君のペット

「活動量計か」

「そう、ちょっとだけ協力してくれない?」

 彼女の親友が開発に携わっているのだというその手首に着けるデバイスタイプの活動量計は、見た目は黒いただのチープな腕時計のような外見で、彼女が言うように多機能には見えなかった。彼女の説明を聞く限りではGPS機能は省いているものの、心拍数を元にしたカロリー計算やストレス値の計測、さらには睡眠状態まで記録してくれるのだという。

「あまり身につけるものは好きじゃないんだよな」

「知ってるけど、無茶苦茶アクティブに動く、あんまり寝てないストレス値高そうな人っていうのが消太以外に思い浮かばなくて…」

「お前が俺の事をどう思ってるか良く分かったよ」

 活動量計を返そうとすると、突き返す手をがっしと握り返した彼女は、やたらと必死な目でこちらを見上げ、お願い1ヶ月だけだから!等とのたまった。そんなに風呂の間も寝ている間もつけっぱなしなど考えられないと暫く押し問答を繰り返すことになったが、彼女も頑固で中々折れてくれない。

「大体俺に何のメリットがあるんだ、合理的じゃない」

「アプリの管理は私がして、モニター期間中は私がご飯を提供する…と言ったら?」

 そこそこの金額をモニター料としてもらっているのだろうことはわかったが、提案してくる彼女の表情を見る限り、おそらく俺に夕飯を提供するとあまり彼女の手元には報酬は残らないのだろう。報酬が減るという少しの葛藤と、一緒に居られる時間が増えるかもしれないという期待がないまぜになったような複雑な表情で「どうかな」とおずおず申し出てくる少し年下の彼女に、正直あまり悪い気はしない。何より彼女の作る食事は美味いのだ。1ヶ月の間とはいえ彼女にご飯を作って貰えるという提案はなかなか魅力的だったので、俺は彼女の手からデバイスを受け取って自ら手首にはめたのだった。

「アレ、イレイザー。アクセサリーなんて着けてンの」

「モニターやってるんだよ」

 職員室で仕事の最中、目敏く腕のそれをみつけた同僚が、面白がって左腕のデバイスをいじくる。時計としてしか使ってこなかったそれは、画面をタップすると色々な情報が表示されるらしく、表示を切り替えては感心するような声をあげて、俺も買おうかななどと独り言を言い始めたので腕を引っ込める。

「それにしても意外だな。カロリー計算の画面とか、食事の情報がやたら細かく入ってたケド、お前結構マメなのね」

「それは俺じゃなくてモニターの依頼主がやってる」

「それって結構手間だろ。食事報告しなきゃだし」

「そいつが作ってるから俺は昼飯しか報告してない」

 ゼリーの写真を撮って送るだけ。簡単な作業で終る昼食には毎回彼女が渋い顔をするが、短い時間で必要な栄養が取れるので、今も画面を睨みながら俺はゼリーを啜っている。

「Hmm,依頼主っていうよりゴハンくれる飼い主だな」

 ニヤニヤと頬杖をついて笑う同僚に、1ヶ月だけの飼い主だけどなと言い捨てて、再び俺は画面に目を戻して資料作りに没頭した。時折視界の端でデバイスがストレス上昇のアラートを上げるのが目障りだな、と思いながら。

「うーん、モニターとしては優秀なんだけどこのストレス値は…」

 通いなれた彼女の家に帰宅すると、デバイスと同期したアプリを睨んで彼女が頭を抱えてうなる。どうやら俺のデータはストレス値が振り切れて、運動量はアスリート並、さらには睡眠がほぼレム睡眠という大変なものらしく、同期させて表示されるグラフを見るたびに彼女の顔が曇ってゆく。

「モニターとして優秀ならいいんじゃないのか」

「優秀すぎて心配になるレベルなんだって…」

 彼女が作ったおでんに柚子胡椒をつけて頬張りながら、うんうん唸る彼女のつむじを見つつ炊き立ての土鍋ご飯をかきこむ。ふわふわした猫っ毛の彼女のつむじは右巻きなのか左巻きなのか判別が難しいな、等とどうでもいいことを考えながら、しっかり面取りされて下茹でされたなべ底大根を頬張って、ごちそうさまでしたと手を合わせる。未だに頭を抱えている彼女を尻目に、彼女の分も食器を引き上げて洗剤を含ませたスポンジでざぶざぶと食器を洗っていると、背中に柔らかいものが触れ、脇から白くて華奢な腕がするりと生えて腰に回された。ちょっと邪魔だがそのまま皿を洗っていると、手首のデバイスがストレス値の変動を告げてピピッと小さな電子音を立てる。

「あれ、ごめん邪魔だった?私が洗い物するから座ってていいよ」

「いや、大丈夫だよ」

 無自覚だったがそんなに洗い物が嫌だったのかと腕のデバイスに目をやると、ストレス値が正常値に戻ったという文字が液晶を流れていく。濡れた手でデバイスの設定をいじり、ストレス値変動のアラートが鳴らないように設定すると、彼女の手をとって腰に回させ俺は再び洗剤を泡立てた。

「ちょっとこうしててくれ」

「うん?うん」

 嬉しそうに背中にくっついた彼女の頭が控えめに肩甲骨に押し当てられて、アラート音は鳴らないものの腕のデバイスが細かく振動する。意外と単純らしい自分に苦笑しながら、最後の大物の鍋を手に取ると、俺は洗剤を追加して、背中にいる彼女がくっつきやすいように少しだけ丸まった背を伸ばした。

「それで、モニターデータは提出できたのか」

 1ヶ月の間、腕につけ続けたデバイスを返しながら彼女に聞くと、彼女はまぁねと不思議そうな顔をしてアプリをいじって見せてくれる。

「なんか急速にストレス値が下がる所があって不思議なんだって、出来ればもうちょっとモニターしてほしいって友達が言ってたんだけど」

 アプリにはクレバスのように急降下しては鋭角に上がるストレス値のグラフが表示されていて、何でだかわかる?と彼女が不思議そうにその不規則なグラフをスライドしている。大体は彼女と食事をして二人で過ごしていた時間だったり、彼女と同じベッドで眠った日なのだが、どうやら彼女は気づいていないらしく、こんな深夜に猫カフェとか行かないもんね等と的外れな事を言うから、つい隠しきれずに小さな吐息で笑いが漏れた。

「ストレス減らせる方法がわかれば、ストレスに悩む皆がずっとそれを実行しとけば安泰じゃない」

 友達の受け売りだという言葉を口にしながら、彼女が俺の手首に再びデバイスを装着する。バンドを通す白い指と飾り気のない短く切りそろえられた桜色の爪に、なんとなく同期の言っていた言っていた飼い主という言葉を思い出す。

「ストレスを減らす方法は、料理上手な飼い主に飼われることじゃないかな」

「ペットじゃないんだから」

 彼女がそのまま手をつないで、腕についたデバイスが震える。1ヶ月過ごしてまた不思議なデータが取れたらレポートを書かねばならないのだという彼女に手を弄ばれながら、そいつは大変だなと苦笑する。きっとまた俺のデータは大きなクレバスを作るだろう。原因に気づいたら彼女はどんなレポートを書くのか興味は尽きないが、きっと彼女が欲するデータが取れないことを知りつつも、俺は再び黒い首輪をつけたのだった。