Always greener
二人の家からは程遠い、公園の見えるチェーンのコーヒーショップ。学園都市ながらも落ち着いた雰囲気の静かな店で、ただ運転のお供にとコーヒーを買いに立ち寄った私達は、居心地の良さから店内の一角に腰を下ろした。
さわさわと人の話し声がさざ波のように耳に優しく、BGMは有線のスタンダードジャズナンバー。彼が持ってきてくれた膝掛けも手触りがふわふわで、後はもう帰るだけなのだけれど、あっという間に飲み切れてしまいそうなショートサイズのココアをちびちびと舐めるように飲みながら、さっき見た映画の裏話を語って聞かせてくれる彼の声に耳を傾けていた。
「ピアノ弾いてたシーンに出てきた男はさ、あのアーティストが晩年一緒に過ごしたってラストで流れてたけど…ってアレ、飲み終わっちまった?」
会話をしながらしなやかに動いていた指先が止まり、楽しそうに笑っていた大きな口がぴたりと閉じられて、大きな手が手の中で弄んでいた空のカップを引き取って行く。見た目で誤解されやすい彼の、こういった細やかな気遣いは私と二人で居る時にもよく発揮されてしまい、気付くとすぐに世話を焼かれてしまう。
「飲み終わったけど、もうちょっと話して行きたいな」
「OK、それじゃ何か買ってくる。何飲みたい?」
「チャイにしようかな、暖かいやつ」
買ったばかりの春色の鞄から財布を取り出すと、長い指がついと財布を押し戻した。目をあげるとウィンクをした彼が「ココは俺が払うから、後で運転中に飲む水買って」と後ろ手に手を振ってレジに並びに行ってしまった。
ゴミを片づけて店員さんからメニューを受け取り、片手をデニムの後ろポケットに突っこんで真剣な顔になった彼は、その長身から目を引くらしくほんの少しだけ目立っている。普段と違い今日は髪を下しているし、サングラスではなく黒縁メガネをポケットに引っかけている。余程ディープなファンでもない限り気づかないデショ、という彼の言葉を思い出しながら眺めていると、後ろに並んだ年配の客に何やらメニューについて質問されて談笑を始めたので、きっとバレるのも時間の問題だなと苦笑しながら、青々とした葉が目に眩しい公園内のテラス席に目を移した。
テラス席では高校生のカップルが、二人で一つのスコーンを半分こに分け合って、寒い寒いと騒ぎながら肩を寄せ合っていて、なんだか微笑ましくて自然と口が笑みを浮かべてしまい、緩んだ口元を隠すように頬杖をついたところで彼らが全く見えなくなった。視界を新緑よりも鮮やかなグリーンが塞いだのだ。
「なーに笑ってンの」
「もー、可愛い二人を見てたのに」
悪戯っぽい顔で笑う彼が黒いトレーを片手に、目の前にひょいと顔を出したものだから、邪魔とばかりに頬を掴む。おかえり、とかける声に、ただいま、と穏やかに返す声。手渡されたチャイはグランデサイズで、彼ももう少し一緒に居たいと思ってくれているようで再び笑顔を浮かべてしまう。
「あ、ちゃんと蜂蜜とシナモンが入ってる」
「ソ、お利口でしょ。いつもそうやって飲んでたからカスタムしといたぜ。ミルクはソイにするんだろ」
「よく覚えてるね」
「まーネ、いつも見てますから」
ありがとうとお礼を言うと、柔らかい微笑みが返されて、それを見るのが好きな私は結果いつも甘やかされてしまう。今も目の前で彼が買ってきたケーキとタルトを半分に切り分けていて、ああまた甘やかされているなと頭の端っこで思いながら、されるがままになってしまう。嫌ではないしむしろ心地が良いから困るのだ。
「そんで、可愛い二人ってあの高校生?」
「そう、あんな高校生活を送りたかったなぁって羨ましくて」
「そーだな、俺も高校生の頃は、ああいうの憧れてたわ」
「私達が高校時代に出会ってても、きっとああはなれなかったよね」
「俺らの高校時代って大体、仕事と訓練で遊んでる場合じゃないもんナ」
苦笑しながら彼の切り分けたケーキの片割れにフォークを突き刺し口に運ぶ。ほんの少し洋酒の香るスポンジがほろりと口の中で解けて美味しく、あっという間に半分食べきってしまった私を見ながら、彼が俺の分も食べていいよと笑ってテイクアウト用のカップに入ったカプチーノを啜っていた。
「あれ、なんでテイクアウト用なの?飲みにくくない?」
「ちょっとな、でもコレじゃないとフォームミルクが髭についちゃうの」
「それはそれで、ちょっと見てみたいかも」
「ヤだよ恰好悪ィじゃん」
ミルクの髭をつけた彼を想像して笑いながら、彼の髭に触れようと手を伸ばしかけたところで、思い直して手を止める。ここはお互いの家じゃなくて外なのだ。誤魔化すように落ちてきた自分の髪を耳にかけると、ガラス越しのテラス席から明るい笑い声が響いた。半分こにしたスコーンを二人で食べさせあって、口いっぱいに頬張った男子高校生が喉につまりそうだと笑っていて、それを隣で見る女子高生が背中をさする。
「可愛いなぁ」
いいなぁという言葉を飲み込んで呟いた言葉に、彼が眩しそうに眼を細め、彼にしては言葉少なに「ウン」と頷いた。見つめすぎたのか女子高生と目が合ってしまった私に、彼女は照れくさそうに髪の毛をいじってはにかんで、また私は可愛いなぁと呟いた。
「春の新メニュー、試飲を提供させていただいております」
さわさわとした店内が店員さんのその声に少し賑わい、ぱらぱらとカウンターへと人が流れてゆくのを合図に、私は高校生たちから彼に視線を戻した。何やら思案顔の彼が視線を巡らせながらニヤリと笑って口を開く。
「たまには我がままいってもいいんだぜ」
憧れてるでしょ、いまも。そうい言いながら何かを差し出すその手を見ると、切り分けたタルトの半分を指でつまんでこちらに差し出していて、いつも慎重な彼の行動に呆気にとられてしまう。周りは試飲サービスでこちらを見ている人はおらず、だからこその行動らしい。早く早くと急かされてタルトの端っこ、洋ナシが乗った甘い生地に一口噛みつくと、彼が悪戯っぽい笑顔で私の唇についたシナモンを指先で拭った。
「美味い?」
「ん」
こくこくと頷きながら返事をすると、一口で食べきれなかった残りのタルトを皿に乗せ、指についたシナモンを舐めとりながら彼が笑う。試飲サービスはまだ続いているらしく、賑やかなカウンターに目をやって、私は彼が切り分けたスポンジケーキを指でつまみ、彼に向かって差し出した。
蕩ける様な笑顔を浮かべ、大きな手で私の手首を掴み、落ちてくる髪を耳にかけながら、あんぐりと大きく口を開けた彼が口を寄せて半分に切ったケーキを丸ごと頬張った。ちらりとこちらに視線をやりながらクリームのついた指先ごと口に含み、何事もなかったかのように手を離してケーキを咀嚼する。
わらわらと試飲のカップを持って帰ってくる周りの客を眺め、二人で悪戯が成功した子供のように顔を見合わせて笑っていると、彼がテラス席に視線をやって苦笑した。
「アー…悪い、もう店でなきゃダメかも」
視線の先には先ほどのカップルが居て、私達と目が合った瞬間、頬を染めて目を逸らした。彼はまた何かを確かめるようにこちらをちらりと見た男子高校生に指一本を唇に当てて困ったように笑ってみせると、私が一口では食べられなかったタルトをひょいと一口で片づける。
「そんじゃ行こっか」
「うん」
エスコートするように差し出された手を取って、再びテラス席に目をやると、頬を染めたまま目を瞬かせた彼女が、眩しそうにこちらを見つめていた。恭しく手を取る彼と、それを当然のように受け入れている私は、彼女の目にはどう映っているんだろうか。
私にとって彼女たちが眩しく見えたように、きっとあの子にとっては私達がそう見えるのかもしれない。いつだって隣の芝生は青く美しく見えるのだから。
芝生よりも新緑よりも美しい目を細めて笑う彼に手を引かれてテラス席を横切りながら、彼女にだけ見えるよう、私は片方の目をそっと瞑って微笑んだ。