ぴちぴちちゃぷちゃぷ
やってしまった、と溜息をつく。小さな溜息は容赦の無い雨音にかき消される。
つい一時間前までは太陽すら見えていたはずなのに気が付いたらこの通りだ。なんとなく空気が湿っぽいとは思ったのだが少し買い物に行って戻る程度なら問題ないだろうとたかをくくったのが悪かった。せめて折り畳み傘があればとハンドバッグを一応漁るが忍の誰かに貸した覚えがある。記憶の通りバッグの中にはそれらしきものは存在していなかった。
もう一度溜息をつく。雨が降り出し反射的に雨宿りをしたはいいものの場所は付近にコンビニの無い見事に寂れたバス停だ。古びた椅子と屋根がついているのが救いだがバスは目的地には向かわないうえ、本数は多くない。
「困ったなあ」
誰かを呼ぼうにもポケットに入れたはずの携帯端末は見当たらない。おそらくは桜狼亭に置いてきたのだろう。泣きっ面に蜂というかただの自業自得ではあるのだけども。
目の前を何度か赤い傘を差した子供やビニール傘を差した青年が通り過ぎてゆく。雨脚もそのうち弱まるだろうというのも考えが甘かった。最初の時点で走ってコンビニに駆け込んでしまえばここで足止めを食らうことも無かっただろう。今以上に濡れていたであろうが。
雨空を見上げても何一つ事態は好転しない。隠れた太陽を探そうとしても風の運んできた雲に阻まれ見えない。通り雨だろう、きっとすぐに止む。幸運にもアイスや駄目になる食材は買ってはいないので、このまま雨がやむまで待つ、あるいはバスに乗って駅まで向かい、そこで傘を調達するという手もある。無駄な出費がかさむが自分の備えの無さと浅慮さが招いた事態だ。仕方がない。
そうこうしてどれくらい経っただろう。雨が降り出しておおよそ三十分は経っただろうか。雨によって出来た水たまりがそろそろ目立ち始めてきた。多少濡れてしまったせいか寒くもある。
「いい加減諦めたほうがいいかな」
荷物を庇いつつ全力で走れば買ったものは無事だろう。これ以上待っても雨脚が弱まる気がしない。古びた椅子は雨に直接打たれたわけではないがどこか湿っぽい。座っているおかげで疲れはしないが気は滅入る一方だ。
こんな気分でいるくらいなら何年ぶりかに雨に派手に打たれるのもきっと悪くは無い。悪くは無いのだ。
自分に気合を入れて立ち上がる。両手を上げてさぁ走ろう、と踵を返した時、見知った顔がそこにあった。
「こんなところで何をしている」
足音はその職業ゆえか雨音の強さからか気付かなかったが、そこには航大がいた。屋根にこそ入っていないもののすぐ傍にいると言っていい。差している黒い傘は持つ部分に高級感があり、コンビニの傘立てに置いて買い物をしていても盗まれないタイプのそれだ。
「雨宿り」
「見れば分かる」
航大が聞きたいことは分かる。何故天気が悪くなりそうなのに外出をしたのか、あるいは折り畳み傘を携帯していなかったのかだろう。そんなことを言われても無かったものは仕方がない。
「航大はなんでこんなところに?」
「何故だと思う」
分からないから聞いているんだけどな、と思ったが聞かない。表情からして呆れているか怒っているかの二択だ。下手に口答えをするとどんな反撃をされるか分かったものではない。
「分からない」
「どこぞの主が傘を持たず、あまつさえ携帯すら忘れていったからだ」
「迎えに来てくれたのか。ありがとう」
「お前が傘を忘れたせいだ。第一すぐに出かけねばならない用事でも無かっただろう」
ぶつぶつと文句を言う航大に感謝をして気付く。航大は黒い傘を差しているが、他に傘を持っているようには見えない。
「帰るぞ」
「他に傘は」
「なんだ。一緒に入るのは不満か」
「いいや、そんなことはない」
首を横に振ると航大は満足そうに微笑んだ。そして傘を少し傾ける。入れ、ということだろう。大人しくそれに従って隣に入る。
「わざわざごめんね」
「次からは携帯は忘れるな。どこにいるか分からんのは不便だ」
「そうする」
そうして酷くゆっくりな歩調で航大は歩き出した。
「もしかして探してくれたのか?」
「それほど探してはいない。すぐに見つかったからな」
「そっか」
先ほどまで憂鬱だった雨音も黒い雲も気にならない。どうやら気が滅入っていた理由は何よりも一人だったかららしい。