chap.26
翌朝、何食わぬ顔の土方さんが「これ渡しとく」と携帯だの何だのを置いて帰るのを睨みつけたい気持ちを抑えて見送って、昨晩抜けなかった毒針の様子を窺おうと自室の鏡台の前に座って愕然とした。
鎖骨の下辺り、刺された場所が鬱血している。強い赤が差している。
毒針じゃなかった…。
これは……兄者にだけは見つかちゃいけないヤツだ……。
chap.26
これが惨禍か
土方さんが来た翌々日、予定通り烏羽玉は鷹居黒刃に身請けされて、予定通りあたしは四六時中白鷺姉さんの怒りを身に浴びている。あれ以来小烏には客が来ないのに烏羽玉が残した「部屋と私が置いて行く全ては小烏へ」と言う手紙のせいで最上階にあたしが居座っているのも祟っているのだろう。
ちょっと番頭のまとめ役の手伝いをして部屋に戻ったら入り口に蛙の死骸が散らばっていた。
蛙の死骸なんて見たってどうって事ないし、メンタルはそんなに弱くない筈だが、小さい時から女社会から疎遠だったせいでこう言う陰湿なのは正直辛いし抉られる。
そんな事で凹む自分に腹が立つってのもあるけど、ひとりぼっちって言うのが酷く身に沁みて気にしないでいる事が何時もみたいにできなかった。
無意識に鎖骨の下辺りを押さえつける。最近、心細いとどうしても思い出してしまうから、まずい。
「……はあ。すまんな、蛙達よ。」
首を横に振って思考を振り切り、嫌がらせの為に殺された蛙を憐れみながら片付けた。床を綺麗に拭いて手を洗って、部屋に入るとカレンダーが目に入る。週末まであと3日。あと3日だ。
帰ったら取り敢えず土方さんを殴る…!!恨めしげにカレンダーを睨み付け、あたしは両頬を力一杯叩いた。
「小烏、ちょっと頼まれてくれる?」
「し、白鷺姉さん…!?」
楼閣掃除をしている時、声を掛けられ振り返ったら、怖くてしゃーない白鷺姉さんが妖艶に微笑んでいるじゃないですか。
烏羽玉が出てから挨拶すら返してくれなかったあの白鷺姉さんが、である。
これは悪い予感しかしない。寧ろ悪い事が起きるに違いない。間違いない。だからと言って無視は出来ないから悔しいぞ、縦社会…。
「何でしょうか?」
「妹分が風邪を引いてね、今宵、わっちに新造が付かないのよ。でも客入りの見込みがあってねぇ。客を待たせる訳にはいかないから、新造をあなたに頼みたいんだけど、どうかしら?」
どうかしらって拒否権ねぇだろ、と胸中でぼやく。
もうこれ絶対に罠な!馬鹿でも分かるやつな!!馬鹿にしてんだろコノヤロー!!
とは言えやっぱり断れないから、悔しいな、縦社会。
「喜んで。」
「有り難う。待ってるわね。」
にたり、とまた艶めかしく微笑んだ白鷺姉さんに殺気を感じた。あー、ホントに生きて帰れなかったらどうしよう、大丈夫だとは思うけど…。土方さんに床下の鍵渡してないからマヨネーズ腐っちゃうな…。
「……あ、そうだ。」
ふと、思い付いたあたしは掃除を済ませて自室に戻ってから、静かに携帯の電源を入れた
*****
その晩、約束通り白鷺姉さんの部屋に訪ねて早速げんなりした。何故って既に数十名の国防省制服が白鷺姉さんに侍っていたから。絵に描いたような悪い奴だな本当に。
「いらっしゃい小烏。待ってたわ。」
「はあ…有り難う御座います。」
例の晩を思い出して吐き気を覚え僅かに眉を顰めると、反対に白鷺姉さんは嬉しそうに笑ったのに気配を感じた。……これは、もしかしたら勝ったつもりで色々喋るかもしれない。袂からハンカチを取り出す振りをしてそこに入れた盗聴器のスイッチを入れておく。
白鷺姉さんはあたしが着てきた烏羽玉が残した着物を舐めるように、そしてあたしを妬ましそう見詰めて口を開いた。
「烏羽玉さまが恋しい?小烏。」
「それは勿論ですが姉さんは幸せに相成りましたので、御邪魔はできません。」
「そう……あなたの恋しいはその程度なの。」
ふ、とあたしを鼻で笑い、優越感を滲ませた白鷺は手にした扇をピシャリと閉じた。
「烏羽玉さまはね、最高の遊女なのよ。」
「…ええ。」
あ、何か始まる。男だけどな、と突っ込みたい気持ちを飲み込んで聞き役に徹する。
「詰られても、貶められても、疎まれても、凛と静かに前だけ向いて笑んでいるの。それ所かどんどんと素晴らしく美しく高潔になっていったのよ。ダイヤモンドの様な冷たさと美しさ。あなたなんかと違う。」
あ、この人、烏羽玉が入った時にも嫌がらせしたな、と察しが付く。散々嫌がらせをしたが、烏羽玉はびくともしないし、図々しい程の自信を持っていたんだろう。だって兄者だし。
「わっちは烏羽玉さまに惚れたわ。ずうっと傍で見て居たかったわ。」
恍惚と表情を緩める白鷺にこの人もう駄目だな、と思った。
「なのに、あなたが来た。あなたのせいで烏羽玉さまは暖かくなってしまった。」
がちの妹が来たから気が抜けたんだろうな、兄者。
「あなたを何とか追い払おうとしていたら、あの官僚がわっちから烏羽玉さまを奪った。」
その官僚が烏羽玉なんだけどな。
「許せない……あなたも、官僚も…わっちから烏羽玉さまを奪うなんて……」
ぎり、と歯を食いしばり顔を歪めた白鷺の怖いこと怖いこと。手にした扇が握りすぎてみしり、と鳴っている。
「だから、わっちは烏羽玉さまを取り戻すのよ。来週、警視庁は内部反乱を起こしてあの官僚は死ぬわ。そうしたら烏羽玉さまを連れ戻すの。でもあなたが此処に居ては無意味だわ。」
晴れやかに取り戻す宣言をした後、ぎろりとあたしを睨み付ける。
「あなたは烏羽玉さまを陰らせる……邪魔なのよ…だから、あなたには此処で終わってもらうわ!!」
「っ!」
白鷺がバッと手を翻すと、侍っていた制服共が瞬く間にあたしを取り囲んだ。全員丸腰の所を見ると、「終わる」の意味に察しが付く。
「さあ!喘ぎ狂いなさい!!」
白鷺のそのかけ声を皮切りに、一斉に襲い掛かって来た制服に舌を打って、帯に手を掛けた。
「!?」
バサリと着物を翻して脱ぎ捨てれば、場が蒼然となる。
濡羽色の着物の下は色白い肌ではなくて、漆黒に銀縁の洋服。
「御用改めである!!真選組だァッ!!!」
紅羽が声を張り上げると、部屋の襖が全て開いて同様の洋服を纏った集団が現れる。
「なっ!?」
豆鉄砲を食らったような白鷺の前に土方が歩み出て紙を1枚広げた。
「……白鷺、警視庁内部反乱テロの首謀者として逮捕状が出た。大人しく御縄に付きゃあ悪いようにはしねぇ。」
「おのれ、何処までも…!!」
般若の様に顔を歪ませて土方を睨みつける白鷺が、す、と目を逸らすと紅羽を囲っていた集団が向きを変える。
「っ、土方さん!!」
「!?」
「今だ!!」
「逃げろ白鷺!!」
変化に気付いた紅羽より早く、集団は土方に、部屋を取り囲む真選組に襲い掛かって退路を作った。不意を付かれて出遅れた真選組を掻い潜り、白鷺は走り去る。振り解いても次々へと羽交い締めに後ろから動きを抑えられ、獲物が逃げるのを目の前に土方は舌を打った。逃がすか、と思っても動けない、その時。
肩に腕が掛かったと思うと強い力で前に押し出され、拘束から解放された。
「しっかりしてください、土方さん。」
「テメーに言われるまでもねぇ。」
腕の持ち主は紅羽であり、小馬鹿にする様に、にっと笑っている。土方は舌打ちを返して肩に回った腕を払い、両者はそのまま背中を預け合うような体勢を取った。周りに気を配りながら呟く程度の声量が紅羽を呼ぶ。
「分かるか?」
「非常口から外です。」
「何処に繋がる。」
「吉原入口の橋の下に。」
「追え。」
短い遣り取りと最後の命令に紅羽は小さく頷いて、畳を蹴った。姿勢を低く、地を滑る様に人の壁を縫い、混戦する部屋を出る。女郎等のざわめきを背に楼閣の台所へ。糠床の扉はいざという時の逃げ口、下水路に繋がっていると潜入当初烏羽玉から聞いている。懐の短刀で糠床をこじ開け、降りた先に薄花色の生地が引っ掛かっているのを見つけた。
「逃がさねぇ…!」
薄暗い下水路は一本道。風を切る程軽やかに鋭く、隼の様に紅羽は白鷺を追う。
*****
「おのれ、小烏…!!」
下水路を逃げる白鷺の背を見付けて数秒。走り慣れない遊女などあたしの敵ではなく、さくっと捕獲しできた。細い手足に手錠と足枷を嵌めて肩に担ぎ、現在土方さん等と落ち合う予定の橋の下へ向かい、梯子を登っている。
「あー、もう暴れないでくださいよ、白鷺姉さーん。」
「遊女が遊女を謀るなんて…!!烏羽玉さまが聞いたら何と嘆かれるか分かっているの…!?」
「いやぁ、喜ぶと思いますよー、あの人性格悪いしー。」
「貴様…!!言うに事を欠いて烏羽玉さまを侮辱するか…!?」
「はいはい。あ、外ですよー。」
大体遊女が遊女をってあんたもしてたし、烏羽玉なんて性別まで謀ってたからな、何て事は事情聴取の時にでも散々聞かせてやれば良いか、と思ってマンホールを開けたその先に。
「白鷺を此方に渡せ。」
楼閣に詰めていた集団とは別と思われる男連中が20人程待ち構えていた。
「うわぁ、御約束ー。」
「渡せ。」
「残念だけどそうはいかねぇなァ。」
下水路から上がって、拘束した白鷺を地面に下ろして腰の刀に手を伸ばしながら相手を睨む。誰もが刀を挿しているが、今度は幕臣じゃない。柄も身形も宜しくない。白鷺は攘夷方も取り込んでいたって訳か。すげぇな、ほんと遊女こわい。
「渡せ。」
「断る。」
「だったら力ずくで…奪うまでだ!!」
わっと抜刀した志士があたし目掛けて突撃し、切っ先が振り下ろされる。あたしは素早く姿勢を下げて、その群へ一歩踏み込んでから水平に抜刀した。
「はッ!!」
「ぐわっ!?」
「うぅっ?!」
抜刀の軌跡は群の最前列の腹の辺りを一息に斬り捨て、パッと血液が散る。肉を断つ感覚が深く重い日本刀の太刀筋に背筋が僅かに粟立つ。怖い様な、愉しい様な妙な感覚だった。
血飛沫に目を潰されぬ様に顔を下げながら、立ち上がり様に刃を返してまた1人。
「ぎゃああっ!!?」
ぶしゅ、と縦一閃に鮮血が散る。浴びた返り血もその儘に斬った相手を蹴倒して、刃先に滴る紅を薙いだ。
「奪う、ね。そっか。」
刀を構えて通り一遍を睨みつける。瞳の奥で紺碧が揺れ、既に斬り捨てられた幾人かの血飛沫で染まる白い肌に人ではない何かの影が重なった。
「やってみろよ。」
「ひ、怯むな、はったりだ!!掛かれぇぇぇッ!!!」
誰の背にも悪寒が走るも退くに退けず、主犯格の声を皮切りに、紅羽へ向かってまた刃が降り注ぐ。
左手に鞘を握り、振り下ろされた刃を躱すと、ちゃきりと刀握り直して足元を横に薙払う。
頸部に一本斬られた線に気を取られる相手を蹴倒して、次の一団。
「野郎ぉぉぉッ!!」
「!」
勢いよく飛び掛かってきた1人の刃を己のそれで受け止めて鍔を競る。ぎちりと鳴ったそれは力の拮抗を周りに伝える。
「今だ!」
「掛かれぇぇッ!!!」
好機とばかりに刃が紅羽へ振り下ろされた。彼女は小さく舌を打ち、競った鍔を刀身で受け流すと相手を押し返しその足を払って、腰を落とした。
「なっ!?」
「ぎゃあああっ?!!」
紅羽のいた場所へは志士が前のめりに倒れこみ、彼女へ下ろされた刃を傘のように受け止める。突然の事に僅かに混乱した一団が都合良く纏まっているのを紅羽は見逃さなかった。取り囲む足共が迷った瞬間、鵐目を鳩尾に宛行って傘にした敵を上方へ突き上げる。
「?!」
「何だ!?」
その注目が突き上げられた志士に集まる一瞬、己がいた場所に催涙弾を置いて、周囲の足下を縫って囲みの外へ走った。攻撃範囲を出た所で、ばふっと弾が弾けて煙が広がる。
「ごほっ、」
「なんだこれ……うっ」
「催涙…弾…?!」
煙の向こうで不調を訴える声を聞き、紅羽は刀を鞘へ戻した。
「こんなもんかな。」
真選組特製の催涙弾、不調の後に勝手に眠る特別品。情報を持っている攘夷浪士は殺さず確保が一番だし、間違ってないよな、と顔に付いた血液を漸く拭った。
日本刀での初陣、我ながら中々だったな、とちょっと満足して拘束したまま捨て置いた白鷺の元へ戻る。あれ?何でこんな怯えてんの?
「……あ、いやいや、殺しませんて。」
顔に付いた血を袖で乱暴に拭って声を掛けたが、どうしてか、まだ怖がっている。
「……白鷺姉…っ!!?」
不思議に思って屈み込み、その肩に手を伸ばそうとした時だった。首筋に強い衝撃。視界がチカチカと瞬いて暗転。
そうしてあたしは訳も分からぬ儘、意識を手放した。
「……へぇ、これが惨禍か。良いもの拾った。」
「拾った、じゃなくて奪ったって言うんじゃねぇかと思うがね、こう言うのは。」
「何?お前死にたいの?」
「まさか、とんでもない。じゃ、引き上げましょうか、団長。」
To be continued...