだろい?」
「だからどうしてご存知なんですか・・・?」
エスパー持ちなのだろうか、この人は。
訝る紫希の目の前で、丸井は容易くパウンドケーキを平らげてしまった。
「はー、美味かった!」
「お粗末様でした。」
「だーから、お粗末じゃ・・・」
ないって、と丸井が言いかけた時、廊下のずっと向こうからおーい!という声が聞こえた。
「いつ迄待たせるんだ!」
「うわ、やべ!サンキューな、美味かったぜ!」
「あ、ええ・・・」
言うが早いか丸井は少し走りかけたが、クルッと振り向いた。
「お前さ。」
「はい?」
「なんか困った事あったら言えよ?」
「へっ?」
「ケーキのお礼!多少の事なら、助けてやるぜ?」
「え・・・」
「そんな感じで、シクヨロ☆じゃあな!」
「え、ちょっ、と・・・・」
呆気に取られる紫希を置き去りに、丸井は去ってしまった。
(・・・言えと言われましても。)
名前もクラスも分からないのにか。
制服のワンポイントの色で、辛うじて同じ学年である事は分かったが。
まあしかし、特徴は色々あったから、その気になれば探すのは然程難しくあるまい。
あの赤い髪。
お菓子に対する詳しさ。
後、あの口癖。
「・・・だろい。」
さっき初めて聞いたそれは、紫希の舌にとても心地よかった。
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