駆け足で玄関に向かうと、柱に寄り掛かって時計を確認ながら何処かそわそわしているかすがが目に入った。
「かすがー!」
大きく手を振って名前を呼ぶと、彼女は時計から目を離して軽く息を吐いた。
「遅かったじゃないか。心配したぞ。」
「御免、御免。ちょっと遊んでた。」
「遊んでいた…?遊べる様な物、駐輪場にあったか?」
「うん。それなりに。」
首を傾げるかすがに、にまーっと口角を上げる。そんな私に、彼女は何をしてきたんだ、何を。と苦笑いを浮かべた。
内緒、と返せばまた溜め息をひとつ。
「まあ、いい。教務室に行くぞ。」
「あーい。」
綺麗な動きで踵を返したかすがに付いて生徒玄関を後にした。
天井が高い幅広の廊下を道なりに歩き、これまた幅が広くゆとりのある階段を上っていく。
……話には聞いていたが、本当に規模のでかい校内だな。
そんな感じでキョロキョロ見渡しながら黙ってかすがに続いて着いた先は校舎の最上階の南側。
最南端だろう場所には理事長室と書かれたプレートが重厚な扉の上に掲げられていて、その左手に教務室、右手に放送室があった。
配置は至って一般的だが造りと規模が明らかに違う。教務室の端から理事長室は100mはありそうだし、放送室に至っては何かレコーディングスタジオみたいな造りだし…。
何此処?本当に学校?
「誠騎、どうかしたか?」
「あ、うん、いや、大丈夫。」
唖然と突っ立っていた私に首を傾げるかすがに向かって、慌てて首を振って笑みを返したが、多分苦笑いになってんだろう。腑に落ちない感じでそうか、って言われた。
「少し心配だが、HRの時間が近いから私は行くぞ。謙信先生に宜しく頼む。」
「分かった。ありがと、かすが。」
訝しげに踵を返したかすがに軽く腕を上げて走り去る姿を見送る。
うっわ、足速いなー。
瞬く間に長い廊下の反対側へと移動し、階段を下りる手前でかすがは振り返ったんで、大きめに手を振れば軽く振り替えされて階段を降りて行った。
「さて、と。」
とんとん、と言う足音が遠退いてから一息吐いて教務室の扉へと足を進める。
横幅の広い引き戸の前でもう一度プレートを確認して取っ手に手を掛けた。
「失礼しまーす。」
意を決する、何て言ったら大袈裟だが、それなりに緊張して扉を滑らせる。
しかし新学期が近い為か、慌ただしい教務室は私の存在に気付いちゃくれない。
何とも言い難い居心地の悪さに室内に身を乗り出して辺りを見渡してれば、挙動不審な空気でも読んだのか、机で書き物をしていたらしい上杉先生が顔を上げた。
「おや、きましたね。」
「あ、先生。」
目が合うと柔らかく微笑んだ先生に安堵すれば、ちょっと居心地の悪いのが取り除かれる。
椅子をくるりと回して、身体を机の正面からずらす仕種を確認して、私は再度軽く頭を下げて、上杉先生の机へと近付いた。
「せいぎ、まっていましたよ。」
「御早う御座います、先生。」
机の傍に到着すると、先生やんわりとした笑み零す。会釈して挨拶すれば、柔らかい口調でおはようございますを返された。
「さて、せいぎ。あなたのクラスについて、おつたえしましょう。」
挨拶に続けて上杉先生は机に並んだ紙ファイルを一つ取り出して中身を数枚捲る。
「あなたは……、ああ、そうでした。2ねん3くみです。」
その手が止まると、思い出した様な口ぶりでそう言う先生に若干違和感を覚えた。
何か企んでる様なそうでもない様な…。
「2年3組ですか。分かりました。有り難う御座います。」
「おまちなさい、せいぎ。」
まあ、それは兎も角、クラスが分かったならもう教務室に用はない。
確認する様に鸚鵡返しして踵を返すと、軽く腕を引かれた。
「何ですか?」
振り向いて首を傾げれば、上杉先生はやんわりと腕を放して困った様に微笑む。
「せいぎ、わがこうはたいへんこうだいです。きたばかりのあなたがひとりであるいたらまいごになってしまいますよ。」
「……あ。」
言われて見れば、教務室に来るだけでもやたら長かったんだ。学校全体ともなればその規模は相当の筈。
それに実はさっきかすがに連れて来てもらった道すらも覚えてない私だ。絶対迷子になるって。
「………それもそうですね。」
肩を竦めて答えると先生はふふ、とまた優雅に笑った。
「あちらにおおがらのおとこがおりますでしょう?」
続いて腕をすいっと動かし、掌を空に向けて特定の何かを指し示す。
その手を追うと大柄の男と言うか、角の生えた真っ赤なモフモフが机に座っているのが見えた。
……まさか、あれ、じゃ……ないよね?
「あー……あの赤いモフモフですか?」
「ええ。」
恐る恐る尋ねると、先生は緩やかに頷いた。
マジであれか。
「かれがあなたのクラスたんにんですから、かれとともにゆけばよいでしょう。」
「は……はぁ……」
再度柔らかく笑った上杉先生に私は苦笑いを返す。
何だと!?あれが担任だと!?
一抹の不安を抱いたまま苦笑いで固まっていれば、先生は優雅に腰を上げた。
「こわがることはありません。わたくしからしょうかいしますから。」
「有り難う御座います…。」
何を不安に思っているか先生は恐らく知らないんだとは思うが、明らかに硬化した私に世話を焼いてくれたらしい。
細めた目の上で、眉が若干八の字になっている。
勿論助け舟を見す見す捨てられる程私は人間が出来てないんで、これ好機と乗っかり、モフモフに歩み寄る上杉先生の後を追った。
「しんげん、よろしいですか?」
「謙信か。何事だ。」
先生がモフモフに声をかけると、低い声と共にモフモフは全貌を表す。
大柄の上に思い切り威厳の滲んだオッサンが腕組みのまま振り返った。
おお…!凄い迫力!
戦隊物のラスボスみたい!
かっちょええっ!
「しんげん、かのじょがけさはなしたせいぎです。そろそろホームルームがはじまりますからきょうしつまでどうこうさせてください。」
不謹慎?な考えを巡らしていると、上杉先生に背中を押された。
「ほう。御主か。」
「あ、はい。成城誠騎です。」
赤いモフモフのおっさんは唸る様な重たい声で此方に目を向けられたんで、透かさず頭を下げる。
「ふふ、頭を上げぬか成城。儂は武田信玄、1年間宜しく頼むぞ。」
言われた通り頭を上げると、モフモフ元い武田先生はダンディーな笑みを浮かべて手を差し出していた。
「御世話になります。」
握手だろうと理解して、軽く会釈をし、出されたでっかい掌を握ると強烈な圧迫が私の右手を襲う。
「っい゙!?」
濁音が喉の奥から絞られ、歯を食い縛る。
それを見た武田先生は面白そうに笑っているではないか。
「はっはっは!少々強かったか。」
「(畜生!負けてたるか…!)」
生来の負けず嫌いが発動して敵う筈がない事を知りながら、先生の手を強く握り返す。
「ほお?中々やるのお。」
それに驚くも、感心しているらしい武田先生はは漸く私の手を放し、幾度か首を縦に振った。
あー…痛かった…。骨折れるかと思った…。
「しんげん、あまりいじわるをしないでくださいね。」
「何、本の冗談じゃ。案ずるでないわ。」
クスクス笑いながら咎める上杉先生に説得力の欠片も感じない為か、武田先生はおおらかに笑って私の背中にその手をバシバシ叩き付ける。
痛いっ!痛いって!
「それではきょうしつへまいりましょうか。」
「うむ。そうじゃな。」
暫くクスクス笑っていた上杉先生がそう言うと武田先生もオレの背中を打っ叩くのを止め立ち上がった。
「…あれ?上杉先生も一緒なんですか?」
だったら態々武田先生に案内してもらわなくても良かったじゃんか。何て思って尋ねると、上杉先生は緩く首を横に振る。
「いいえ。わたくしは2ねん1くみのたんにんですよ。」
「途中まで一緒なんじゃ。」
上杉先生の言葉を引き取って武田先生が続けた。
どっちにしろ途中まで一緒なら上杉先生が案内してくれれば良かったじゃん!学年同じだし!
そう思っても口には出さずにいるのは、勉強がからっきしの私にとって大学進学でも内申書を気にしにゃならん為であって決して先生等に物怖じした訳じゃねぇ事を言っておこう。
先生の会話に頷いて、納得した振りをする。正直嫌な生徒だと思う。
それから、先生等に続き教務室を出て、かすが向かって行った方向に沿って階段を下る。
3階まで下りた所で教室棟であろう方に足を向け、広い廊下を道なりに進むと、2‐1から2‐10までのプレートが掲げられた教室が並んでいる場所に出た。
「おお、しまったわ。」
そしていざ教室へ、と言う所で立ち止まり、声を上げる武田先生。
同じ様に私と上杉先生も足を止め、ジャージの上着やパンツのポケットを叩く武田先生に振り向く。
「先生?」
「どうしました、しんげん?」
「儂とした事が出席簿を忘れてきた。成城よ、教室はもう分かったな?」
「分かりましたけど、」
「では先に入っておれ。御主の席は窓際から2列目の一番後ろじゃ。」
「あ、先生っ?!」
それだけ言い残すと武田先生は踵を返しその図体からは予測出来ない速さで来た道を引き返して見えなった。
つーか出席簿忘れるって何だよ!あんなでっかいの忘れんなよ!
「しかたがありませんね。せいぎ、ゆきましょう。」
「はーい。」
色々不満だが、溜息を吐いてまた歩き出した上杉先生に付いていく事にした。
奇数クラスが左側、偶数クラスが右側に並ぶ広い廊下を少し行けば2‐3のプレートが掲げられた教室に着く。
「それではせいぎ。あなたにびしゃもんてんのごかごがあらんことを。」
「は、……はぁ…。」
教室の後ろの扉で上杉先生は謎の別れ文句を残し、隣の1組の教室へと入っていった。
何だよ!教室隣同士ならやっぱ先生が案内してくれれば良かったじゃん!背中叩かれ損じゃん!
しかし、当の上杉先生は既に隣にはいないし、内申書以下略なんで、色々不満ではあるが、ひとまずは教室に入る事にした。
余り音を立てて入室すると注目されるし、制服違うのばれるしなんで、そろそろと扉を引く。
まだ先生が来てない教室内はクラス編成の結果に騒ぐ声が沸き上がっていた為、扉の開く音は差ほど目立たなかったらしい。
その儘、変に怖じけず普通に窓際から2列目最後尾を目指した。
しかし、教室中心で男子がワイワイ騒いでいるが、女子の姿が少ない気がする。
何だ?理系クラスか?なんて思って、自分の席である窓際から2列目最後尾に目をやるとその隣に大部分だろう女子がバリケードを作って黄色い声を上げていた。
……何あれ?学年1のイケメンでもいるのか?
どんな顔か拝んでやりたいが、無駄に割り込んで目立つのは避けたい。制服も違うし、女子に目を付けられるのは御免だ。
そーっと近付き自分の席に腰掛けて、机に積まれた教科書の山から現代文を引っ張り出してパラパラ捲って時間を潰す。
……あー、この漢字何て読むんだ?
うわ、何だこれ、上下二段になってんのある。
もう既に赤点フラグが立ち始めたなー何て客観視していると、教室の扉が、ガラッとでっかい音をたて、勢い良く開いた。
一瞬にして教室内は静まり返り、私も含め全員が入口に目を遣る。
「皆の者!着席じゃぁぁぁぁあ!!!」
現れたのは武田先生で、大声の指示に散らばっていた生徒達はそそくさと席に戻る。
お隣の女子バリケードも徐々に解除されてその中心が現れた。
机に肘を付いて窓の外に目を遣る……銀髪で赤紫の長ラン。
「………うわ。」
「あ゙?」
声を漏らすと機嫌悪そうな声と共に振り返った顔には眼帯。
「……あ、」
「なんだ、誠騎じゃねぇか」
振り返った野郎は、意外そうな顔を浮かべたが、すぐにすかした笑みを浮かべる。
…………あ、こいつあれだ。
寮で一緒のあいつだ。
今朝一緒に来たあいつだ。
えーっと……、何つったっけ?
「えー……っと……ちょうすけべ?」
火蓋は切り落とされた
何か始まる気がした(戦い的な意味で)
「てめ…っ!今朝は間違えなかっただろ!?」
「すまん。忘れた。」
「酷っ!!」
「何だっけ?ちょうしゅうりき?」
「長曾我部だ長曾我部ッ!!!」
【続け。】