十話

「ではまず御裁縫から参りましょう。」

まつは両手を合わせて楽しそうに言った。
到着早々、まず風呂に入れられ、部屋に案内されて直ぐに開始された花嫁修業。曰わく「善は急げに御座りますれば」だそうだ。
針箱と着物の切れ端らしき布が用意され、もみじは宛行われた部屋でまつと対座している。

「御裁縫…ですか…?」
「ええ!本日中に御裁縫、御料理、御掃除、御洗濯の基本を御教えします。基礎が分かれば後は慣れで御座ります故。」
「そ、そんなに…!?」
「心配は御無用。難しい事はありませぬ。」

にこりと微笑んだまつにもみじは苦笑いを浮かべる他無かった。
まつにはもみじが家事に関して素人だと言う事が伝わっているのだろうかとつい疑ってしまいそうな程、簡単な物言いである。
そう思っているのを気取られぬようにしていたつもりだったが、先程の苦笑いで気付いてしまったのか、まつは少し困った様な表情を浮かべた。

「もみじ殿、貴女の生い立ちは拝聴しておりますれば。なれど、武家の嫁の仕事とは家事だけでは御座りませぬ。」
「…へ?」
「家事など本の一部に御座りまする。私達、嫁にはもっと重要な仕事が御座りますれば。」

凛とした声のまつにもみじは瞬きを繰り返す。何をするか分かってはいなかったが、余りにも意外な指導に目を丸くする他無かったのだ。まつはそんなもみじを諭す様に頷き、言葉を続ける。

「最も重要なのは御世継ぎを産む事。三年で世継ぎが産まれねば離縁、と言う世で御座りまする。そしてその教育にも励まねばなりませぬ。教育とは即ち教養。家臣等に手を貸していただき、兵法、文学、雅楽等を御世継ぎ様に御教授するので御座りまする。」
「よつぎ…………」
「そして両家の仲を取り持つ事。もみじ殿は同じ信玄公の配下である虎若子殿に嫁がれるのですから、余り関係がないかもしれませぬが、もみじ殿の御家と虎若子殿の御家に諍いがあった時にはそれを収拾し、良い関係を保ち続けるのは妻の腕の見せ所に御座りまする。」
「成る程…」
「また、夫が戦で勝ち取った首級を整えるのも妻の役目に御座ります。敵とは言え生ある者を討ったのですから、供養の意味も込めましてきちんとしなければなりませぬ。」
「く、首を…!?」
「左様に御座りまする。その作法などを御教授せねばなりませぬ故、家事に割いている時間はあまりないので御座りますれば。それに家事は御家によって様式が異なります故、まつめが教えて差し上げられるのは基礎だけに御座りまする。」
「……つ、妻とは大変なので御座いますね…。」

感心し、思わず肩の力が抜けるもみじ。同時に不安も募った。聞けば、やらねばならぬ事は今まで一度とてやった事がない事ばかり。教えてもらうとは言え、身に付ける事は出来るだろうか?向いてないようにすら思える。
そんな気持ちを汲んだのか、まつはくすりと笑ってこう言った。

「やる事はまだありまする。」
「ま、まだあるのですか…!?」
「ええ。これもとても重要な役目に御座りますれば。夫が城を空けた時、城内を取り仕切り、城を民を守らねばなりませぬ。最悪の場合は自ら戦場に赴き攻め込む敵の相手をしなければならないのですが……」

そこまで言ってまつはちらりともみじを見やる。ばっちりと合った視線にもみじは目を瞬いた。
その表情に顔を綻ばせたまつ。彼女は搗ち合った目を細めて言う。

「この役割は御教授するまでも御座りませぬ。」
「お、教えてくださらないのですか…!?」
「いいえ、御教えする必要がないのです。もみじ殿は幾度と戦場へ出陣されているのですから、戦の仕方など既に信玄公や兵士達から御聞きで御座りましょう?」
「勿論に御座います!御館様や父上から出陣、籠城、攻め際、退き際など戦術はいの一番に授かりましたし、日々幸村様や佐助殿と鍛錬しております故!」

信玄の名が出た為か、もみじは目を輝かせて胸を張った。
その姿にまつは顔を綻ばせて言葉を続ける。

「左様で御座りましょう?夫の留守に城を守るのは言わば籠城の戦術に同じ。ですから、まつめが御教え出来る事はないのです。」
「誠に御座いますか?!……ですが、他の事は…」

そう言われ、もみじの表情は、ぱっと明るくなったものの、他の事象を思い出したのか、直ぐにシュンと影が落ちる。
まつは竦んでしまったもみじの両肩を力強く掴んで、不安げなその目を真っ直ぐ見据えた。

「もみじ殿は出来ない事を覚えにいらっしゃったのでしょう?まつめはそれを全力で御手伝い致します!自信を御持ちなさい。もみじ殿はきっと良い奥方になりまする。まつめが保証致しましょう!」
「まつ様…」

誠実なまつの視線に、もみじは思わず感涙しそうになるのをぐっと堪えて、力強く頷いてみせる。

「何卒…、何卒…!!宜しくお願い申し上げます…!!」

そしてそれはそれは暑苦しく、頭を下げたのであった。


>>続く

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