No one knows but me

 数年に一度訪れる文書更新のお知らせがポストに投函されていた。去年とは色々立場も変わり、今年の手続きを考えるとなかなか頭が痛いのだが、家庭を持った身としてはそうも言っていられず、分厚い封を慎重にあける。


 保険金の受取人や相続については身をかためた時に手続き済なので、後は税金等諸々の手続きや、万が一の事態を考えての意思確認書等、きな臭く面倒なものばかりだ。勝手に決めると怒るだろうと予想はついているので、話をしながら決めようと横によけると、最後に簡素な封筒が姿を現した。


 相澤はこれが一番苦手だった。


 自分の死後に身近な人物へと送ってくれるというそれは、長い間内容も変えずにいたのだが、流石にそろそろ書き直しが必要だろう。記憶の中より薄っぺらな両親の名を記した封をあけ、自分が書いた遺書を読む。


 つらつらと、先立つ不幸を詫びた後、いきなり財産分与や遺品について触れているそれは、我ながら合理的過ぎて涙すら出ない。死と隣り合わせなこの仕事を、親がどう思っているのかは知らないが、数年経って読んでみるとさすがにこれは無いだろうと頭を抱えた。重い腰をあげ、彼女のレターセットを勝手に拝借すると、両親あての手紙を書き直す。書くことは大体決まっているが、あまり事務的にならぬように気をつけて、最後に残して行くだろう彼女の事を書き記す。


 疲れた目に目薬を注し、時計を見やる。彼女はまだ仕事中で帰ってこないはずだ。


 レターセットから、また何枚か拝借してペンを握る。そういえば彼女に手紙なんて初めて書くなと考えて、それが遺書というのはどうなのだろうと一人苦笑した。


 事務的な内容だけでなく精一杯の感謝を添える。何を書いても薄っぺらく見えて、書いては消しを繰り返し、使った便箋は何枚にもなるのに出来上がった遺書はたったの2枚だった。初めて渡す手紙がコレになるならばいっそ何も残さないほうがいいのではないかという思いまで浮かんだが、それもまた薄情だろう。


 書き損じた遺書をシュレッダーにかけて、伸びをすると肩の関節が嫌な音を立てる。随分と長い間机に向かっていたらしい。携帯のLEDがちかちかとメッセージの着信を告げて光り、通知欄に短縮された彼女のメッセージが流れている。使い込んでしまったものは後で買い足すとして、残り一枚しかない便箋を手にとると、相澤は再び机に向かった。






「ただいまー、そっちにも文書更新のお知らせ来た?」


「おかえり。来てたよ。後で手続き関連の事で相談させてくれ」


 分かったと頷きながらキッチンを覗き込む彼女に、今日は自分が作ると言うと目を瞬かせて嬉しそうに笑う。でたらめな歌を歌いながら洗面所へと消えていった背中を見送って、出来合いのスープの素を鍋にあけると、いつの間にか戻ってきた彼女が封書を片手に後ろから手元を覗き込んでいた。


「今日のメニューは」


「炒飯とワカメスープでいいか」


「いいね。消太の作る炒飯美味しいから好き」


 ガサガサと封書をあけて、友人の多い彼女らしい封筒の束を取り出すと、遺書書くの苦手なんだよねと彼女が一人ごちる。そんなもの得意なやつなど居ないと思うがつっこむのはやめにして、次々とシュレッダーに封筒を食べさせる彼女を尻目にフライパンを火にかける。


「消太宛のも更新しなきゃね」


「俺宛のもあったのか」


「まあね。好きな人には憶えていて欲しいじゃない…あれ?」


 細切れになった手紙をまとめてゴミ箱に入れながら、棚を手探りした彼女が封筒だけになったレターセットを取り出して首を捻る。使い切ってしまった便箋を思い出してなんと声をかけたものかと思いあぐねていると、やけに多いシュレッダーのゴミに怪訝そうな顔をした彼女と目があって少し気まずい気持ちになる。


「…すまん。買ってくる」


「何通書いたの。結構あったのに」


「2通だけだ」


 遺書書くのは苦手なんだよと言うと、奇遇だねと彼女が笑った。






 朝の冷気に寒そうに縮こまる裸の肩に毛布をかけなおし、寝ている彼女の枕元に薄い封筒を一枚おいて起こさぬようにベッドを抜けた。

 内容を読ませる事態にならない努力をしようと心に決めて、彼女の名前を記した封筒を入れた更新文書の分厚い封筒を、出しておいてくれというメモとともに机に置くと、自分宛に書かれた彼女の遺書が目に入った。

 自分のものとは違い随分分厚く、封筒ごとはシュレッダーにかけられなかったのだろうそれは、端っこだけがシュレッダーに噛み千切られて悲惨な状態になっていて、大雑把な彼女の豪快な痕跡に思わず口端が上がる。


 見ないほうがいいだろうその手紙をそのままに身支度をして家を出ると、今日も仕事用のモバイルが出動要請を知らせに震えた。

 昼夜を問わない命を懸けた仕事だからこそ、遺書なんてものが必要になることはわかっているが、自分の同期に言わせれば手紙ってものはもっと幸せな物のはずなのだ。

 ゴーグルをつけて気を引き締め、雪の降りそうな曇天に身を翻しながらまだ眠る彼女を想う。


自分にできる最大限で生きる努力をするとしよう。


あんなつまらない手紙。読むのは自分だけで充分なのだから。