chap.28
「……う、ん…?」
背中に当たる硬く冷たい感触がじわじわと広がって目が覚めた。視界に入ったくすんだ白い壁は随所に罅が入って建物の骨組みが覗く。
「……何処だ、此処…」
chap.28
どっちでもねェ!!あたしは逃げる!!
そうだ、確か橋の下に待ち構えていた白鷺の味方の浪人を倒した後、誰だか解らないけど突然当て身をされて気を失ったんだ、あたし。って事はそいつに捕まって此処に連れてこられたって事か。はぁー、情けねぇー。
自身の詰めの甘さにはほとほとあきれるが、取り敢えず、ずっと同じ体勢でいたらしく身体が辛い。腕を回そうと身動ごうとしたら、じゃらと金属が擦れる音がした。
「うわぁ…」
見れば柱……いや元々は壁だったんだろう、不自然に切り出されたそれに鎖でもって両手首が縛り付けられている。しかもかなり厳重に。
(…なんか前にもあったな、こんなこと…。)
脳裏を掠めた記憶に思わず自嘲した。大分前のような気もするが、そんなに昔でもない。こんなに頻繁に捕まるようでは何時まで経っても土方さんに認めてもらえないじゃないか。
でもまあ、捕まったもんは仕方ない。鎖では前みたいに引き千切れないし、驚くほど人気も感じないので、誰かが来た時に何とか此を外してもらって隙を見て逃げるしかないだろう。
捕虜も二度目となれば余裕もあって、思いの外、頭も気持ちも冷静でいられた。
あー、白鷺とか浪人とかちゃんと捕まったかなー。土方さん達が到着したら誉めろ称えろ昇給しろってせっつく予定だったんだけどなー。
「おー?気付いてるな。」
「!」
暢気な事を考えていたら、気配もなく突然声が聞こえた。驚いて目を遣ると、部屋の入り口に色素の薄いもっさもさの長髪に色白で気怠そうな顔をした厚着のおっさんが立っていて、此方を窺っている。
「お目覚めだな、お嬢さん。」
「…は、はぁ…」
当たりの良い口調ではあったが何となく違和感が拭えないそのおっさんに警戒しながら答えると、良かった、死んでなくて、と表情を変えずにさらりと言うもんだから背筋がゾッとした。
やっぱり何かおかしい…。見た目はあまり変わらないけど、普通じゃない。
動けないなりに少しだけおっさんから距離を取って、気付かれない程度にその姿窺う。
部屋の窓から空を見上げれば、夜ではあったが雨ではない。しかも室内にいるのにおっさんは傘を持っている。
……普通の傘には見えない、何処かで誰かが同じ様に傘を持っていた気がする…。
おっさんはあたしの猜疑の目に気付いてはいたが気には留めなかった様で、部屋の外へ向かって声を張った。
「団長ー、お嬢さん、目ェ覚ましたぜー。」
「…団長?」
団、と言うには人の気配が全く感じないが、此処はどこかの集団のアジトとかではないのか…?単独行動中って事なのか…?
「うるさいな、そんなに大声出さなくたって聞こえるよ。」
思案を巡らせる中、涼しげな声がおっさんに返事をしたかと思うと、その影から1人、少年っぽさを残した青年が顔を出した。
夕焼け空の色をした髪に真っ白い肌、腹の内が全く読めないにこやかな表情。歳はあたしと同じ頃だろうか。おっさんと同じく厚着で傘を持っている。
厚着と傘を除けば至って普通の青年。恐れるような要素なんて一つもない。それなのに、先程おっさんに感じた違和感とは比較にならない様な嫌な感覚が背筋に走った。
こいつはやばい気がする。
仮面の様な笑顔を浮かべたまま青年は此方に近付き、あたしの視線と同じ高さになるように屈み込むとこう訊ねてきた。
「惨禍って君だよね?」
「さんか?」
唐突に言われたが、全く分からず漢字変換ができない。彼は一体何を言っているのだろう。
あたしが首を傾げると彼はすこし退屈そうな溜め息を吐いた。
「覚えていない?それとも、誰かに忘れさせられてる?まあ、そんな事はどうでもいいんだけどさ、」
興味ないし、と言うと一瞬だけ青年の顔から笑顔の仮面が外れる。
何なんだ、意図が読めない。
「何にせよ分からないみたいだから、教えてあげよっか。君、昔ウチの組織がやってた実験の被験者で、地球産のくせにその遺伝子組成の90%以上は俺達と同じなんだって。」
「実験…?」
「俺達が最も嫌う日光の下で永遠に活動できる身体を持つ俺達と同じ力を持つ兵器、天災と同等の惨い力を奮うそれを惨禍と名付ける、って書いてあったよ、ウチの資料には。」
まあ、再生力は脆弱みたいだけど、と青年は付け足した。
色々説明されたが、何を言っているのか本当に意味が分からない。分からない、と言うか脳髄の奥が言葉を拒んで震えている気分だ。聞くな、知るな、とそれが言うようで。
しかし、一方で聞かなければ、知らなければと心が訴える。
「同じ…?」
「そう。俺達、夜兎と同じ。」
「!」
夜兎、その言葉は電撃の様にあたしの脊髄を走る。
確かにあたしら兄妹には夜兎の血が入っていると兄者に聞いた。遠い先祖が夜兎と交わって、あたしらはたまたまその力を遺伝として強く受け継いだ、と。兄者はそう言っていた。
だが、青年は今何と言った?
あたしは実験の被験者だと言った?
「資料に因ると被験者は血族の子供2人。父親が純血種で母親は地球産。惨禍じゃない方、災厄だったかな、そっちの実験は途中で失敗したらしいよ。でも災厄は強かで賢しい上に、60%程度の遺伝子量で君に次ぐ力があったんだって。只でさえ君らは日光の下が平気なんだ。そんな奴が現れたら俺たち商売上がったりだ、失敗して良かったのかもね。」
俺としては残念だけど、と青年は付け足す。
夜兎に近い地球人の子供。
強かで賢しい。
あたしの血族。あたしの脳裏に幼い兄者を浮かんだ。もう決定的じゃないか、大体あたしの血族なんて兄者しかいない。
……しかし父親が純血種とは……いや待てよ、そう言えばあたし両親の話はしっかり聞いたことがない。
親のエピソードなんてあたしが道場破りを再起不能にしたときに兄者と父上が一緒に取り押さえた事と同年に他界した事だけだ。しかもあたし自身、物心が付くのが遅くて両親の事は覚えていない。顔は写真で見たけど、よく思い出せば確かに父上は白い肌で色素の薄い髪をしていた気がする。
物心の付いたのは遅いとは言え5つ、6つで、それより前の話は断片的にも覚えていない。兄者は何も話してくれなかったしあたしも聞かなかった。
そうか、あたしは両親や兄者について知らない事が多過ぎる。
あたしの物心が付いた頃の兄者は既に強かで賢しく喰えない子供だった。
あたしら兄妹はママ、西郷さんとその仲間と言うやたらとむさ苦しい集団と各地を転々としながら生活していて、兄者は西郷さん達と共に“仕事”に出ていたのを覚えている。その日の内に帰ってくる事は稀で、あたしは“仕事”が休みのおっさん達とその帰りを待っていた。
何をしていたかなんて知らない。ただ帰ってきた時は何時も薄汚れていて鉄臭かった。
休みの日には街に出掛けたり遊んでもらったりしたが、兄者の小さい頃や両親の話は全くしてもらった覚えがない。
今思えばあれが攘夷戦争だったと、兄者は参戦を隠していたと判る。となれば、過去を語らなかったのも何かを隠していると考えてもおかしくない。
その「隠し事」が今青年が言った事だったとしたら?
考えすぎかもしれないが有り得ない話じゃない。
暫く俯いてあたしは色んな事を考えていたのだが、眼前の青年の退屈そうな溜め息に意識を引き戻された。
反射的に顔を上げると、形のいい唇がゆるりと弧を描き、笑顔の仮面が浮かび上がる。
「分かった?」
「……え、あ、はぁ、まぁ…」
「そう。ならもうそれはどうでもいいや。」
「…は?」
まだ混乱しているが、青年が言いたいのはあたしが夜兎っぽい地球人だって事だけらしいのでとりあえず頷いた。すると、青年は満足げに頷きを返してきたが、どうでもいいとは何ぞ。
「さっきサムライ相手に凄く好い動きをしてたから、地球産なのにやるなぁって見てたんだ。何か同じ臭いがしたんだよね、君。そしたら前に暇で死にそうなとき組織の資料にあった惨禍って地球人を思い出してさ、似てるなって思ったら、俺達と同じ目をした。間違いないと思って連れてきたんだ。そう言う訳で相手してよ。」
こてん、と首を傾げてそう言った青年はあたしの手の鎖をデコピンで弾いた。すると瞬く間に鎖に罅か入り砂の様に崩れる。
「!?」
「待機ばっかで退屈してたから久し振りに地球に来たんだ。俺の渇き、満たしてくれよ。」
粉々になった鎖に気を取られていたが、瞬間一変した空気に慌てて身を捩った。
ドッ、と音を立てたのは今の今まであたしが繋がれていた柱で青年の手刀が貫通している。しかもその場所はあたしの頭があった高さだった。
「あっぶなッ!!」
「へぇ、反射神経は中々。」
ガラガラと音を立てて柱から手を引き抜く青年の顔には笑顔。
いかん、これ殺されるやつだ。
取り敢えず抜刀して構えるが、隙を見てさっさと逃げないと本当にやばい。
しかし抜刀が戦意と解釈したのか、青年はにたりと口角を上げて物凄い勢いで地を蹴った。
速いなんてもんじゃない、見えない。前動作すら早送りの様な速度で繰り出されたその蹴りが、まともに食らえば文字通り腕が持って行かれる程重い事は先程のコンクリート製の柱を見ていれば本能で分かる。
防ぎきれないなら避けるしかない。
「っ!!」
「アリ?」
力は兎も角、速さなら及ばすともそこまで劣らない自信はあった。身を極限まで下げて、打撃を躱し軸足に向かって薙ぐ。
幾ら強くても、足を負えば動きは鈍る筈。そう踏んだがしかし、刃先がその脛を切り裂く寸前、対象が忽然と姿を消した。
「おっと、」
「えぇっ!!?」
青年は蹴りを振り切っていなかった筈なのに、片足だけであんなに早く飛び退けるだろうか。
出来るわけがない、いや、普通の人間ならだが。
「……人じゃないんだった…」
「やるね。でも甘いや。」
「っ?!」
呟いてすぐ、それこそ本当に間髪なんてちっとも入れず、体勢の立て直しとかそんなのも一切なく、笑顔で右手の拳を突き出しだ。
「くっ、」
「おお、避けた。」
身体を捻ってその攻撃を受け流したが、青年はその勢いのまま左足を軸にぐるりと回ると右足を振り切り、あたしの脇腹を蹴り飛ばした。
「…っが!!」
「……ん?」
衝撃波が出る程の威力に弾かれ鈍い音を上げ壁に叩きつけられる。まともに食らっていたら背骨の殴打じゃ済まなかっただろう。息が出来ないが、これは一時的に肺の空気が押し出されただけ。
「こいつは驚いた。斬られてる。」
蹴りが脇腹を捉えて吹き飛ばす僅かな間、紅羽は反射的に青年の脛と自身の隙間に刀を構えていたらしい。頸部にぱっくりと空いた傷口は骨の手前で止まっていたが、全力で振り切れば確実に足は切断されていただろう。
痛みとは身体の防衛機構、それは万物に共通であり、流石の青年の身体も切断を危惧して無意識に力が弱まったのだろう。
「ごほっ、」
肺が落ち着いて酸素を求めて咳き込んだ紅羽へ、血の滴る脚を眺めて少々満足げだった青年は顔を向けた。
ずるり、と壁から剥がれ落ちて膝を突くそれに追撃を。
「っ!!」
刀を支えにふらつきながら立ち上がった紅羽の目もその突撃を捉えたが、構え直す暇がない。小さく舌を打って懐に手を伸ばし、小刀を乱暴に抜く。鞘を伴わぬその刃に、びり、と隊服の前が斬れた。
「…!!」
顔面に向かって突き出された掌を首を捻って躱す。
「!」
勢い余って壁をぶち抜き腕が埋まったしまった青年に出来る刹那の隙。支えにした刀を引き抜いて鞘に戻し部屋の出口へ走る紅羽の手には小刀一振り。
「退けぇ!おっさん!!」
「…さて、此処で選択肢だ。」
「あぁ!?」
入口を塞ぐ気怠げな男に斬り掛かるのも厭わないと小刀を逆手に構えた紅羽に男は淡々と言った。
「このまま俺と対峙して殺されるか、戻って団長を殺されるか、二つに一つだ。」
「どっちでもねェ!!あたしは逃げる!!」
構えた小刀に力を入れて紅羽は男に突進する。それでも男は動かない。
「意志に迷いはないか。良い選択肢だ。だが、」
「!?」
紅羽の一太刀が男の目許に一閃入る僅かに早く、その鳩尾目掛けて男は手刀を放つ。容姿こそ違うが青年と同じ風体は男が何であるかを物語り、放つその威力が如何程か紅羽は本能で感じた。
自らの攻撃の軌道は反れてしまうがそれ所ではない。軸足を蹴って腹に風穴が開く寸での所で身を翻した。
「…づぅ!」
「ほお、こりゃたまげた。」
無理な体勢の転換では当然受け身など取れず、紅羽はそのまま床に転がる。先にぶつけた背骨に更に痛みが加わった。
「ってぇ……」
「……………。」
痛みに縮こまる紅羽の元へ青年が歩み寄る。自身を見下ろすその目をせめて睨み返してやりたいが、それすら出来ないのが悔しい。横たわっているせいか圧倒的な実力差のせいか、青年がやたらと大きく見えた。
「く、っそ……」
「…いいや、もうやめた。」
「!?」
暫く紅羽を見下ろして青年が発した言葉に背筋が凍る。やめた、と言うのは戦いをか、それとも生かしておく事をか。
「女を殺す趣味はないんだ。強い子を産めそうな女は、尚更ね。」
「っ…!?」
言葉から殺されはしないと分かったが、その先の意図が読み取れない。否、理解が追い付かないだけか。青年は屈んで紅羽の首根っこを持ち上げて、その顔を窺う。彼の顔には既に笑顔の仮面は貼り付いていない。
「期待した程じゃなかったけど、それなりに面白かったよ、君。」
僅かではあったが満足そうな青年が一体何が言いたいのか、何を言うのか想像がつかない紅羽はただその青い双眸を見返した。
「君は遺伝子的にほぼ俺達夜兎と一緒だ。それってつまり夜兎が相手ならほぼ夜兎に近い子供が産まれるよね。強い相手がいないなら育てればいいんじゃないかなって思うんだよ。」
「……っは、………なっ………づぅ?!」
未だ整わない呼吸の中で、太腿に痛みが走る。見れば彼の手刀が隊服の上から貫いているではないか。激痛に顔を歪めながらも青年の発した言葉の意図を始めて理解できた紅羽の息遣いは驚きと動揺に震える。しかし青年はそんな彼女は気にも留めず、視線は動かさず入口に控える男に言った。
「空気読みなよ、阿伏兎。」
「はぁ…。はいはい、団長様の仰せのままにー。」
溜め息を吐きながら男は場を去ると、青年は紅羽を肩に担いで移動し、壁に立て掛け追い詰める。
「……あり?意外だな、御手付きだ。」
小刀を出した時に裂けた隊服から、鎖骨の下の赤黒い痣が覗いて、青年は少し不服そうだった。
To be continued...