おやすみパパ
最近悪夢を頻繁に見る。火に巻かれる屋敷、肉の焦げる臭い。炎と血の赤色。どれもこれも現実ではほぼありえないようなそんなシチュエーションだけれど、自分はそれを現実に起こったことだと理解している。
息は苦しい。暑くてたまらない。誰かと声を出したくても喉が潰れたかのように息が漏れるだけだ。これは夢だ、夢なんだと自分に言い聞かせて悪夢が終わることをただただ願う。
そうして現実に戻った時には嫌な汗が酷くて、本当に夢であったことを安堵する。目の前で戦闘が行われることには慣れてしまった気がするが、流石に火に巻かれることには慣れない。現実でそんなことがあったら多分足が竦んでしまうだろう。大丈夫だと何度か口に出してみる。ちゃんと耳にその言葉は届いている。大きく息を吸って新鮮な空気を体内に取り込む。もう苦しくは無い。こうやって私の一日は始まる。
平気だと自分に言い聞かせても限界というのは確実にやってくるものだ。
最初は平気だと思いこんでいたが、着実に精神をやられていたらしい。段々と睡眠を取ることについて酷く億劫に感じるようになった。深く眠るならそれが一番であるのだが、軽い眠りというのは嫌でも夢を連れてくる。そうして起きた時、結局眠ってしまったことを後悔するようになっていた。
「……」
時刻は二十三時。良い子ならとっくに眠る時間だ。
入浴も明日の準備も済ませてあとは休むだけだというのに目は異常に冴えている。ベッドに横になって何度か寝返りを打ってみるものの眠気は一向にやってはこない。
「どうしようか……」
居間にはまだ誉がいるのだろうか。いっそたまには夜通しゲームというのもアリかもしれない。珍しいねと言われるかもしれないが、一度だけなら理由も問われないだろう。
掛けられた布団から這い出るともう一度時計を確認する。二十三時十五分。日付が変わっていないだけまだマシではないか。自分にそう言い聞かせて部屋の扉を開けた。
自室から出ると居間に辿りつく前に意外な人物に声を掛けられた。
「まだ起きていたのか」
気分はまるで夜更かししているのを見つかった子供だ。ごめんなさいお父さん、ちょっと喉が渇いただけなの。そう言えば誤魔化せるだろうか。無理だろうな。
お父さんもとい航大は珍しいものでも見たような顔をしていた。そんなに夜更かしをすることが意外なのだろうか。
「少し眠れなくて」
普段航大は桜狼亭に泊まることは早々無いが、今日は特別に連日トウキョウでの仕事があるうえ、スケジュールが詰ま
っているということで珍しくこちらに宿泊するんだった。惣七だったならば美容の関係上既に休んでいるだろうし、これが譲彦だったなら一度くらいは見逃してくれそうだ。愁は愁で注意しつつも二度三度は見逃してくれる。雷蔵はもとより昼より夜型のところがあるし、圭は圭で甘いので許してくれるだろう。誉は自分が平然と徹夜をするし刹那は可愛く叱っても一緒に夜更かしをしてくれそうなところがある。
目の前の航大という人物はというとおそらくはそういうことを見逃してはくれない。それで倒れたらどうする、寝ろ、休め、そんな言葉しか想像ができない。何せ航大は自他共に厳しいからそういった自堕落な行為を許してくれるとはどうしても思えない。
「航大はこれから寝るところ?」
流石に子供のように叱られるのは勘弁願いたい。早めに話を切り上げてしまおう。その問いに航大はああという短い返事で肯定をする。
「そっか。おやすみなさい」
小さく手を振って航大に背を向ける。誤魔化せただろうか?航大は何も言わなかったが、じっとこちらを見つめていたような気がした。
居間に赴くと、意外にも今日は誉がいなかった。おそらく誉もお父さん、もとい航大に怒られるのが面倒で部屋にひっこんでしまったのだろう。流石に部屋まで訪ねるのは気が咎める。テレビをつけるなんてしたら物音から誰かが起きてきてしまいそうだ。結局冷蔵庫に入っていた牛乳を一口飲んで自室に引き返すことにした。時刻は二十三時四十分。今日中に眠れる気はしない。
自室の前まで戻ると、壁に寄り掛かって立っている人物がいた。お父さんもとい一色航大である。夜通しゲーム計画は潰れたのだ。今更何を咎められることも無い。後ろめたいことなど何一つないように平然と航大に声をかける。
「どうしたんだ航大。何か言い忘れたことでもあった?」
「いや。主が眠れないようだったから話し相手にでもなってやろうかと思ってな」
その為だけに部屋の前で待っていたのか。ありがとうお父さん。口に出そうになった言葉を飲み込む。
「航大さえよければ」
部屋の扉を開けると航大は顔をしかめる。一体何が彼の気に障ったというのか。
「男を信用して簡単に部屋にあげるというのは感心しない」
お父さんか。
「それで、眠れない理由というのに心当たりは無いのか」
もしかしたら何かされるのではないかと少しだけ心配したが、やはり彼はお父さん状態であり、妙なことをされたり言われたりすることも無く、ただベッドに腰かけただけだった。こちらがベッドに潜ると少し微笑んだだけだ。お父さんか。
「最近ちょっと夢見が良くないんだ」
「怖い夢を見たせいで眠れない、か。子供じゃああるまいに」
「私が子供だったら航大はお父さんだぞ」
「誰が父親だ。藤城の方がよほどそう見える」
そうかなあ。あまり言うと本気で航大が怒りそうだ。お父さんを本気で怒らせるのはよくない。お母さんを本気で怒らせても怖いが、お父さんだって怒ると怖い。
「それで、眠れそうか」
「まだ眼は冴えてる」
素直にそう答えると航大はため息をついた。
「子守唄でも歌ってやれば満足か」
「航大が歌……?想像出来ないなあ」
「歌う、というより吹くと言った方が正しいな」
そう言うと航大はどこからともなく戦闘で使用している笛を取りだした。
「近所迷惑とかにならなければ」
「俺を誰だと思っている」
静かに航大は笛に口をつけると、普段とは違う音色を奏ではじめた。もしかして睡眠と言う名の気絶でもさせられるのかと思ったがただの思い過ごしだったらしい。心地よい、静かに波に揺られるような演奏だ。
揺りかごで揺られるような、優しく誰かの手に包まれるような。そういえば航大の専門は催眠術だったか。
なるほど。これは、落とされる。冴えていたはずの意識は段々と霞んでいき、目を開けてはいられない。
「おやすみ、おとうさん」
「誰が父親だ」
航大が文句を言ったことまではかろうじて聞こえたが、それを最後に意識は眠りへと完全に落ちていった。