100話記念企画 No.100

その筈だったのに、だ。

「でもそれなら、今やってるバックハンドのメニューが全然無駄だったって事にならないかなっ?」
「そうとも言えへんねん。確かにバックハンドの練習ていう点やったら、無駄とは言わへんけど効率としてはそこまで良うないわ。ただ、今の練習メニューでこの動きやっといたら、ここからこう来た時の返球の癖付けていう意味では・・・・」

今日は軽めで上がりましょ☆な時に限って寧ろ普段より長引くという、稀によくある現象。部活でも授業でも、なんなら大人になってからの仕事でもなんでもそう。

「せやから、この事だけ考えてこのメニューは無駄やて考えるんはやめといた方がええわ。」
「そっか、じゃあーーーー」

「おーい、もしもし!」

可憐はびっくりして肩を揺らした。

扉の向こうから、知らないおじさんーーー生徒では勿論なく、先生っぽくもない声が急にしたのだ。
忍足は、あ・・・と呟いて立ち上がった。頭が良い故に、瞬時に察しがついたのだ。

「はい。」
「うわあ、やっぱり生徒さんかい!まだ居るの?何をやってるのか知らないけどね、熱心なのは良いけどこんな時間まで残ってちゃ駄目だよ!」
「えっ!?」

扉の向こうにいたのは、警備員のおじさんであった。

そこまで言われるほどの時間なのかと慌てて時計を見ると、時計の針がもうすぐ23時に届こうとしていた。
なんという事か、これは確かにここまで言われても仕方ない時間。

「すいません、時計見てませんで。すぐ帰ります。」
「そうしなさい!家は近いのかい?帰れる?」
「まだ大丈夫です、帰れます。」
「こ、こんな時間になってたんだ、いつの間にっ・・・!」

今日は色々不運が重なった。
普段だったら、あまり遅いと跡部なり網代なりとお互い「そろそろ帰らない?」と声をかけあって切り上げるのだが、跡部は今日は仕事、網代は家の用事で、放課後練が終わったと同時に2人ともさっと帰ってしまったのだ。

おまけに2人の家族も、2人が遅くなったとしてもそういう日は跡部が大体送ってくれるからと最近は油断するふしがある。遅くても23時前後にはリムジンが家の前に到着するはずだわ、と、いつもそうだから今日もそうだろうな的な発想で「まだ帰らないの?」の連絡を怠ったのだ。

結局今日は、普通に電車で帰るしかない熱心なテニス部員が、今やっと校舎を出発する状況に取り残されたのだった。

「は、早く帰らないとっ!あっ!その前にお母さんにLINELINE、今から帰るから、と・・・」
「可憐ちゃん、俺が送るからて言うとき。」
「えっ、そんなの良いよっ!」
「あかん。今日はほんまにあかんわ。こんな遅うなって中学生の女の子が一人で出歩くんは絶対あかんで。」
「う・・・」

普段だったら、もう一回くらい「やっぱり良いよ」「いや駄目だよ」のくだりをやる所だが、今日はさすがに言い出された可憐側でさえどうかと思う遅さだった。23時過ぎに暗い住宅街を一人歩く自分を想像すると、普通に怖い。

「でも、忍足君は帰れるのっ?」
「まだ大丈夫やわ。遅うはなるけど、電車もバスも動いてるさかい。」

こういう時に都会は良い。おいそれと電車もバスもなくならない。
遅くはなるだろうが、最終には普通に間に合うだろう。

まあそれも、今此処でぐすぐずしないでサッと出られたらの話だ。

「忘れ物無いようにせえへんと。」
「今日はもう取りに戻れないよねっ!ええと、本とノートと筆箱と、」
「可憐ちゃん、スマホ。」
「ああっ!」












タタン、タタン。
タタン、タタン。

夜の東京を縫い走る電車に、可憐と忍足は並んで座る。

この時間になっても東京の電車にはまだ普通に人が居て、この車両だって席は埋まってるし、ちらほら立ってる人が居るくらいである。

くたびれたサラリーマンのおじさん。女子会帰りであろう、明らかにお酒が入っていて大き目の声ではしゃいで会話するOLのグループ。平日なのに結婚式帰りらしき、花と引き出物をもったスーツの青年。部活か予備校か、単語帳を開きながらも船を漕ぐ学ランの高校生。

基本、理由にどんな正当性があるにせよこの時間出歩くのはご法度とされている中学生である可憐は、なんだか周りが自分より年上の大人ばかりで若干縮こまってしまう。

(忍足君は堂々としてるなあっ。)

「・・・?どないしたん?」
「あっ、ううんっ!ちょっと、こんな時間に電車に乗るの久しぶりでっていうか、もしかしたら初めてかもしれないからっ!何か居心地悪くてっ。」
「居心地悪いん?」
「怒られないかなあって。」
「まあ褒められた事とちゃうけど、遊び歩いて遅うなったわけやあらへんし。大丈夫やで。」

小学校の頃からテニスだのなんだので遅くなる事が度々あった忍足的には、大人に見咎められる事は全然気負わない。
大抵スポーツやってて、と言ったら大変だねと引っ込んでくれるし。

それよりも遅くなって怖い事は他に沢山ある。
例えば変質者とか。
携帯の充電切れによる連絡不可とか。

後。

「折角今日は早めに帰ろうって思ってたのになあっ。」
「普段より遅いくらいになってもうたな。」
「今から帰って、ご飯食べてお風呂に入って、ううっ、予習復習の時間もないっ!美梨と約束してたのに・・・」
「約束?」
「うんっ。この前の金曜ロードショー録画してたのっ!」
「ああ、母さんが見てたわ。『日はまた輝く』やっけ?」
「そうそうっ!主演がねっ、美梨の好きな人で・・・」

普通の帰り道だった。

友達と一緒の電車に乗って着く帰路。

途切れない話題。
もう後は帰るだけという安堵感。

ただ、この日はやっぱりちょっと特別だったのだ。

普段より遅い時間。
それに順当に伴って、いつもより蓄積されている疲労。


タタン、タタン。
タタン、タタン。

規則的な音と揺れを響かせて、夜23時過ぎ、電車は都市をひた走る。

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