十六話
「……難しい宿題を出されてしまった…。」
赤沢もみじは唸っていた。
信玄と幸村、どちらか1人にだけ会えるとしたらどちらを選ぶか、と言うまつからの問いに頭を悩ませ三日三晩。四日目となる本日、午前の分の修業を終えたもみじは縁側で空を仰いでいた。
天気は、昼寝をするには絶好の晴天。心地良い風なども時折通り抜け、考え事をしていても寝てしまいそうである。もっとも、宿題に頭を悩ませるもみじにはそんな陽気などは大して重要な事ではないのだが。
「御館様と幸村様、どちらか……」
呟いて溜息をひとつ。
そもそも今は信玄に言い付けられて始めた修業の最中、その成果は仕掛け人である信玄に見せるべきなのだから、会って報告をすべきは信玄なのは当然だ。しかしその答えがどうもすんなりと呑み込めない。かと言って幸村に会いたいのは何故かと問われてもその理由がない。答えは呑み込めても疑問が残る。
「何故なのかしら…」
眉間に皺を寄せたもみじが前のめりに頭を抱えた時、蹲るようなその身体に大きな影が掛かった。
「何だい何だい!女の子にそんな暗い顔なんて似合わないね!」
顔を上げれば前田慶次が立っているではないか。彼はにっかりと笑って持論を唱えると、自身の方に顔を向けたもみじの両の頬を無遠慮に引っ張り上げた。
「ひゃ!?ひゃひをひゅゆ!?」
「ほらほら!笑った笑った!女の子の眉間に皺なんて、霞と千鳥より似合わない、ってね!」
引っ張り上げられたもみじの口角と同じ程、慶次は自身の口角を吊り上げて笑う。
無理に頬を吊られたもみじは訝しげにそんな慶次を睨み付け、その手を振り払った。
「おっと、気に入らなかったかい?」
「当たり前だ!この無礼者!」
おどけて両掌を見せた慶次をまたひと睨みして、もみじはふいっと顔を背ける。その様に肩を竦めるも、慶次はどっかりと無遠慮にもみじの隣に腰を下ろした。
「ごめん、ごめん。元気がないからどうしたのかと思ってさ。」
「余計な世話だ。貴殿には関係ない。」
「まあ、そう言わずにさ。悩み事があるなら相談に乗るよ。ま、解決できるかは置いといて、ね。」
「それではまるで無意味だ。」
「そんな事ないさ!話すだけで楽になれるって事は沢山あるよ!それに俺、悩みの相談は結構受けるから、もしかしたら力になれるかもよ。」
そんな台詞に僅かに振り向いたもみじ。前田慶次ならば或いはこの宿題に的確な助言をくれるかもしれない、と感じたのかもしれない。そして慶次は、その僅かな反応を見逃さなかった。
「ほらほら、話してみなって!特に恋の悩みだったら大歓迎さ!」
「なっ!?こっ恋!!?は、恥知らずめ!!!」
口ではそう言うも、図星である。尤も、もみじ本人にその意識はないのだが、真っ赤な顔でむくれられては気付くなという方が無理な話だ。そんな姿でもいるにも関わらず、もみじは口を結んで『悩み』とやらを打ち明ける様子もない。だが慶次は、好奇心やら老婆心やらを携えて、嬉しそうに彼女の返答を待っている。相手にしないでいれば勝手に去っていくだろうと無視を決め込んだもみじだったが、身に送られる視線は熱烈で立ち退く気配を見せず、何時まで経っても居心地が悪い。そんな意味のない根競べは暫く続いたが、あまりの熱視線に到頭もみじは根負けた。
「……ならば、教えてもらいたい。」
「いいとも!俺に答えられることならね。」
「会いたい理由が見つからない人がいる。会いたい理由がある人と私はどちらに会うべきだ?」
存外素直な質問に慶次は少し驚いた。問うているのに目を合わせてはくれないが、眉間に皺を寄せたて考え込むように俯くもみじは真剣で何だか微笑ましい。それは慶次の目に、この娘を幸せにする手助けをしてやりたい、と言う優しい御節介がついしたくなるような姿に映った。
「何だ、そんな事か。」
「…何だ、だと?」
「そんなの理由がない方に決まってるさ。それがあんたの気持ちだからね。」
「なに…?」
簡単に言った慶次の言葉の意味を解せず、もみじは思わず彼の顔色を窺う。なんとなく嬉しそうに笑う慶次からは言葉の意味は解らない。
「理由がないんだぞ?」
「あるわけないよ、それが恋だから。」
「!?」
「理由なんてなしに嬉しかったり、寂しかったり、腹が立ったり、楽しかったり、怖かったり、心地良かったり、案じたり、安心したり、恥ずかしかったりするもんさ。忙しくって振り回されて思う儘にはならないけど、心があったかくなって居心地が良い。そんな気分なんじゃないのかい?」
「……」
優しく紡がれた慶次の言葉に、何も返せず目を瞬かせたもみじ。以前ならば「恥知らず!」と怒鳴り上げていたのだが、否定する気も起きなかったし、何しろ心当たりが甚大で心がその感情をすんなりと受け入れてしまったのだ。一方で、頭で理解するのは一足遅れているらしく相変わらず静かに呆けている。
この後、はた、と気が付くや否や顔に真っ赤にさせて加賀中に響き渡る程の叫声を上げる事になるのは言うまでもない。
続く>>