風邪をひいた



突然だけど風邪を引いた。

原因はいくつも思い当たる。最近妖魔を浄化し過ぎたとか、傷ついた皆の治療をし過ぎたとか、そもそも働き過ぎたのではないかとか。
朝起きた時、なんとなく身体が熱っぽくて体温計を使ってみたらこれである。

「37度か。別に働けないほどじゃないけど、これじゃあ店に出れないなあ」

今日は愁のバイトがあったっけか。端末で簡単にメールを作成し送信する。書き出しは寝ていたらごめん、だ。
店に出れなくともやれること、やらなきゃいけないことは沢山ある。帳簿の確認とか、仕入れの確認とか。
それくらいの簡単な仕事なら居住スペースや自分の部屋でも出来るから誰かに移す心配は無いだろう。
端末のバイブが鳴る。愁へ送ったメールの返信が来たようだ。
『空いてる。言われなくてもそっち手伝うつもりだった』
愁は本当に気が利くというか面倒見が良いというか。到着次第事のあらましを説明して一日か半日お願いしよう。
他の忍にも何度か手伝って貰っているが愁が一番手際がいいし、多少居酒屋っぽい雰囲気になってしまうのは否めないがやはり踏んできた場数が違う。このことに関しては一番優秀だと言って差し支えないだろう。


微熱があるので今日は店に出れないから一日お願いしたい、と言うと愁は渋い顔をした。

「前から体調悪かったんじゃねえか?無理しすぎだ」

手伝うことが不服なのではなく、今までこちらが不調を隠していたことが不満のようだ。言葉はぶっきらぼうではある
けれど愁はとても優しい。

「返す言葉も無い」
「いや、責めてるわけじゃなくてだな。……ちゃんと休んどけよ?」

大丈夫だ。休む。そう頷くとやっと愁は表情を緩ませた。

「まぁこっちは任せとけ。一日くらいどうにかしてやる。理人とかにも声かけたし、どうせ雷蔵も裏方やるんだろ?」
「おそらく」
「よし。じゃあ問題ねえな。任せろ」

いいか、大人しく休むんだぞ。そう何度も言われる。いや、大丈夫。接客はしない。接客は。
こくこくと頷くと愁に乱暴に頭を撫でられる。こういうところが銀狼や誉が彼に懐く理由なのだろう。
その後やってきた理人は愁に頼まれたのか冷却シートと風邪薬とスポーツ飲料を買ってきてくれた。皆の気遣いが心に沁みる。




「38度」

じと、と愁と理人だけではない、譲彦と圭、誉に刹那、それに充に雷蔵と惣七、更には航大に睨まれる。

「休んでろっつったよな?」
「はい」

「俺が見かけた時、電卓を触っていましたが」
「はい……」

「オレと圭が大人しく休んでって頼んだよね?」
「はい………」

「僕と誉くんも注意しましたよね?」
「仰る……通りです……」

「しばらくした後また帳簿見てたよねマスター」
「申し訳ない……」

「それで悪化してちゃ世話ねえよなぁ?」
「うう……」

「しかも昼食も満足に食べてないんだろう?マスターは風邪を治す気が無いのかな?」
「いや、それは」

「そして計算も合ってない。熱で頭が回ってない癖に無理をするからだ」
「返す言葉もありません……」


自分でもこの程度で悪化するとは思わなかったのだ。朝よりも頭がぐらぐらする。この程度で悪化するとは自分の身体とは言えだらしないぞ。椅子の上で小さくなっていると愁が溜息をついた。

「飯食って寝てろ。それが一番早い」
「はい……」
「今度は誰かが見張ってようか。これ以上熱が上がったら洒落にならない」
「どう決める?じゃんけん?」
「おいあんま騒ぐな。頭に響くだろ」
「じゃんけんが一番平等じゃないでしょうか」

愁の作ったらしい粥が鍋で目の前に置かれる。こんなには食べきれそうには無いけれど食べれるだけ食べたほうがいい。何より作ってくれた愁に申し訳ない。スプーンで静かに一匙掬って口に入れる頃には譲彦の元気な「じゃーんけーん」という掛け声が聞こえていた。







「寝ろ。第一そんな無理をするからだ」

じゃんけんの勝利者は意外にも航大だった。むしろ航大がじゃんけんをする、というのが中々想像できない。ふふっと声を漏らせばあからさまに不機嫌そうに航大は顔をしかめた。

「何を笑っている。早く休め。それとも眠れないのか」
「いや、航大が参加していたことが意外で」
「別に辞退するほどのことではなかっただけだ。俺のことはいい。早く寝ろ」
「そう」

布団に潜るとその暖かさから少しだけ眠気がやってくる。だけど意識を飛ばすほどではない。

「心配をかけてごめん」

不機嫌そうな航大にそう詫びると航大は舌打ちをした。

「心配ぐらいいくらでもかけてもいい。むしろかけろ。それくらいどうということはない」

流石だなぁ。この自信たっぷりでなんでもこなせそうなところは真似が出来ない。する気も無い。

「だからもっと俺を頼れ。どうせ一人でやったところで潰れるのが関の山だろう」

あの航大でも病人には非常に優しいなんて。いや、普段からわりと優しいか。そんなことを考えていると航大の手が頭に伸びてくる。

「お前は普段よくやっている」

ゆっくりと航大はこちらの頭をなでてくる。その手つきの優しさは普段の言動の苛烈さや愛想の無さを感じさせない。

「……ありがとう」

蓄積された疲労が身体に休眠を求めている。頭を撫でられた気持ちよさがスイッチとなったのかどっと眠気が押し寄せてきた。

「今は休め。せいぜい良い夢でも見るといい」

航大がどんな表情でそう言ったのか確認する前に私の意識は落ちていった。

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