二十二話
「…今、何と申した?」
真田幸村は愕然とした。
その眼前で猿飛佐助はばつが悪そうに首を掻き、溜め息を吐く。逸らしていた視線を幸村に戻し、その表情にまた溜め息ひとつ。
「だから、もみじちゃんは二十日位前に加賀を出たんですって。」
「…前田邸からこの躑躅ヶ崎まで斯様に掛かるのか?」
「いや…馬の足なら七日あれば。」
嫌な沈黙が流れた。
二十日も前に加賀を発ったのにまだ甲斐にもみじは姿を現さない。三日四日程度ならば前後してもおかしくはないが、十日剰り遅く未だ現れずとなれば流石に妙だと思うのが普通だろう。
「一応、通りそうな場所は調べてきましたが、消息は未だ、」
「……」
「鋭意捜索中ですが、……え、ちょ、ちょっと、旦那?」
険しい顔で佐助の報告を聞いていた幸村だったが徐に立ち上がると使い慣れた二槍を携えて部屋を出た。突然の事に一歩出遅れたものの、佐助は慌ててその後を追う。
「ちょっと旦那ってば!何処行くのさ!?」
「俺も探す。」
「へ?」
「もみじ殿は何か良からぬ事に巻き込まれているやもしれぬ。俺も探しにいく!」
「旦那…」
断言し颯爽と駆けていった背中の男らしさと凛々しさ言ったら見上げたものだが一方で僅かに不安を覗かせる表情を佐助は見逃さなかった。
許嫁の身の心配とは、ふた月程前までは何に置いても御館様、御館様と尻尾を振っていた子犬の様な面影をちらとも残さず一端の男になったではないか、と思えば佐助の感慨は一入で。
一大事には変わりないのだが何か良い事ありそう、とその後を追った。
◎◎◎
「うーん…。」
加賀を出て二十日剰り。
もみじは頭を抱えた。
と言うのも、帰路を逸ったために近道しようと、人が余り入らぬ山道を抜けている最中、鹿を捕らえる罠をうっかり踏んでしまい、愛馬が足に傷を負ってしまったのである。荷物が荷物な為に1人では持ち切れず移動にはどうしても馬が居るのだから、帰るに帰れず足留めされていると言う訳だ。
「中々治らないね…」
時季でないため無人である山間の猟師小屋に身を寄せているのだが、掛かった罠が悪かったのか、ぼっきりと折れてしまい添え木をした愛馬の前脚の痛々しい事。傷口は塞がったが、骨はまだ良くならない様で人や荷を乗せて運ぶのはまだ出来そうにない。
故に治るまでは動けないのだが、小屋が人里離れているせいで幸村や信玄に安否を知らせる文も出せず、山菜や川魚を得ながら今は過ごすしかなかった。
「……幸村様に御心配をおかけしていなければ良いのだけど、」
ふと思い浮かんだ許嫁の姿。言葉とは裏腹の不安が過ぎる。
果たして己の音信不通を幸村は心配するだろうか。己は幸村にとって心を配るに値する存在だろうか。
加賀で花嫁修業をしていた時から幾度と悩んできた事が独りになると途端に膨れ上がるのだから困ったものだ。被害妄想も甚だしいと言われてしまえば御仕舞いなのだが、だからと言って気にしないではいられない。
加賀で、距離を置いて初めて自身の想いに気付いたものの、幸村が同じとは限らない。寧ろ同じだという可能性の方が低い。一端の女子と認識されていない故に、背を預け合い、競い合う事が出来た。その中で築いてこれたのは、互いに武人として、仲間としての関係、所謂戦友である他にない。此度の祝言騒動とて返す返すも互いが仰ぐ同一の偉大な師に言葉に因る。自信を持て、と言う方が難しい。
「……幸村様、」
再会を望む心と目に見えて恋慕が報われぬ不安とは天秤に掛けたところで秋の空の様に定まらぬ。このまま何も知らずに気付いた恋慕に浸りながら生涯を終えても良いかとさえ思えてくるのだから、もみじは自身の傾倒加減と脆弱さに自嘲せざるを得ない。嗤ってやりたいのは山々だがそうしたとてどうにかなる訳でもあるまい。
「……気晴らしにでも行こうかしら。」
ふっと息を吐いて肩を竦める。
否、同じ所で考えていても余り良くはないだろうから案外的を射ているのだが。もみじは顔でも洗ってこようと思い立ち、愛馬の宛て布を変えた後、手拭いを携えて出掛けていった。
>>続く