All I Want For Christmas Is You

 この日に陽気なクリスマスソングが流れるのは、どこの世も同じらしい。そんな事を考えながら彼…相澤 消太は着慣れぬ燕尾服の襟を正した。

 眼前には自分には縁遠い豪華客船。今宵一夜限りのクリスマスクルーズでパーティをするのだというセレブが今夜の依頼人だ。ホワイトタイで、というのだから格式高い晩餐会であることがうかがえる。

 要人警護は、SPとは別に顔が割れていないヒーローにもお鉢が回ってくることがある。大体は新人や警護に秀でた個性のヒーローの仕事だった。

 パートナー同伴だというそのクルーズパーティを、独り身の自分には荷が重いからと体よく辞退しようとしたが、なんとしても抹消の個性をと先方のたっての希望で押し切られてしまったので仕方なしにここに立っている。

 依頼主に任せると戦闘能力に秀でた異性のヒーローをあてがうと言われてしまったので断りきれず、こうして次々乗り付けてくるリムジンから自分のパートナーを待つ羽目になっているのだった。

「お待たせして申し訳ありません」

 カツカツとなるハイヒールの音とともに、聞き慣れた声がかけられたのは、相澤が幾度目かのため息をついたその時だった。

「…やっぱりお前か」

「え、まさかイレイザー?」

 呆気に取られたような声に声の主を振り返ると、いつものヒーロー姿ではなく、コートの前を寒そうに掻き抱いた見慣れぬ姿の彼女がこちらを見上げていた。

「まさかってなんだ」

「わかんないって、髭は?!」

 彼女が驚くのも無理はない。いつもの無精髭は綺麗に落とされ、髪はオールバックにして整えている相澤は普段と違う男に見えるのだろう。
 しかも服は依頼人から支給されたオーダーのテールコートなのだから、いつものヒーロースーツ姿とは似ても似つかない。

「剃らんわけにいかんだろ。パーティだぞ。それよりここで話すのはマズい」

 はよ行くぞ。とポケットに手を突っ込み足早に船へと乗り込む。クロークでコートを預け、招待状を見せて船内の控室に通されると、改めて彼女に向き直った。

「装備と段取りの確認を…」

 普段の調子で打ち合わせをしようと振り返ると、ヒールのせいか普段より距離が近くなった彼女と視線が交わった。

 じっとこちらを見やる目は長い睫毛が縁取り、化粧を施しているのだろう唇は縁から淡くグラデーションを描くように艷やかに描かれていた。ドレスは落ち着いたボルドーで髪色に良く合っている。

「イレイザーがいつもと違うから、何だか落ち着かない…」

 二人して妙な気まずさに固まっていたが、沈黙を破ったのは彼女からだった。

「こっちのセリフだよ…調子が狂うな」

 目の下をかきながら相澤がそう言い返すと、お互い様だったか、と彼女が笑った。

 身につけるわけにいかないので外していた捕縛布を彼女に預け、彼女の武器である麻酔銃をホルスターに仕舞い、シャツの上から身につけて燕尾を羽織り直す。お互い自分の武器の隠し場所が無く苦肉の策ではあるが、離れなければすぐに手が届く。

「捕縛布は?」

「使いやすい場所…ショールの下にある」

 胸元が際どいドレスに目を落とすと、端を掴みやすいようにしてある、とショールの結び目をヒラヒラと揺らされた。チラリと覗く捕縛布を使うにはショールをひん剥く事は避けられなさそうだ。

「他に無かったのか」

「スカートの中より良いかと思ったんだけど」

「…それはそうだな」

 スカートの中に手を突っ込んで捕縛布を使うよりはいいかと諦め、出来る事なら使わずに済む事を心から祈る。いざとなったら痴漢まがいの行為を働かねばならぬ未来に頭痛をおぼえながら、相澤は彼女をエスコートするべく腕を差し出した。

「とんだクリスマスだよ全く」

「まあまあ。私みたいなゴツい女が相手で悪いけど機嫌直してよ」

 カラカラと彼女が笑う。そういう事じゃないんだが、とは思っても、面倒なので口には出さなかった。

 ホールからは贅沢な生演奏のクリスマスソング。きらびやかな世界に踏み出したら、予定通り警護対象が目に届くよう配置につかねばならない。

「それじゃあ行きましょうか、消太さん。」

 すました顔で彼女が腕を絡める。ヒーロー名では支障があるからとはいえ、わざわざ下の名前を呼んで、いたずらっぽく微笑んでいる。

 そうだな、と彼女を下の名を呼び返すと、相澤もニヤリと笑った。一瞬で首まで赤くなった彼女を連れて、ホールの中に歩み出ると、背後から悔しそうに悪態をつく声が聞こえた。

 普段ならば面倒なだけのパーティも、そう悪い物ではない気がするのは、きっとクリスマスの陽気な雰囲気のおかげなのだろう。

 ホールの中では、誰しもがみたことのある海外ミュージシャンが、クリスマスソングを声高らかに歌っていた。