clap.5

2008年6月〜同年12月中旬
雨降り。

「鷹居、見廻り出るぞ。」

「へーい。」

立ち上がって部屋から出れば表はバケツでも引っくり返したみたいに雨がざんざかと。

「あー……雨かぁ……」

雨が降ると思い出す。

あの兄ちゃんは元気だろうか……


雨降り


あれは何時だったか。
確か齢は数えても10に満たない頃だった筈。
兄者と買い物に出掛けてあたしは迷子になったんだ………

────────

「あ、兄者ぁ!兄者ぁ!」


小さい傘をさして、水が染み込んだ靴で商店街を駆ける。
雨だと言うのに、夕飯前の商店街は人で溢れ返っていた。

「兄者ぁ………あにじゃぁぁぁっ!!」

行けども行けども頼りの背中は見当たらない。
呼べども呼べども安らぐ声は返らない。

「…どこ………」

足元がぐしゃり、と鳴った。
俯いた顔に流れたのは涙か雨か。

「ぎゃっ!!」

水分を吸った靴に足が縺れて紅羽は盛大に転けた。

「……ってぇ……」

人々の靴裏を洗った水で泥塗れになった顔を上げる。
人の波が自分を避けて過ぎた。
花盛りの若者の笑い声が隣を過ぎた。
……悲劇の主人公になるなんて馬鹿な事は止めるが、上がった顔の先に“馬鹿ですね、”と困った笑顔がない事に、大きな掌がない事に虚しくて、濡れに濡れた手の甲で、意味がないと知りながら頬を拭って、引っくり返って雨の溜まった傘を持ち上げた。

「………あ、」

着物の膝辺りに血が滲んで、雨が傷口に沁みる。

「……兄者……」

「オイ、」

ぽつりと溢した呟きに答えるように声が掛かった。

振り替えると、兄とおなえ歳くらいの男が、傘を広げて立っている。

「……あたし?」

「他に誰がいんだ、クソガキ。」

「なっ!!」

声変わりもそこそこな低めの声で罵られ、紅羽は目を見開いた。

「何だてめぇっ!!人捕まえてクソガキたぁ失礼じゃねぇかっ!!」

「ガキにガキっつって何が悪ィんだよ。」

「…っ!何の用だよっ!!あたしはてめぇなんざ知らねぇぞっ!!!」

「俺だって好きで声掛けたんじゃねぇよ。うちの大将が町中で困惑してる兄ちゃん見っけて声掛けたんだ。」

「兄ちゃん?」

「ああ。したら奴ぁ妹が迷子だとか言いやがるから、御人好しの大将は手分けして探そうとか言い出してな。」

男は、やれやれ、困った人だぜ、と溜め息をついて続けた。

「その兄ちゃんによりやァ年端も行かねぇ悪ガキで真っ赤な傘に甚平着た男みてぇなカッコの奴だって。」

「それ……」

「オメーだろ、クソガキ。」

不揃いの前髪から覗いた幼くも鋭い目で見下ろされる。が、紅羽は目を逸らさなかった。

「あたしだ……」

「やっぱりな。」

肩を落として男は言うと、不意に自分に背を向けしゃがむ。

「…なんだよ。」

「兄ちゃんとこ連れてってやる。」

「……歩ける。」

「嘘吐け。立ってんのもやっとだろーが。乗れ。」

「嫌だ。」

「あぁ?」

「兄ちゃんの服汚れるぞ。人にめーわく掛けんなって、柄の悪そうな野郎の服は汚すなって兄者に言われてる。」

「(こいつどんな教育受けてんだ……てか、柄悪いって失礼だな、オイ。)服なんざ気にしねぇよ。いいから乗れ。ガキの歩調に合わせんののが面倒だ。」

「……絶対か?」

「武士に二言はねぇ。」

「…………分かった。」

溜め息をついて頭を掻く男の肩に紅羽は渋々手を回した。

背中の温もりに安心を覚えて、張り詰めた緊張が解れ、睡魔が顔を出す。

「おら、傘持て。」

「……うん。」

その会話を最後に、意識を手放した。

揺れる背中が、暖かい背中が
心地好かった。

*****

「紅羽っ!!」

「んあ…?」

気付くと先程の男の肩越しに血相を変えた兄が見えた。

「あ…!!兄者ぁっ!!」

兄の隣には体格の良い男と淑やかな女、自分とおなえ歳くらいの少年が佇んでいる。
兄は紅羽を見付けると着物の裾も気にせず駆け寄った。

「こいつで間違いねぇか?」

「はいっ!!有り難う御座いますっ!!有り難う御座いますっ!!」

男に何度も頭を下げて、彼の背中から兄は紅羽を抱き上げる。

「あぁっ!!御着物が…!!」

「気にしちゃいねぇよ。その内乾く。」

「ですが…!!」

「いいから。面倒事は嫌ぇなんだよ。」

男はまた頭を掻いて、紅羽が手にしていた傘を自分の手に戻した。

「此方人等、偶々江戸に出てきた田舎者だ。住民様の気に止めるもんじゃねーよ。」

「そんな、」

「兄者、」

眉根を寄せる兄に紅羽は言う。

「あの兄ちゃん、柄悪そうだけど、着物汚しても良いってあたしをおぶってくれたんだ。気にすんなって。」

「紅羽っ…!!貴女まさか…!!」

無垢な紅羽の発言に兄は顔を真っ赤にした。
それを見た男は笑いを殺して、先程兄の隣にいた集団に歩を進める。

「そーゆー事だ。じゃあな、クソガキ。もう迷子になんじゃねぇぞ。」

「うんっ!」

そう言って男は集団と共に人混みに呑まれて消えた。

────────

あの目付きは悪いが中々良い奴な兄ちゃんは今頃どうしてんだろーか。
あたしの脳裏には、右手を上げて歩いていく汚れた背中が今でも目から離れねぇ。

「オイ、」

「!」

不意に聞きなれた声が掛かって、振り返ると、眉間に皺寄せた土方さんが突っ立ってる。

「……何だ。土方さんか。」

「何だとは何だ。見回りだってんだろーが。何感慨に耽ってんだ。」

「あ、すんません。」

ったく、と頭を掻いて玄関に向かう土方さんの背をあたしは追った。





きっとアレはあたしの最初で、多分最後の恋。

「あー、そういや、あのねーちゃん、結構美人だったなぁ……」
「は?いきなり何だ。」
「いや、オレの中の美しきメモリーに登場した美人薄命っぽいねーちゃんの事ですよ。」
「何だそれ。」



fin.
─ ─ ─ ─ ─
『兄ちゃん』の正体は御想像に御任せ致します(笑)

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