「・・・・」
登校時、待ち合わせの場所。
そうだ、そういえば当時の幸村もよく喉に手をやっていた。
「おはようさんw」
「おはようございます。」
「おはよう。」
「皆、おっはー!」
「おはよう・・・ゴホ、」
若干掠れた声で咳き込む幸村。
「大丈夫ですか?」
「有難う、気にしないで。大丈夫だから。」
「何か最近よく咳き込んでない?」
「ふふっ、風邪じゃないよ。というか風邪を疑っていたんだけど、昨日医者に行ったら声変りだって。」
声変り。
その響きは、当時の千百合の無気力気味な心の中に珍しく着地した。
「マジかw早くないか、俺達まだ小5だぞw」
「早い方ではあるって言われたよ。ただ、無い事じゃ無いって。」
「紫希ぴょん、声変りってなーにー?」
「ええと、男の子は大きくなるとお喉の骨も大きくなって声が変わるんです。」
「へー!あ、じゃー今のゆっきーの声じゃなくなるのー?」
「・・・・」
今の幸村の声じゃなくなる。
紀伊梨の言ったごくごく当たり前の事が、千百合の胸にぼんやりと広がっていく。
「良いなー!紀伊梨ちゃんも他の声出してみたいなー!」
「あはは。そんなガラッと変わるわけじゃないよ。今よりちょっと低くなるだけ・・・ごほっ。」
「咳も出るんですね・・・」
「けほ・・・うん。出ない人も居るらしいんだけど、俺は暫くはこのままかな。」
「まあお前の場合はw元々の声がこうだから、左程印象は変わらないでしょうなw」
「ふふ。そうだね、俺もそう思うよ。」
(「左程」ってだけじゃん。)
言い換えれば、例えほんの僅かでも変化は絶対というか確実なのである。
変化に対して「面倒くさい」と思いがちな千百合にとって、幸村の声変りは歓迎すべき事とは言えなかった。
それに加えて、この頃の千百合はちょっと焦りを感じていたと思う。振り返ってみれば。
そして妙な話、その焦りは種類としては男子のそれにかなり似ていた。
何か、まるで置いて行かれてるような。対等だと思っていた人が目の前で自分を追い抜いてぐんぐん成長していくような感覚を千百合は覚えていた。
「・・・・・」
「およ?」
「・・・千百合ちゃん?」
千百合は立ち止まった。
何も言わずに急にストップしたから、他の4人は自分より先に進んだ地点で振り返って立ち止まっている。
その物理的な距離が、千百合には心理的な距離ーーー成長の分だけ開いてる差のように当時見えた。
とりわけ、幸村だ。
「・・・ごめん、気にしないで。靴紐がちょっと変になった。」
だからぼちぼち進んでてと言外に促すと、紫希と紀伊梨、それから棗は若干戸惑い気味に目を見合わせたて、そしておずおずと足先を前方に向けた。
嘘だってバレたかなと当時は思ったが、今にして思うとこれは別にバレた故ではなかった。
靴紐くらい、そんなの待つのにと3人とも思ったのだ。
でも待たなかった。
3人とも、そんなの待つのにと思った直後、そうだ待たない方が良いんだと思ったのだ。
そうとも知らないで当時の千百合は、屈んで、意味もなく右足のスニーカーの紐を解いた。
「・・・・・」
ああ蝶結び怠いな、とか思いながらだらだら靴紐を弄んでいると、視界が陰った。
「上手く結べない?」
顔だけ上げると、げほ、と軽く咳き込みながらこっちを見下ろす幸村。
「・・・いや、別に。出来るけど蝶結び怠いなと思って。」
「あ。蝶結びはしない方が良いよ。」
「は。」
幸村は言うが早いか、自分も躊躇いなくその場に屈んだ。
「ちょ、」
「蝶結びは解けるんだ。でも解けたらまた結ばなくちゃいけなくなる。面倒なのは嫌いだろう?」
「・・・まあ。」
「見ててね?こうすると解けないんだ。ベルルッティっていう結び方で、見た目が蝶結びにそっくりだから見目が良い・・・・」
「・・・?」
「・・・・」
幸村はちょっと手を止めた。
当時の千百合は、やり方ど忘れしたとか人にやるのは難しいとかそんなんかな、と思って気にしてなかった。
今なら分かる。
幸村は遠慮していた。
わがまま言おうかどうしようか迷って、結局止めたのだ。
「ねえ。」
「・・・ごめんね。それで、こうして、こう・・・はい。」
「・・・これで解けないの?」
「うん、大丈夫だよ。俺はやったことはないけど、テニスクラブの友達がこのやり方で、解けたことはないからってーーー」
「え。」
「え?」
「・・・・」
「・・・どうしたの?」
千百合は結んでもらいたての靴紐を眺めた。
そして紐の両端を持ってーーー解いた。
「・・・どうして解くの?」
「これ、嫌。」
「でも解けるよ。」
「でも嫌。」
「嫌・・・」
「・・・・それ。」
「え?」
「それは?」
指さした先には、幸村の足。
「それ、蝶結びなの。」
「あ、いや。これは、イアン・セキュア・ノットっていう結び方なんだ。俺は昔からずっと・・・」
「・・・・」
「こっちで・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・ねえ。」
「・・・何。」
「・・・千百合のも、この結び方で良いかな?」
その時は頷くだけで精一杯だった。
今なら多分精市と一緒ので良いよ、くらいの事は言えるし、そもそも幸村も変な遠慮をしないで自分と同じで良いかと楽しそうに聞いてくると思う。
でも当時のお互いはそういう物言いがまだ出来なかった。
「教えるよ。こうやって、それでこうやって・・・分かるかい?」
「うん。」
「分からなかったらまた教えるから。」
今の幸村なら、多分教えてと言っても左程気乗りしないだろう。
分からなければ何度でも自分に頼めば良いと勧めてくる気がする。
「・・・はい。出来たよ。」
「これで解けないの。」
「うん。」
「ふーん。」
ぶん、と足を振ってみても結び目はびくともしなかった。
「ふふっ。」
「何?」
「お揃いだね。」
そう言って微笑む幸村を見て、千百合はなんとなく感じた。
無理してついていかなくても良い。
幸村はきっと、これから先もこうして引き返してくれる。
それならまあ良いかな。
「行こうか。・・・けほ、」
「早く終わったら良いのにね。」
「!・・・うん。」
多分幸村にはお見通しだった。
千百合が声変わりを気に入らなかったことも。
自分次第で、それはあっさり覆ることも。