私が初めに黄瀬くんに絡まれたのは、中3のときだった。
友達が調理実習で作ったお菓子を黄瀬くんに持って行こうと私を連行したときから始まった。
私の当時の黄瀬くんへの印象派というと、まあ、普通にかっこいい男子という感じだった。イケメンで、愛想のない黒子と違っていつもニコニコしている、明るくて女の子に優しくて、いかにもモテそうな雰囲気だと俗っぽい評価をしていた。
友達がクッキーを私に行くというのの付き添いついでに、渡し先のない私のクッキーもついでに渡そうと黄瀬くんを取り巻く女子の中に紛れ込んだわけだが、黄瀬くんは私を見て、「あ!」と声をあげた。
「もしかしてキミ、噂のみょうじサン!?」
突然アイドルポジションの男子に名を呼ばれ、ちょっとドキドキしたがすぐに冷静になった。黄瀬くんは男子バスケ部だ。そんな彼が私について聞く噂というと、ほぼ一択だ。
「黒子っちと夫婦喧嘩してるっていう!」
「夫婦じゃない!!」
どんな噂だ!
黒子絡みというのは合っていたけれど、それにつき纏っている余計な言葉に思わず悲鳴を上げた。冗談じゃない! そんなことになってるのか!? そりゃあそれ聞いてたら桃井ちゃんもしつこく聞いてくるわ。頑張って撤回して桃井ちゃん!
黄瀬くんに直接声を掛けられたために私に対して取り巻きの女子たちが不満げな目を向けていたのだけど、私がカッと目を見開いて叫ぶと蜘蛛の子を散らす様に解散した。
黄瀬くんはぱちくりと目を瞬かせたあと、はは、と笑った。
「照れなくてもいいっスよー、一軍じゃ誰でも知ってるし」
「照れてない。ほんとに嫌なの。そんな誤情報振りまいたの誰? 青峰くん?」
「お、当たり! 黒子っちがムキになる相手ってことで、有名人っスよ、みょうじさん」
「心底やめてほしい……!」
私が唸るように言ったのを見て、黄瀬くんが不満げな顔をした。
「いいじゃないスか、いいひとじゃないスか、黒子っち。あ、みょうじサンのが詳しいっスよね、俺の出る幕じゃないか!」
冗談めかしながら笑う黄瀬くんの言葉に私は鳥肌を立てた。思わず腕をさすりながら首を振る。
「全然だよ! どこがいいの、桃井ちゃんが変なだけで、どこにどんな魅力があるってのさ、あんなやつ……」
地味だし、センス悪いし、と黒子の欠点を並べ立てていると、にこにこしていた彼は一転して私を睨みつけた。
「アンタ、何様?」
その豹変に、私は肩を跳ねさせた。当時の私は同級生のアイドル黄瀬涼太に憧れに近い恋愛感情を僅かながら持っていたのだろう。だから多少なりとも好意を寄せている相手に嫌悪感を向けられ、私は動揺した。
「え、ど、どうしたの黄瀬くん……」
「さっきから聞いてれば、黒子っちのこと散々言って、アンタにそんなの言う資格あんの?」
「……」
何は起こったのかイマイチ理解していなかった私は、その言葉で漸く彼は私が黒子の罵倒をしたことについて怒っているのだということを理解した。
黒子は結構、外面がいい。
いや、外面というべきではないかもしれない。別に彼らと関わっている黒子も素ではあるのだ。ただ、黒子は私と接するときだけ口の悪さがフルスロットルになるだけで。
私と黒子のやりとりをちゃんと聞いていれば、黒子も私と同じくらい、もしくはそれ以上に私を罵るし、突っかかってくることが分かるのだろうけど、それを知らない黄瀬くんにとっては一方的に私が黒子を見下したように感じられたらしい。もしかすると彼の脳内ではケンカップルのよな初々しいふたりから、苛めっ子苛められっ子なふたりの構図に移行したのかもしれない。同じ勘違いでもそちらのほうがよっぽどマシだというのは置いておく。
ともかく何故黄瀬くんが怒ったのかは十分わかった。
確かに私も悪かった。事情を知らないひとから見れば、そりゃあ不快だろう。それが友人やらチームメイトやらなら余計だ。
「――何、私が悪いみたいな顔してんの?」
私は努めて冷静に現状を把握したのち、そういう結論に至った。
「はあ? アンタが悪いんだろ。大人しく聞いてれば黒子っちの悪口ばっかり……」
「それを言う最初のきっかけを作ったのは黄瀬くんでしょ」並びに青峰くん始め噂で盛り上がってくれやがった男バスの皆さんだ。
「何勘違いしてるのかしらないけど聞いただけの噂を事実みたいに言ってさ、しかも訂正したのに聞いてくれないし」
やめて、違うと、私はちゃんと言ったはずだ。
そうつまり、黒子を黄瀬くんの前で罵らせるという状況を作ったのは他でもない彼であり、私が一方的に怒られる筋合いはない。となれば当然、徹底抗戦だ!
「黄瀬くんて、ジコチューだね」さて、まずは、何様だって言われた分。
カーン。どこかでゴングの音が鳴った。
「勝手に噂してたのはこっちが悪いにしても、アンタが黒子っちを馬鹿にしたのは事実じゃないスか!」
「そこもさあ、なんか私が黒子を一歩的に詰ってるみたいに思ってるみたいだけど、黒子もそんなもんだからね? あいつも同じようなこと私に言ってるからね? そこを口出しされる筋合いはないかな!」
「なにそれ、友達の悪口聞き流せって? んなことするほうが性根腐ってるでしょ。だいたい、直に言い合うのとは違って今さっきのはただの陰口だろ」
「だから、その陰口叩く要因作ったのはそっちだって言ってるでしょ。自分の罪状棚に上げて私ばっか責めないでくれる?」
「嫌ならもっと穏便に言えばよかったじゃん、あんなガチの悪口叩く必要ないスよね!?」
「言ったじゃん、そんなのじゃないって、最初に言ってたじゃん!」
「それは噂話についてだろ!」
「それは黄瀬くんの会話の受け取り方でしょ、私は十分、警告しましたー!」
「それこそそっちの言い方次第じゃないスか!」
論点が徐々にズレていることを薄々感じとりつつ、お互い譲らない様子に苛ついた私が思わず溢した「思ってたのと違うな……」という言葉が、彼の怒りに油を注いだ。
「そういうの!!」
ガタッと立ち上がった黄瀬くんは私を見下しながらキッと睨んだ。
「勝手にイメージ作って違ったら落胆してっていうの、迷惑なんでマジ止めて欲しいんスけど!」
「そういうフェミニストなイメージ作ってんのはそっちでしょ? 自分の作ったキャラに中身が追いつかないからって、八つ当たりしないでくれる? だいたいそれでモテてるんだから、恩恵だけ受け取って落胆されたら開き直るってどうなの?」
「誰もモテたいなんて思ってねーっつーの! どうせ邪険に接したら接したで態度悪いとか文句言うのはそっちじゃねースか、それこそ勝手な押し付けだろ!」
「それはそうかもしれないけど、それ言うなら最初に『黒子と仲の良い私』のイメージ押し付けてきたのは黄瀬くんの方じゃん!」
「それは最初に謝ったろ! 噂話したことは謝るって!」
「謝ってんのそれ、範囲に含まれてんの!?」
ぜえはあ、と息を切らして、私は黄瀬くんを睨み上げた。黄瀬くんも厳しい表情で私を見降ろしている。顔が整った人の真顔は怖いとどこかで聞いたことがあったが、あれは本当だ。私だって心臓が鋼でできているわけでもないのだから、正直フェミニストと言った時に黄瀬くんが一瞬「なんて?」みたいな顔をしなければ既に引いていてもおかしくなかった。
周りの目をきにせずぎゃーぎゃーやっている私たちなわけだが、都合がいいのか悪いのか、いつのまにか教室からは人がいなくなっていた。
私の最後の言葉に黄瀬くんが何事か言うのと私が続けるのとどちらが早いかといった瞬間、突然黄瀬くんの膝が折れた。
「わっ」
「えっ」
唐突に自分よりも頭の位置が低くなった黄瀬くんに驚いていると、穏やかな、しかし確実に怒っていると分かる器用な声が聞こえた。
「黄瀬。少し、頭を冷やそうか」
黄瀬の背中から現れたのは、絶対零度の空気を背負ったバスケ部キャプテン・赤司征十郎だった。
この後のことはあえて語るまい。ひとつ言えるとしたら、赤司くん怒らせるべからず、ということだ。(彼からのマネージャー勧誘も断ったのだけど、彼はそんなことで怒るような心の小さい男ではないから大丈夫だ)
さて、そういうわけで、お察しのとおり、黒子ほどではないものの、私と黄瀬くんの仲も中々険悪だ。
「…………」
「…………」
誠凛高校、校舎裏。
私の手には軍手とゴミ袋があり、黄瀬くんの髪と息は少し乱れている。
何が、どうして、こういう状況に陥ったかは、ともかく。
私はすうっと息を吸って、声を張った。
「警備員さーん! 不審者――!」
「だーれが不審者ッスか! 人聞きの悪い!!」
「他校の生徒が校舎でも体育館でもなくこんな何もないところにくるなんて、不審以外の何物でもないでしょうが!」
「ちょーっと過激なファンに追われて逃げてるだけっス! 分かったらその大声出すのやめ――」
アンタも大声だしてんだろ、と突っ込もうとしたとき、私以外の女の子の甲高い声がした。と同時に黄瀬くんが私の身体を引っ掴み、茂みの中に隠れた。
「おかしーな、こっちから声が……」
「キセリョ居た!?」
「ダメ、いなーい」
「もー、どこいったんだろー」
数人の女の子の声が近づいて、そして離れていく。
黄瀬くんに後ろから抱き込まれる形で拘束されていた私は、口をふさいでいる彼の手を叩き、解放を要求した。黄瀬くんは女の子たちが遠ざかったことを確認して、「大声厳禁っスからね」と注意してから手を離した。
「ふー、暴れないでくれて助かったッス」
「あんな状態見られたら私の身が危ないわ……。ていうか黄瀬くんだけ隠れたら良かったのに」
「アンタオレの場所聞かれたら絶対言うでしょ」
「そりゃね」
何を当然のことを言ってるんだ。寧ろなんで隠してあげなきゃいけないんだ。
私がけろっとした顔でいうと、黄瀬くんは「だからっスよ……!」と唸るように言った。
……というか、今更ながらいい加減この腹に回っている腕をどけてくれないだろうか。黄瀬くんはこういう接触に慣れていて無意識なのかもしれないが、現在とても恥ずかしい体勢なのである。あと耳元で喋るのも止めて欲しい。見た目とスタイルと声はいいんだからな、アンタ。どうせ自覚してるんだろうけど。
いい加減離れろよ、と言いかけて、ふと思いとどまった。……なんか意識してるみたで癪だな……。
ぐっと眉間に皴を寄せると、狭まった視野にとんでもないものが入った。
「あ、ゴミ……!」
私が持っていたゴミ袋がさっきの勢いについでに吹っ飛んでしまい、逆さまになって木の枝に引っかかっていた。中に入っている草が今にも落ちそうだ。頑張って毟ったのに!
「離して黄瀬くん! ゴミ! ゴミが!!」
「はあ!? アンタいくらオレのこと嫌いでも、ゴミはねーだろゴミは!」
「アンタのことじゃないわ! あっ、落ちる、あ――ッ!」
「ちょっと、そんな大声出したらまた人が――」
腕から抜けようとした私に反して、どういうわけか黄瀬くんはかえって腕の力を強めた。どうせ暴れられたから反射でやったのだろう。この本能タイプが……!
私が伸ばした腕は、黄瀬くんに拘束されている状態では当然届かず、必死さも虚しく、ゴミ袋からとうとう雑草が落下した。
その瞬間を脳が認識した瞬間、私の全身から力が抜けた。
後ろから「え、死んだ?」という不穏な言葉が聞こえてくるが、それも今はどうでもいい。
ただただ、私の中にあるのは怒りだった。この、この金髪野郎……!!
カーン。私の頭の中で、ゴングが鳴った。