Encounter 1
音楽室は予約してあると紀伊梨は言った。
だから入口には昼休みの間貸切の旨と、関係者以外入ったらいけんよ、という貼紙がしてあるのだと。
果たしてそれは本当だった。
第3音楽室の2箇所の入口には、2箇所とも見える位置に貼紙が貼ってあった。
しかしそれでもなんとなく、行き慣れない教室と言うのは、新入生は特に腰が引けてしまうもので。
(此処だな?うん、間違って無いよな?)
ちょっとキョロっとして、他に該当教室がない事を確かめてから、引き戸の取手に手をかけた所で、気づいた。
(あれ、電気点いてる?)
という事は、誰かもう中に居るのだろうか。
しかし楽器の音が全然聞こえないのだが。
「・・・・・」
丸井はそろ、と戸を少し開けて、中を覗き込んだ。
瞬間。
(ーーーレモンの、匂い。)
開けてある窓。
其処から入って来る風が、教室を抜けて丸井の傍を通りながら、酸味を想像させられる柑橘の香りを運んでくる。
扉の隙間から見える風景の真ん中には、本を読む女子生徒。
その子は正しく。
「・・・・・・」
丸井はスッと一歩引いて、部屋のプレートを確かめた。
第3音楽室。
確かに音楽室とある。
しかし今部屋に居る彼女の風体は、此処から3フロア分真下ーーー図書室にあるのが相応しい光景ではないのだろうか。
(・・・もしかして、俺と同じ?)
バンドのメンバーじゃなくて、メンバーに観客として呼ばれたのかもしれない。
「・・・おーす。」
彼女の反応は早かった。
丸井が声をかけるとほぼ同時に、本から顔を上げて、真っ直ぐ其方を見た。
そしてその唇が「あ」の形に開くのを見て、丸井はニッと笑った。
良かった。
向こうも覚えていた。
「よ!先週ぶり。」
「こ・・・こんにちは・・・」
丸井とは逆に、紫希は今完全にポカンであった。
真逆こんな所で先日のお菓子ソムリエに再会するとは思いもよらなかった。
状況的に聞きたい事が色々あり過ぎて、逆に何を話せば良いのか分からないでいる紫希の、前の席に丸井は座って体ごと後ろを向いた。
「こないだはサンキューな!」
「へ?」
「ケーキ!美味かったぜ?」
「あ、いえ!大した物では・・・」
ああ、彼女だ。
先日もこうして、褒める度に引いてばかりいたっけ。
「お前何時会っても腰が引けてんなー。いえいえ、とかそんな事は、とかばっかり言うし。」
「そ、そうでしょうか?」
「人見知り?」
「はい、それは間違いなくそうですけれど・・・」
「俺、もう初めましてじゃないと思うんだけど?」
「う・・・」
2度目ましてでも、紫希には充分緊張する回数だ。
予想通りに困った顔をする紫希に、丸井は思わず笑みを浮かべてしまう。
「なあ、お前さ。」
「はい・・・?」
「名前、なんてえの?」
「あ・・・申し遅れました。私、
春日紫希と言います。」
丸井は目を見開いた。
春日。
紫希。
紫希。
「・・・お前が紫希か!」
「え?」
「五十嵐の友達だろい?」
「はい。そうですけど・・・」
丸井はなんだか妙な感慨が自分を包んで行くのを感じた。
この子。
この子が紫希。
五十嵐紀伊梨の友人。
自分がポッキーを上げた。
ポスターを見上げていた。
ケーキをくれた。
レモンの香りと一緒に、本を読んでいた。
(ーーー此奴か)
わけもなく口元がむずむずして、それを隠したくて、丸井は口を開いて喋ることにした。
「・・・俺、丸井ブン太!シクヨロ!」
今度は紫希が丸井と同じ目に遭う番だった。
丸井ブン太。
「・・・貴方が、丸井君・・・」
紀伊梨のクラスメイト。
ポッキーをくれた。
ケーキをあげた。
美味しいと言って笑った。
何かあったら助けてくれると言った。
(この人が・・・)
言い様の無い感情が、渦を巻いて紫希の中に広がっていく。
こうして名を名乗り合う前に相手について知っていた事が多過ぎて、頭の整理がなかなか追いつかない。
それは丸井側も同じだが。
「前は悪かったな。俺、名前言うの忘れちまってて。」
「いえ、そんな!私もボーッとしてしまって、自己紹介出来なくって・・・」
自己紹介。
その言葉の響きにも丸井は笑いが漏れてしまう。
「なんか、あれだよな。今更自己紹介かよって感じもするっていうか?」
「・・・なんとなく、分かります。私達、初めましての時って、何時なんだろう、っていうか・・・」
「な!なんか前から知ってた気するのにな。」
「ええ。私も・・・そんな気がします。」
これは紀伊梨の功績も大きかろう。
あのお喋りが大好きな女の子は、躊躇う事なく丸井には紫希達の話をし、紫希達には丸井や他のクラスメイトの話をする。
最初のポッキーからしてそうだった。
「・・・じゃあ。」
「ん?」
「ポッキーを下さったのって、丸井君なんですよね?」
「ああ、そうそう!五十嵐に一袋分けたんだ。食った?」
「はい。とっても美味しかったです。有難うございました。」
「良いって!そんな大した事じゃねえしよ。それに・・・」
「はい?」
んー・・・と呟いて丸井は頬を少し引っ掻く。
良いかな。
紫希になら言ってしまっても。
「彼奴さあ、あの日朝駅前のコンビニ行ったら売り切れてたとか言っててよ。」
「あ、はい。一緒にいました。」
「そっか。それで、実は多分、最後の一個買っちまったの俺なんだよな。」
「えっ。」
「五十嵐の奴、売り切れてたー、紫希と食べたかったー、って、すげえ残念そうにしてたからよ。こう、なんつうの、罪滅ぼし?」
五十嵐には内緒な、と言って人差し指を立てる丸井だが、丸井が悪いわけでもあるまい。
(・・・やっぱり丸井君は優しい人です。)
「春日?どうした?」
「いえ。あ、そうです。私今日・・・」
紫希が言いかけた時だった。
音楽室の引き戸が、再度開いた。
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