この日々に名前をつけるなら
確保したヴィランを警察に引き渡し、現場検証を終えたところで、ヒーロースーツの懐にしまい込んだ携帯が長いバイブレーションで電話が来たことを告げた。
液晶画面には彼女の名前と、飼っている猫がこちらに腹を向けて転がっている写真。
「電話ですか?出て頂いてかまいませんよ」
検証に立ち会ってくれていた三茶刑事が、目ざとくこちらの状況に気付き促してくれる。
「スミマセン、ありがとうございます。」
指をスライドさせて通話モードにすると、自分の体温で温まった携帯を耳に当てた。
「どうした」
『あ、良かった。ヒーロー負傷のニュースが入ったから心配で。』
スピーカーにして料理でもしながら電話しているのだろう、まな板で包丁が軽快なリズムを刻む音をBGMに、エサをねだる猫の鳴き声。仕事モードだった頭が日常に引きずり戻される。
「俺じゃない。さっき病院に運ばれたが意識はしっかりしてた、多分大丈夫だろ。」
『さっきってことはまだ仕事中だった?切ろうか?』
「警察への引き渡し中だが…今終わったとこだ。これから帰るよ」
三茶刑事に目をやると、こちらを見やり頷いてくれたので、彼女に大体の戻り時間を伝える。こうしておくと丁度良いタイミングで温め直さずにおかずが出せるのだと言う彼女に、いつからか自然と従っているから不思議なものだ。
『あ。まって!春巻きと青椒肉絲、どっちがいい?』
「春巻き。ビールまだあったか?」
『ん、キンキンに冷やしとく』
気を付けて帰ってきてねと言う彼女に分かったと答え、通話を終えると、こちらを見やる三茶刑事と目が合った。なんだか羨ましいですねと笑う彼に暇を告げて警察を後にする。
ランドセルを背負った小学生が、はしゃぎながら駆け抜ける商店街。少し早い退社に電話をしながら歩くサラリーマン。皆家に帰るのだろう。
どこかから吹いた風に乗ってカレーの香りがした。目をあげると蜜柑色の夕焼けに薄墨で描いたような雲が泳いでいる。繰り返すだけの日常が、彼女と家庭を築いてから時折こんな風に鮮やかに見えることがある。
立ち寄ったコンビニの袋を片手に、セキュリティを解除して玄関を開けると、猫が足元に擦り寄って一声鳴いた。声をききつけてか、エプロンをつけた彼女が、春巻きのタネと片栗粉で手をベタベタにしたままキッチンからこちらを振り返る。
「おかえり!スーツは洗濯機につっこんどいて」
「ただいま。アイス買ってきた」
マジで?やった!と無邪気にはしゃぐ彼女にキスをすると、きょとんとした顔でこちらを見上げて、赤くなった。
「なんかご機嫌だね消太」
「春巻きだからな」
そんな好きだったっけ?と首をかしげる彼女が、ベタベタな手のまま頬を掴んでキスを返してくる。少し乾き始めていた片栗粉が、ぱらぱらと頬から落ちた。
「お前な…」
「先にお風呂入っちゃって」
悪戯っぽく笑う彼女に押しやられ、熱くわいた風呂に身を沈めると、油の跳ねる軽快な音と共に彼女の鼻歌が聞こえてきて目をつぶる。
きっとこの、何てことない日々の為に、俺達はヒーローになったんだ。