許されたい(許されない)
「もう止めるか?」
その問いの真意は簡単に理解できた。言葉を正しく直せば『もう止めるか』ではなく『もう止めてもいい』だろう。
他人に厳しいはずの航大は意外にも自分に何も求めてはこなかった。諌めることや同じ忍と言いあいをすることはあってもこちらに過度の要求は何もしない。
疑問であって命令ではない。かといってこちらを煽るような言い方でもない。
何を、と聞くのは無粋だろう。そう聞いてまっすぐ返答され、結局言葉に詰まる自分しか見えない。
今更止まれはしない。それが本心だけど、止まれるものなら止まりたいとも聞こえる。きっと自分の言葉では何一つ上手く言い繕えないのだと苦笑した。
「航大は止めた方がいいと思う?」
「……」
きっと、どっちとも答えないだろうなと思った。何故ならどう答えようと自分は航大の願うようには動かない。ならば答える意味がない。本心を伝えようとどうしようと何も変わらないことを航大は分かっているから言わない。逸らされた視線がその全てだった。
「止めろと言ってお前は止めるのか」
意外だ。結論などとっくに出ているだろう問いをしてくるとは思わなかった。首を何度か横に振って返答する。
それを見た航大は苦々しい表情をして「ならお前の好きなようにすればいい」と言った。
突き放した言葉に聞こえるそれは最大限相手を尊重した言葉だ。こちらは何も言わない、だからお前の思った通り、文字通り好きなようにしろ、と。きっと本心ではないだろうがそう言ってくれるだけありがたい。
何度もやめてしまいたいと思ったことはある。戦うことは怖くは無いが、自分が少しずつ自分で無くなっていく感覚はとても恐ろしい。ただでさえ過去の記憶が無い自分が更に記憶を失ったらどうなってしまうのか。自分は自分であるという根幹が曖昧になり揺らいでいく感覚はいつまでも慣れることは無い。
いっそ純粋な苦痛だけであれば止めることなど考えもしなかったのではないだろうか。きっと『他の忍の皆の方が痛い思いをしているのだから』と。
「航大、ごめんね」
「謝られるようなことをされた覚えは無い」
それはそうだ。先ほどの言葉でさえ誤魔化したのだから。
「無い、が」
航大が珍しく言葉を詰まらせた。おおよそ誰に対しても態度を変えることが無いあの航大が、だ。
言葉をさえぎった方がきっとこの場は穏便に過ぎるだろう。その予感はあったけれど先ほど誤魔化してしまった手前、そんなことはしたくは無い。
「謝るくらいならやめてしまえ」
予感は的中した。これではもう誤魔化しようがない。何のことだと言っても今更白々しいだけだろう。
「お前が足を止めても誰も主を責められまい」
止められるわけがないだろう。そんなことを言わないでくれ。自分が足を止めてしまったら、誰が煌を止めるのだ。
反論は沢山ある。だけど航大が何を思ってこんなことを言い出したのか、それを考えると喉から上手く音が出ない。
責められまい?そんなことは当たり前だ。私のことを責められるのは私と、戦ってくれている皆だけだ。一般人に責められるいわれは無いだろう。そして皆は絶対に責めたりなどしてはこない。
「罪悪感があるのならやめてしまえ。誰が許さなくても俺は許す」
そんなことを言わないで欲しかった。冷たく「許さない」と言ってほしかった。でも航大は望む言葉とは正反対の言葉を次々とぶつけてくる。
「許すな」
口をついて出た言葉はたった四文字だ。もうどう足掻いても繕えない。
「許さないでくれ。誰がどう言っても、どうなっても、絶対に」
きっとこの先、自分が浄化の力を使わなくなるということはない。使い続ければ最後に待っているのは全ての記憶を失う結末だ。
忍のことも、桜狼衆のことも、たくさんの思い出も、全て忘れる自分を許さないで欲しかった。天秤にかけてその他大勢を選んだ自分のことを怨んで欲しかった。
「許すなんて言わないで。お願いだ。でないと罪悪感で胸が張り裂けそうになる」
「構うものか。やめてしまえ。その他大勢のことなんて捨て置け」
正しいと思って選んだ選択だった。皆を助ける。誰が聞いても『正しい行い』だろう。自分も正しいと思った。だが、こんなに辛いしっぺ返しが待っているなんて誰が想像しただろう。
眠ることも手帳を見ることも今では怖い。力を使った後に眠って起きたら何の記憶がどれだけ失われるのか、むしろ目が覚めた時にいるのは自分なのかすら不確定で恐ろしい。知らないうちに刻まれた予定がいくつあるかを知って、大切な約束をいくつ忘れたのか再認識させられるのが酷く怖い。
だがその恐ろしさを誰にも告げたことは無い。
「捨て置けないし、やめないよ。だから許さないでいい」
いっそここで泣きついて喚いたら航大はどうするのだろうか。浄化の力を使わせないようその暇も無く妖魔を片っ端から消してまわるのだろうか。
それはそれで悪い選択ではない。けれど正しくは無い。自分は正しい選択をしていたいのだ。主としてせめて胸を張れるように。
「仕方の無い奴だ」
こんな会話の終わりを航大は予想していたのだろう。珍しく困ったような表情だった。
「お前が選んだことに忍である俺が口出しできるわけがないだろう」
半分以上消え失せた記憶の中、似た顔の偉そうな男とは似ても似つかない。出会ったばかりの一色航大という男は目の前にはもういなかった。