パーソナルスペース
「ご主人様ってパーソナルスペース狭いよね」
発端は譲彦のこんな言葉だった。そうだろうか?膝の上で眠る銀狼を撫でながら首をかしげる。
「うん。他人に近寄られてもあんまり嫌そうじゃないっていうか」
「そりゃあおまえらが主にベタベタすっから単純に慣れたんだろ」
ああ、確かに。譲彦はよく抱きついてくるし距離は近い。愁や圭や航大はともかく惣七も距離が近い。誉は最初のうちはちょっと距離があったものの気付いたら結構隣に座っていたり寄りかかって眠られたり膝を枕にされたりしている。刹那も甘えてくることが多い。雷蔵は逆にちょっと距離を置かれている気がする。
「えーオレのせい?!……でもご主人様は元々そういうの平気そうだったけどなあ」
「そう?」
そうだったっけか。三人と契約を結んだ頃を思い出す。
……そういえばあの頃から結構譲彦のスキンシップは激しかったような気もする。
第一それを言うのであれば譲彦のパーソナルスペースだって非常に狭いだろう。そう言い返すと譲彦は少し不満そうに頬を膨らませた。
「オレは確かにモデルの仕事とかで他人に触られたりとか、そういうのは愁さんとかより慣れてると思う。でもでも、オレがこうやってべたべたするのはご主人様だけだよ?」
そんな話では無かったような。反応に困っていると譲彦の頭を軽く愁が小突いた。
「主が困ってんじゃねえか」
「だって本当のことだよ?」
「うるせえ」
「譲彦が私のことを思ってくれているのはいつも感じてるよ。ありがとう」
そう言うと譲彦はへにゃと表情を緩めた。どうにかこの場はおさまったらしい。やれやれと愁が溜息をついているがまぁいいだろう。
話は変わるが契約印というものは忍にとって弱点となる部位だ。主以外の者がそこに触れればかなりの苦痛を伴うそうだ。実際触れられたところを目撃したことのある圭や愁はとても苦しんでいた。逆に主が触れれば強い快楽となるそうだ。治癒術式も同じように気持ち良いらしいが、いまいちこちらにはよく分からない。それだけでそんな風になるというのは色々と、想像するのに経験が足りないような気がする。
つまり契約印は主に触られてもそれ相応のペナルティ(自分はこう思っている)があるのだ。無暗と晒して良い部位ではない。
じっと航大の右手首を見つめる。隣に座った航大は手首を無防備に晒している。
しかもすぐ隣にいるせいでこちらが手を伸ばしたら普通に触れられそうだ。
「俺の手がどうかしたか」
「特に何かあるわけじゃない」
「そんなに穴が空くほど見ていては説得力に些か欠けるな」
見ていただけなんだけどな。そう素直に白状するのもなんとなく恥ずかしい。
「この前譲彦達と話していたんだけれど、私はパーソナルスペースが狭いって」
「主は平気で他人を自分の領域に入れるからな。それには加茂に同意する」
「でもそれを言うなら譲彦だってそうだろう、って言い返したんだ」
「加茂がどう答えたかは容易に想像できる」
そんなに譲彦は分かりやすいか。分かりやすいな、うん。一人で納得する。
「でも譲彦以外だって結構狭いと思うんだ。気を許してる相手限定だって分かってるけど」
「そうだな」
航大の右手がこちらの左手と重なった。契約印までの距離はおそらく6センチも無い。
いきなり何を。そう言おうとしても動揺してしまって上手く言葉にならない。
「契約印は忍の弱点だからちゃんと守らないといけないみたいなことを言っていたのは航大じゃなかったか」
必死にそう早口で言えばまた「そうだな」という返事をされる。非常にぞんざいだ。もっと言うことは無いのか。
「他の相手に俺がここまで接近を許すと思うか」
「日向や空が相手なら」
するすると航大の大きな掌はこちらの掌を覆い、簡単に指を絡めてくる。まるでこれじゃあ恋人繋ぎみたいだ。航大の契約印に触れてしまわないように気をつけていると先ほどより距離が近くなる。
「こんな風にあいつら相手に触れると?」
「いや、それは」
「分かっているなら誤魔化すな」
契約印との距離はさっきの半分程度になってしまった。触れてしまったら航大の方が大変なことになるというのにいいのだろうか。いや、良くは無いだろう。自問自答し引き離そうとする、が敵わない。力などが圧倒的に違う。
「おまえ相手だからだ」
そのまま左手は引き寄せられて口づけられる。
契約印を触れられるのはこんな感覚なのかもしれないなんてことを頭の隅で考えていた。