二十一話
「まつ様、利家様、大変御世話になり申しました。」
赤沢もみじは深く頭を下げた。
ひと月半程の花嫁修業を無事に終え、「何処に出してももう恥ずかしくはありませぬ」とまつから御墨付きを頂き、遂に甲斐へと帰る日を迎えたもみじ。
加賀へ向かう折りは昨日の今日で終わった旅支度であったが、此度の出立は「折角ですから持っておゆきなさいまし」と着物だの化粧道具だの小物だのをあれもこれもとまつから渡され、中々終わらず予定日が三日程遅れてしまった。栗毛の愛馬も来た時よりも荷物が増えて嘸や驚いているだろう。
「本来なれば、嫁入り行列にて御見送りしたいのですが…」
「いいえ、まつ様。此以上は身に余ります故どうか御気になさらないで下さいませ。」
残念そうに首を傾げるまつにもみじは首を振った。この期に及んで、と言っては失礼であるが、流石に前田の息女でもないのだからそんな施しまで受ける訳にはいかぬのである。御気持ちだけでも嬉しゅう御座います、と微笑めば、未だ僅かに不服そうではあったが、左様なれば、とまつも頷く。
「道中、どうか御気を付けて。」
「もみじ殿の手前なら大事は無いと某は思うが、呉々もだ。」
「御心遣い感謝致します。」
「それから此方を。道中お腹が空きましたら御食べなさい。御飯は何より大事に御座りますれば。」
「まつの飯は美味いぞ!天下一だ!」
「まあ!犬千代様ったら!」
大きな笹の葉に包まれた握り飯を渡されれば、利家が誇らしげに笑ってまつは頬を染めた。
比翼連理とは正に此か、ともみじはその関係に羨望と憧憬を覚える。この時世、妻とは言え斯様に女人を褒めるのはそうあることではないし、それが当たり前なのだが、こうも睦まじい姿を見ていれば誰とて何か思うところはあるだろう。同じには成れずとも、まつの様に背の君に誇ってもらえるような妻に成りたいと思うもみじも例に漏れぬ訳で。
そんなまつに武家の嫁とは何たるかを教授してもらったのだから少しばかり自信が持てると言うもの。初めは不安ばかりであったが、胸を張って甲斐へ帰れるのだ。
「それではもみじはそろそろ参ります。」
睦まじい夫婦にもう一度頭を下げて別れを述べる。利家とまつは少し寂しそうに眉根を寄せた。
「寂しくなるなぁ。」
「何時でも遊びにいらしてくださいまし。」
「有り難う御座ります、是非に。」
「その時は虎若子殿も連れてくると良い!!」
「それは名案に御座りまする!御飯を沢山用意して待っておりますれば。」
「はい!屹度、幸村様と供にまた御訪ね致します!」
寂しく思うのはもみじも同じであったが、今生の別れではあるまい。次の訪問の約束に頷いてもみじは愛馬に跨がり腹を蹴った。
「では、利家様、まつ様、どうか御達者で!」
「気を付けるのですよ。」
「信玄公にも宜しく伝えてくれ。」
「はい!では!」
嘶く馬の手綱を引いて、前田邸の門へ。ひと月半前に此を潜った時には持ち得なかった様々を手に、胸に、再び潜って行くのはさても感慨深い。
振り返れば睦まじく手を振る2人にもう一度頭を下げて、もみじは加賀前田邸を去った。
向かうは故郷、甲斐。
愛しの君との再会を逸る気持ちは僅かな不安も孕みつつも、その足取りを前へ前へと押し進めた。
>>続く