十一話
「針の穴に糸を通し、端を揃えたら指に一周巻き付けて、親指で繰り出すように糸を外しますれば…玉結びの出来上がりに御座ります。」
「おお…!!」
赤沢もみじは自分で作った玉結びに感激を漏らした。
まずは御裁縫となったはいいものの、本当に何も知らないもみじは、縫い方云々の前に器具の名前から始めたのである。漸く玉結びに辿り着いたのだがこの先益々思いやられそうであった。
そんな彼女を微笑ましそうに見守っているのだから、このまつと言う女性は菩薩の様な人間なのかもしれない。
「では縫い方を始めましょう。まずは簡単に、縢り縫いから。」
「かがりぬい?」
「はい。布が解れぬ様に、また小さい破れを修繕する時に使いまする。」
そう言ったまつは早速切れ端を縢り始めた。
真剣にその様子を見、説明を聞きながらもみじも与えられたら切れ端を縢り始めようと針を切れ端に近付けたその時、
「まつ!!まつは何処だ!?まつーっ!!」
「犬千代様!!まつめは此処に御座ります!!犬千代様ぁ〜!!」
「ま、まつ様…!?」
どたどたと五月蠅い足音と大声にいち早く反応したまつは、すっと立ち上がり襖を滑らすと、声に応えながら部屋を出て行ってしまったではないか。
独り残されたもみじはただ唖然として開け放たれた襖を見詰めるしかできなかった。
遠くの方でまつと『犬千代様』、彼女の夫である前田利家が何事か話をしているらしい。内容は分からぬが僅かに声だけは聞こえる。
「全く、騒ぎすぎだよ。なあ、あんた、そう思わないかい?」
「!?」
不意に声を掛けられ振り向いた先で目に入った男にもみじの息が止まった。
長髪を高く結ったその根元に鳥の羽根と簪をあしらって、毛皮を縁取った黄金色の変わった着物を纏うその異様な姿を誰が見間違えるだろう。日ノ本全土を探したって、こんな奴は1人しかいない。
「ままっ、前田、慶次…!!」
思わず二歩三歩後退るもみじに慶次はあれ、と首を傾げて顎に手を添えた。
「見ない顔だなぁ……新しい女中?」
「んな…っ!?」
「まあ、いいや。あんた可愛いね!恋してるかい?」
「ここ…っ、恋っ?!!は、は、恥知らずめ…っ!!」
「ん?何かどっかで聞いたような科白だな……。」
ずいっと顔を寄せる慶次にもみじは息も絶え絶えな中、精一杯に凄む。流石にまずいと空気を読んだか否かは不明だが、慶次は顔を離して首を傾げた。
戦場でこそ面識のある2人だが、もみじの具足は完全に顔を隠した仕様であるため、慶次は彼女の素顔を知らない。
ただ、遭遇したときの過剰とも言えるもみじの反応は覚えているのか、彼は顎を撫でながら記憶を手繰り寄せるようにじりじりともみじとの間合いを詰める。
「えー……っと………あ!思い出した!あんた、武田のおっさんトコにいるもみじちゃんとおんなじ事言ってるよ!」
「なっ!?もみじ“ちゃん”?!!きっ気安く呼ぶな…!!」
「え?気安く呼ぶなって……もしかしてあんた……」
「此方に御座りますね!?」
慶次が近付いただけ後退りをするもみじが壁際まで追い詰められて、呼び慣れない敬称に目くじらを立てたとほぼ同時、騒ぎを聞きつけたのか、まつが戻ってきた。
「うわっ!?まつねぇちゃん!!」
「まつ様!」
「慶次!全く貴方……まあっ!!?」
襖を勢い良く滑らし現れたまつに見付かり慶次は顔を顰めたが、それにも増してまつの顔がみるみる歪んでいるではないか。
叱られるのは予想していたものの、表情がそれ以上に変貌していく様に何も言えずにいる慶次など気にも留めず、まつはキリッと眦を吊り上げると、何処からともなく煤払いを持ち出して、その柄で床を一突きした。
「慶次!この無礼者!貴方が京の町でどんな女子と遊んでいようが構いませぬが、よもや他人様の許嫁に言い寄るなど…!!まつめは恥ずかしゅう御座ります…!!」
「い、言い寄る…!?俺はそんな………あれっ?!」
怒鳴られて面を食らった慶次が慌てて己を顧みれば、壁に追い詰めたもみじの顔をよく見るためか、鼻先触れる程近い距離にいて、壁に手を突いているではないか。
これを無意識にしているのだから、前田慶次とは相当遊び慣れているのか、鈍いのか。
兎も角、そんな様で有ることを知った慶次はもみじから慌てて身体を離すと両掌を見せてまつから一歩二歩っ後退る。
「ご、誤解だよ!!まつねぇちゃん!!」
「問答無用に御座ります!!おいでませ!四郎丸っ!!!」
「うわ、ちょ、まっ……うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
この後、落ち着いたもみじがまつを止めるまで、彼女の声で現れた白い狼は慶次を追い掛け回して噛みついたと言う。
>>続く