二十話
「佐助!帰っておるのか!?佐助!!」
真田幸村は屋敷を歩きながら叫んでいた。
もみじの下に書簡を届けに行かせて幾許、鍛錬中にその帰還を告げられた幸村は待ち侘びたとばかりにその姿を探して回る。
「はいはい、此処に。」
すると庭の松の木の下に影が降りて、其処から沸き立つように佐助が現れた。
「探したぞ佐助!何処に行っておった!」
「いや、大将にも吉報があったもんで。」
遅くなってすみません、とへらっと笑えば、それなら仕方あるまい、と渋い顔をした幸村は口を噤む。
「それで………その…、如何されていたか…?」
「何?大将?大将は喜んでらっしゃいましたよ。」
「ち、違う!!いや、御館様が喜ばれておるのは俺とて喜ばしいが、今聞いたのはそれではない!」
珍しく歯切れ悪く訊ねた幸村に答えれば、力一杯否定されて、佐助は些か面を喰らった。真田の旦那がこの流れで大将の事以外何が知りたいって言うんだ、珍しいこともあるもんだ、と首を傾げつつ、何を聞きたいのかと考えを巡らした佐助だったが、思いの外大きな心当たりがあって、「あ」と小さく零す。
「そっか……もみじちゃんか。いやぁ、俺様、素で忘れてたわ〜。」
「なっ?!ど、どういうことだ、佐助ぇ!!」
再びへらりと笑った佐助に対して幸村はむっと眉間に皺を寄せる。それもそのはず、元々は自らの命で加賀へやったと言うのに忘れていたとは何事か。一発殴ってやりたいところだが、それでまた話が逸れては堪らないと握りそうになった掌を解く。
「……それで、その……もみじ殿は御健勝であったか…?」
「うん。元気でしたよ。着いたのが夜だったんで、部屋に忍び込んで一寸おしゃべるわぁぁあ!!?」
有りの儘起こった事を話していた佐助は顔面に飛んできた拳を寸での所で躱した。忍でなければ、屋敷の塀をぶち抜いて何処ともなく飛んでいくところだと思うと僅かに冷や汗が滲む。
「な、何なに、旦那!!!危ないでしょーが…!!」
「佐助ぇ!!お、女子のししし寝所に忍び込むなど、破廉恥であるぞ!!!」
「いやいや、俺様忍ですからね!?忍び込むのが本業ですからね!?」
「……な、…何もしなかっただろうな…」
「え?」
「もみじ殿にふ、不埒をはたらいてはおらぬだろうな!!?」
眦を吊り上げて何を言うかと思えば、案の定であるべきなのだがどうしても意外で、佐助は思わず目を瞬いた。
もみじが躑躅ヶ崎を発ってからと言うもの薄々感づいてはいたし、本人も僅かに意識してるようにも見受けられてはいたが、これは愈々自覚をしたか、一丁前に妬みか嫉みかと、ついつい口角が歪みそうになる。結果、野次馬根性半分、親心の様な気持ち半分から、佐助はにたりとあまり爽やかではない笑みを浮かべてしまった。ついでに悪戯心なんかも湧き上がってきたもんで。
「嫌だなぁ、旦那。未来の奥方様にそんな事する訳ないじゃないですか。まあ、ちょーっとちょっかいは出したけど。」
「!!」
「寂しそうだかったから、ついねー。」
強ち嘘ではなかった。書簡だけ置いて帰ってくるつもりが他愛ない御喋りをしてきたのだから間違ってはいまい。疚しい事など一切無いのだが、内容を敢えて伏せるのは佐助の悪戯心か意地悪か、目を見開いた幸村を煽るようににやりと笑む。すると幸村はぐっと拳を握って踵を返し逸散に何処へと走り去ってしまった。
「……あっれぇ?一寸からかいすぎたかな…。」
破廉恥!だの何だのと叫ぶのかと推し量っていたのだが、的が外れて呆気とその背を見送る佐助。じわりと湧き出でる罪悪感に決まり悪そうに頬を掻いた。しかしそんな事をしている暇など実は有らず、遠ざかった足音が倍速でまた近付いてきたではないか。
「!?」
「さぁぁぁぁぁぁあすけぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!!」
「え……えぇぇぇ!!?」
いち早くそれに気付いて顔を上げた佐助の目に映ったのは、三つ叉の槍を両の手に携え、鬼気迫る勢いで此方に向かってくる幸村であった。
「佐助ぇ!この不届き者ォ!!その根性、俺が叩き直してやる!!其処に直れぇぇぇぇ!!!」
「ちょっ!!?旦那ぁ?!」
「問答無用!!覚悟!!!」
「わぁぁぁぁ!!?」
突き出された槍の切っ先が頬を掠め、柿色の頭髪がはらりと散る。殺気にも似た本気にさっと血の気が退くのを感じて、佐助は慌てて前言を繕うことになった。
「ごめんごめん!!冗談ですって!!!一寸御喋りしてきただけです!!!何もしてません!!!」
「む!真か!?」
次の手を構える幸村に問われて佐助は何度も首を縦に振る。これでは戦忍も形無しだが、命あっての物種、形振り構ってなどいられない。暫くじっとりと佐助を睨んだ幸村だったが、ふっと息を吐いて槍を下ろした。
「……紛らわしい事をするな、佐助。」
「あはは……でも旦那ってばあんな怒るくらいもみじちゃん大事に想ってるんすね〜。」
幸村の返答は拗ねた様な少し悔しそうなものであったがそれも好いた女子への嫉妬とあれば、主の成長であるから喜ばしい。
真田の家も旦那で終わりか、なんて一寸淋しく思っていた故に少し泣きそうであったなんて、上杉に寝返った同郷に散々、忍の癖に情を移すとは何事だと言及していた猿飛佐助が形無しと言うものだが、胸中の自嘲に留めておいた。
「なっ、お、俺は…!!」
「はいはい、恥ずかしがらないの!もみじちゃん、旦那の書簡、すっごく喜んでましたよ〜。」
「誠か!!」
「そりゃもう!花嫁修業も頑張ってるみたいだったし、帰ってくるの楽しみですね。」
「そうか…もみじ殿も精進されているか…!!俺も負けてはおれぬな!武田道場に行って参る!!」
佐助の報告に幸村は傾いた機嫌を持ち直して拳を握る。佐助はそっち頑張ってどうすんだよと呆れつつも、件の姫武将の返事の書簡(内容があまりにも色気がなくて預かってこなかった)でも鍛錬精進せよと書いてあったのを盗み見た手前、まあいいかと全力疾走で裏山に駆けていくその背中を見送るのだった。
>>続く