てのひらの温度

 大混雑の歩行者天国で人波に揉まれ、カウントダウンを喧騒の向こうに聞きながら今年を迎えた私は、始発も動き出して帰路につく人々を見やりながら、大通りを力無く歩いていた。

 犯罪抑止に丁度いい個性持ちの私が、こういったイベント事の警戒に駆り出されるのは毎度のことなのだが、活動拠点を都市に移し、初めて大人数を相手にしたためか、疲労感が想像以上に堪えるものがあったようだ。普段は一晩くらいの任務ではこんなにくたくたにならないのだが、人に酔ったように胃の腑が重い。

 同期のヒーローと交代をして、やっと人混みから解放された私は、ヒーロースーツの上から私服のロングコートを羽織って一般人に擬態し、足早に路地裏へと抜けた。人混みを避けたかったからか自然と足が向いたのは朱に塗られた鳥居が見事な神社。メディア企業のビルが軒を連ねるこの大きな都市の中にありながら、竹林に囲まれたここは空気が澄んでいて気持ちが良いのだ。

 朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸。鳥居を一礼してくぐり、初詣のラッシュを終えて人もまばらになった参道を歩いていると、前を歩く長身の男性が目に止まった。

 無造作にまとめ上げられた長い金の髪。細身のモッズコートにヴィンテージデニムとブーツといったカジュアルな姿。シンプルな出で立ちなのに目を惹かれる存在感。この時間にここで参拝するということは、メディア関係者なのかもしれない。

 手水場で追いついてしまい、あまりジロジロ見ないようにとハンカチを取り出し柄杓を手に取ると、斜向かいで彼も同じように手を浄める所だった。

 彼の長い指が柄杓の柄に揃えて添えられ、親指がそっとそれを押さえる。傾けられた柄杓から流れる冷たい水が、左手を濡らし、短く切り揃えられた爪の先を伝って水滴が朝日にきらきらと煌めきながら落ちてゆく。綺麗な所作で行われるそれは厳かな儀式のようで、つい目を奪われてしまう。

 このまま後ろをついていってしまえば、きっとまた同じように見つめてしまいそうだと思った私は、同じように手を浄め、最後に柄杓を持ち替えて左手で受けた水で唇を濡らすと、足早に本堂でお参りを済ませた。

「あれ、アンタあの時のヒーローじゃないか!」

 帰りを待ってくれている事務所の同僚にお守りでも買って帰ろうと社務所を覗いてバイトらしき巫女さんに声をかけてお金を払っていると、お神酒を配っている男性から声がかかった。その顔には覚えがある、確か…

「玉突き事故の時の運転手さん?良かった、もう退院されたんですね」

「そうそう!いやぁ、アンタのおかげで九死に一生を得たよ。ありがとうなあ」

 まあ飲んでってよと、紙コップを渡される。なみなみと注がれた日本酒は縁から溢れんばかりで、夜勤明けだが大丈夫だろうかと少しの不安を抱えながら、私は笑顔で口をつぐんだ。どうせ仕事はこのあとオフだし、多少酔っても支障はないだろうから少しずつ飲もう、と腹をくくる。

 火に当たらせて貰いながら、春に孫が産まれるのだという話を聞かせてくれる運転手さんの笑顔に、ヒーローをやっていて良かったと心が暖かくなり、じんわりと疲れた身体に酒気が回ってか体も温まってきたのを感じた。それでもまだ冷える手を火に炙りながら、酒の回りが早い事に内心頭を抱える、多分このままでは1杯飲み切るころには酔っ払ってしまうだろうことは想像が容易かった。

「どっかで見た事あると思ったら同業者だったのな?!」

 誤魔化すように、ちびちびとお酒を舐めながら火に当たらせてもらっていると賑やかな声が頭上から降ってくる。見上げると先程の金髪の男性がすぐ背後からHappy New Year!と朗らかに挨拶を交わしているところだった。その声にはやたらと聞き覚えがある。金の髪にこの長身、そしてこの声は…

「もしかしてプレゼント・マイク?」

「Yap!そうだぜリスナー」

 二人もヒーローに会えるとは年始から縁起がいいなと笑う運転手さんが、同じようになみなみと酒を注いだコップをマイクさんに差し出して、火に当たっていきなよと誘う。

 大きな集まりで目にする事はあってもこうして面と向かうのは初めてなので、ヒーロー名を名乗ってはじめまして、あけましておめでとうございます、と頭を下げて場所を空けると、綺麗な発音でThanks!とお礼を言って彼は私の隣で火に当たり始めた。

 年始は年越しライブの後に、大体近場で初詣を済ませて帰るのだという彼の顔をそっと見上げた。髪を下ろしていると印象が違うからか気付けないものだなと思いながら、朝日に眩しげに細められる緑色の綺麗な瞳を見つめて、普段サングラスをしているのは色素が薄くて光に弱いからなのかな、などと、運転手さんと話をするマイクさんを観察しながらちびちびとお酒を舐めていると、その明るい瞳がいつの間にかこちらを見返していた。

 目をそらすわけにもいかなくて、不躾な視線を送ってしまったことを誤魔化すように笑顔を返し、手の中でくるくると紙コップをもて遊ぶ。

「破魔矢買って帰ろうと思ってんだけど、親父さんココで売ってるか知んない?」

「おう、待ってな。今聞いてきてやるよ。ついでにアンタのお守りも貰ってこよう」

「Thank you! 」

「っ、あ、ありがとうございます」

 唐突にお金だけ渡して受け取りそびれていたお守りの事を言われ、運転手さんに頭を下げると、私はマフラーを解いてパタパタと顔を扇いだ。すっかり忘れているあたり思考力も落ちている、少しでも酔いを覚まさないとまずそうだ。

「もしかして酒弱い?」

 耳に届くか届かないかの小声。声のした方を見やると、少しだけかがんだマイクさんが、気遣わしげにこちらを見つめていた。

「任務明けなので、回りやすくなってしまって…私そんなに赤くなってますか?」

 お恥ずかしい、と頬を押さえると彼は笑った。

「No probrem!真っ赤にはなってないぜ。美味そうにしてる割には、ちびちび飲んでたから、もしかしてと思ってさ」

「破魔矢あったよ、お守りも包んで貰ったぜ。」

 ほっと胸を撫で下ろすのと、運転手さんが戻ってくるのはほぼ同時で、お礼を言いながらお守りを受け取る。残りのお酒はコップ半分ほど。そろそろ次の初詣ラッシュタイムが始まってしまうだろうことを考えると、無理してでもペースを上げたほうが良さそうだ。胸元で弄んでいた紙コップを両手で抱え、いざ一口というときに運転手さんと私の間にマイクさんがするりと割り込んで破魔矢のお金を手渡しながら談笑をはじめた。

「そういや春にお孫さん産まれるんですって?」

「おお!そうなんだよ、男の子らしいんだが何買ってやればいいもんか」

「買って欲しいもんは当人達に聞くのがイチバン!娘さんと一緒に行って買ってやったら喜ぶぜきっと」

 ハイテンションに運転手さんと話しながら、後ろ手に小指と人差し指以外の三本の指で空のコップを持った左手がこちらに差し出される。筋張った手はその長い人差し指でトントンと空のコップを叩くと、次にまだ酒の残る私のコップを指差した。

そのままクイクイと指先が空を掻く

交換しようということだろうか

 半信半疑なまま空のコップを受け取り、まだお酒の残るコップを指先に触れさせてみると、マイクさんの体によって運転手さんには見えぬ角度でコップが受け取られる。これで良かったのかとそっと顔を見上げると、ウィンクの後に残ったお酒が飲み干された。

「ご馳走さま!そんじゃオレはそろそろ失礼するぜ」

「あっ、私もそろそろ…ご馳走さまでした」

 コップを返して暇を告げると、またおいでと運転手さんがにこやかに送り出してくれる。長い参道をマイクさんと連れ立って歩き、そのまま鳥居を潜って二人してピタリと立ち止まると、くるりとターンして同じタイミングで一礼をした。あまりにピッタリ動きが揃ったので、どちらからともなく笑い声が漏れ、私達は目を見合わせて笑った。見送ってくれていた運転手さんの姿はもう見えない。きっと次の初詣ラッシュに備えるのだろう。

「お酒、代わりに飲んでくれて助かりました。ありがとうございました」

「ああ、気付くの遅れたけどダイジョーブ?」 

 頭を下げながら先程のお礼をすると、パタパタとモッズコートのポケットをあさったマイクさんが小さなペットボトルのミネラルウォーターを差し出してくれる。

「断われないときってあるよなァ。夜勤お疲れさま」

 スタジオで配られたやつだから、まだ口付けてないんで安心してなと笑って渡されたそれは、彼の体温でほんのりと温かい。少し高い位置から渡されたそれに手を伸ばして受け取るとぐりぐりと頭を撫でられた。

「今年もお互い頑張ろうぜ、ヒーロー」

「はい…あの、お水ありがとう」

 リスナーではなく、ヒーローと呼びかけてくれた事が嬉しいが、これは子供扱いされてるようだなと頭の上の暖かな手に自分の手を重ねて彼を見上げると、少し動揺したように目が見開かれ、大きな手がそっと頭からどかされる。

「Sorry!普段子供相手にしてるからクセが出ちまった」

「いえ、綺麗な手ですもの。撫でて貰えてちょっと役得でした」

 パッと手を広げて降参ポーズをする彼に、意趣返しで少し意地悪をしてみると、あんまからかわないでくれる?と額を抑えて天を仰いでしまったので声を上げて笑ってしまった。大通りからは朝のお雑煮を食べてからゆっくり参りに来たのだろう参拝客たちの賑やかな声が聞こえてくる。きっとそろそろ混み始める時間なんだろう。

「あー…そんじゃ気を付けて帰りなよ」

「はい。マイクさんもお気をつけて」

 ポケットに手を突っ込んで、片手をヒラヒラと振る彼に手を振り返して、お別れをする。駅に向かって歩みながら、ぐるっと踵を返すと、まだ彼はこちらの背を見送ってくれていた。

「あの、さっきのあれ、からかったんじゃないですからね」

 参拝客の声に紛れ、聞こえたかどうかはわからない。彼は手を振らずこちらを見て微笑んだ。

 くるりと踵を返してもう次は振り返らない。ヒーロー同士だ、きっとまた何処かで会えるだろう。大きな手で撫でられる事はもう無いかもしれないが、同じヒーローとして肩を並べられるように、今年も頑張らなくてはと背筋を伸ばす。

 温まった水を一口飲んで、天を仰いで深呼吸を一つ。体温に近いからか身体に染みるような一口。白く染まった息はほわりと冷たい冬の空に舞った。