鈍感(意図的)




「ご主人様、さっき男から何か渡されて無かった?大丈夫?」
「え、ああ。平気だ」

既に店から出て行った客の背を譲彦は睨む。クレームとかではないから安心してほしい、そう言うとそうではないと否定された。

「何渡されたの?名刺?」
「連絡先みたいだ」

手渡されたのは手帳を千切ったのであろう紙片だ。名前と電話番号、メールアドレスといった個人情報が集約されている。

「平気じゃないよ。安心できないよご主人様。それナンパだから」

ナンパ。聞きなれない言葉につい復唱する。そうだよと拗ねた様子の譲彦が頷いた。

「まったく喫茶店に来て店員に声かけるなんて……」
「そういえば付き合ってほしいと言われた」
「そういえば、じゃないから!ご主人様鈍すぎるでしょ!」

いや、ナンパくらいは分かる。あれだろう、ナゴヤで譲彦と航大が女の子にされていたこと。いや、でもああいう感じではなかったような。本当にナンパだろうか。

「あとあの人何度も店に来てくれてるからナンパとは違うような」

それ普通の告白じゃないか。譲彦が項垂れてしまったがいまいち実感は湧かない。今までそう言うこととは縁が遠かったのだから仕方がないことではあるような気がする。
告白されるっていうことは好意を寄せられていたということになる。付き合ってほしいと連絡先を渡されるのだから寄せられた好意というのは人間的に好ましいというよりも性的や恋愛的な意味で好ましいという意味だろう。

「これ、どうしようか」

手の中に残った紙片は個人情報の塊だ。雑に処分して良いものではないだろう。だがその言葉を譲彦は返事をどうするか、といった意味にとったらしい。不安そうにこちらを見つめてきた。

「あいつと付き合うの?」

その問いに対して即座に首を横に振る。それだけはない。そんなことをしても相手の迷惑になるだけだろう。自分は仮にも桜狼衆の当主であるし、色々な組織と敵対したり狙われたりしている自覚もある。そんな自分が誰かとそういった関係になってしまえば狙われるのはその相手だ。
「そっかあ」
先ほどの不安そうな様子から一変して譲彦は安心したように微笑んだ。今は誰かと付き合ったりだとか、そういうのは正直考えられないな。そう言うと譲彦は少し複雑そうだった。










意図的に相手からの好意を区分けしなくなったのはいつからだったか。物心ついたときからそうしていたような気がする。過去を忘れてしまっていても自分が色々なことに巻き込まれるということだけはどこかに植え付けられていたのかもしれない。
譲彦は鈍いと言っていたがそうではない。鈍くしているだけだ。他人から向けられた好意を理解してしまえば、それをどうするかという問題が浮上する。問題なんてそもそもの話、起こさない方が良いし起こらない方が良い。
たぶん、どんなに鈍くたってわかるのだ。
譲彦の熱の篭った視線がどういう意味を持っているのか、とか。いつも冷静な圭が時々自分のことに関してむきになる理由は何だ、とか。考え始めたらキリがない。



「おい、何をぼーっとしている」

先日のことを考えていたらいつの間にか足が止まっていたらしい。買い物袋を片手に下げた航大に叱られる。

「あ。いや。なんでもない」

わざわざ夕飯の買い出しに付き合ってくれて荷物まで持ってくれているのだ。彼をこれ以上待たせるわけにはいかないだろう。待っている航大に小走りで近づく。

「モタモタするな。置いて行くぞ」

目の前の航大のことだって、きっとそうだ。
もしもここにいるのが自分ではなく、他の女性であったなら航大はいちいち立ち止りはしない。ここにいるのが他の女性であったなら、わざわざ買い物袋を持つなんて真似はしないだろう。
そもそもきっと買い物なんて付き合わない。

「待っててくれてありがとう」
「ふん」

なんとなく声色が優しいとか、向けるまなざしが優しいとか。きっとそれは自分の気のせいではない。
だけど気付いたって何にもならないのだ。その気持ちに自分は応えられはしない。
航大の特別をいくら貰っても、自分はそれに気づいてはならない。
再び航大と共に歩き出す。やけにゆっくりな歩調に胸が少しだけ痛む。
恋をするのはきっとこんな痛みを伴うのだろう。夕焼けを見ながらそんなことを考えていた。

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