Escape 1

暖かそうな木のテーブル。
ティーカップにスコーン。

そしてそれらの傍らに、あのピアニストのベア。

「さあ、どうぞ。」
「頂きます。」
「い、頂きますっ!」

客は久しぶりだから、折角だしお茶でも飲んで行ってよ。
店主の老婦がそう言ったので、今可憐と跡部は有難くモーニングティーに御呼ばれしている。

店の奥の奥の、その又奥の一角。
此処もまたベアだらけで、粗相があったらどうしようと内心狼狽える可憐とは正反対に、跡部は落ち着き払っている。

「いつぶりだろうねえ、お客さんなんて。ここ最近人が寄りつかないからねえ。まあ、人が寄り付いたことなんて無いんだけど。」

(リ、リアクションに困る・・・)

そうですね、とはまさか言えないし。
しかしかといって、そんな事ないですよとも言い辛いし。

どぎまぎする可憐だが、跡部は涼しい顔でさらっと返した。

「ですが、採算は度外視されていますよね?」
「へ?」

採算は。
度外視されてますよね。

それってつまり、赤字でも別に良いよ状態という事だが。

しかしなんと、それは正解だったらしい。
お婆さんはニッコリ微笑んだ。

「そうだよ、その年にしては随分賢い子だ。」
「え、え?なんで分かるのっ?」
「まあ、半分は感覚だな。それに店構え、価格設定のやり方、その他諸々といった所だ。」
「へえ・・・」

流石経営者という所だろうか。
同い年なのに、早くも店側の目で物を見る技術を身に着けている跡部は、やはり聡い。

「この店はねえ、私が建てた。私の抗議なんだ。」
「抗議・・・ですかっ?」
「そうさ。人生最後の抵抗と言っても良い。分からず屋の大嫌いな我が夫にね。」
「フッ!」

跡部は思わず噴き出した。

「跡部君っ?」
「ゲホ、すみません、失礼。なんでも。」
「ほっほっほ。正直な子だ。」
「?」

可憐はよく分からないが、跡部と老婦は何か通じているらしい。

「・・・お婆さん、旦那さんが嫌いなんですかっ?」
「そうだよ。あの人と来たら、昔はあんなんじゃなかったのに。研究が軌道に乗って、儲かるようになって持て囃されるようになって、そしたらなんだい。段々お金の話か研究の話しかしなくなっちまって、ああなると人間は駄目だね。あんなつまらない男と結婚なんかするんじゃなかった。」
「・・・・・」
「お嬢ちゃん、あんたも結婚するなら、優しい男を選びな。お金や学なんて、そんなの二の次三の次だよ。そんな事より優しくて、自分よりも家族の事を考えられる、そんな男を旦那さんにするんだ。」
「・・・はい。」

結婚なんてまだまだ遠い先の事。
旦那さん候補どころか、彼氏すら居ないけれど。

(優しい、人・・・)

優しい人なら、男女問わず周りにいっぱい居るけれど。
でも、そういうのとは違うのは可憐にも分かる。

単に困ってたら助けるとか、笑ってくれると嬉しいとかそういう話じゃない。
一生かけて、自分を守ろうとしてくれる人。自分が守りたいと思える人。

「其処の坊ちゃん、あんたもだよ。年よりの忠告だけど、結婚する時は、よくよく考えなさい。男の子なんだから、責任は取らなくちゃいけない。でも、どうでも良い人の人生背負ったって仕方がないんだよ。どうせ責任を取るのなら、取りたいと思える女の子を選ぶんだ。」
「・・・・・・」
「・・・跡部君?」

てっきり、当然ですよ、とかいって流すと思ったのに、隣の跡部は目を伏せて紅茶を見つめている。

「まあまあ、説教はこの辺にしておこう。こんな話、お嬢ちゃん達もベア達も聞きたくはないだろうし。」
「あ、あのっ。このお店って言うか・・・どうして、テディベアショップを建てたんですかっ?旦那さんが、熊さんを嫌いだから、とか・・・?」
「ああ、その事かい。いや、旦那は別に、好きでも嫌いでもないがね。私がベアを好きなんだ。」

老婦は愛おしそうに傍らの一体を撫でた。

「私はこういうのを作るのが好きでねえ。此処にあるベア達は、皆私の手作りだよ。」
「わあ・・・あっ!だからこんなに高級なん・・・」
「違うな。」

黙っていた跡部が、徐に口を開いた。

「え?」
「確かに、手間賃という意味ではそれなりにかかるだろうが、それでも20万は高い。かといって、材料がべらぼうに高いというわけでもない。おまけに採算度外視ときたら、この価格設定の理由は1つ。」
「・・・?」
「これも又、抗議だ。」

老婦はほお・・・と感嘆の溜息をついた。

「本当に凄い子だ、聡明としか言いようがないね。日本の未来は明るいねえ。」
「え、え?どういう・・・」
「私の旦那はね、お嬢ちゃん。いつしか言うようになったのさ。『過去になんの意味がある』ってね。」


『思い出なんて、役に立たないさ。』
『未来だ。未来が必要なんだ、私には・・・』
『過ぎた事が、一体何をしてくれる?』



「・・・・・・」
「ここのベア達は、皆私の記憶。」
「・・・記憶?」
「そう。私の思い出。私の記憶。あの人が過去なんて過去なんてとあんまりやかましいから、その通りにしてやったのさ。私は、思い出を切り売りしているんだよ。」

あのベアは、海に行った時の思い出。58万円。
そのベアは、ケーキを焼いた時の思い出。37万円。
このベアは、娘がピアノのコンクールで優勝した時の思い出。150万円。

あのベアは、挙式した時の思い出。1億5000万円。

「・・・・・・・」
「分かっただろう?ここのベア達は、高い物じゃない。売れていく事も想定してやしない。ただ、姿勢が大切なのさ。こうして、値札を付けられている事がね。」

そうして、夫に当てつけているのだ。
こうして。過去にラベルを張って、それが並ぶこの光景が、望む物だろうと。

「・・・・・」
「さて。お嬢ちゃん。」
「えっ?は、はいっ!」
「これも何かの縁だ。どうせ欲しがる人も居ないし、お嬢ちゃんにベアをあげよう。お友達の分も。無料で良いから持って行きなさい。」
「え、ええええええええっ!?」

いやいやいや。
何故そうなる。

「だ、駄目ですよっ!だってこの熊さん達は、ぬいぐるみじゃなくて思い出で、」
「思い出か、そう言ってくれて有難うよ。でも貰って欲しいんだ。そして持っておいてくれ。お守りだよ。」
「・・・お守り?」
「そう。せめてお嬢ちゃんは、私みたいな結婚をしませんように、ってね。こんな寂しい婆さんにならないで、年をとっても旦那さんと寄り添えるような、そんな結婚がどうか出来ますように。」
「・・・・・・」
「気にしないで良いよ。年寄りが若者の為に出来る事と言ったら、忠告してお祈りして、あればお金を出して、そのくらいしかない。そういうものなんだから。」
「そんな・・・」
「良いんだ、良いんだ。こんな抗議も、この先ずっとずっと長く続けられるもんじゃない。何時か私が消えゆく日までに、この位はしておかないとね。」
「フッ、」

跡部が又笑った。

「跡部君・・・?何が可笑しいのっ?」
「いや。それより桐生、甘えるなら早く選べ。」
「え、でも・・・」

良いの?
本当に?

目でそう問う可憐に、老婆はにっこり笑った。



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