空いた隙間が寂しくて
はぁと一度息を吐き出すと、目の前で白く煙って消えていく。いつの間にか随分と寒くなってきた。ほんの数週間前はもっと日差しが暖かかったような気がするのにと恨めしく雲の後ろに隠れた太陽に目線をやった。
記憶は未だに戻らないが日々は過ぎて季節は巡っていく。
あれから男性は店には来ていない。目を引く外見をしていたし前にも来店していたのなら店長の記憶にも残っているはずだ、とそれとなく聞いてみたがそれらしい人はいなかった。
あの男性が店に来た日から、同じような夢を見ることが増えた。どこかの喫茶店でコーヒーを淹れる夢だ。バイト先とは設備は似ていても間取りが全然違う、そんな店だ。その店で自分は誰かにコーヒーを淹れ、周りには名前も分からない人物が何人もいる。マスター、と誰かから呼ばれていたからひょっとすると店主だったのかもしれない。いや、自分のような若さで自分の店が持てるとはあまり思えないが。もしかして借金でもしたのだろうか。それに巻き込まれて事故に遭い記憶喪失。などと考え、我ながら笑えない冗談だと一蹴した。借金をしているならとっくの昔に取り立てが来ているはずだ。
借金の話は抜きにして、自分の想像は結構的を射ているのではないかと思う。具体的なものはちっとも思い出せないが、おそらく喫茶店で働いていて、誰かと一緒に生活していた、というのはきっと確実なのではないだろうか。誰とどこで生活していたのかも、どこで働いていたのかも、やはり不明なままだけれど。
公園の時計を確認するとバイトの時間まではまだだいぶ時間がある。なんとなく家を早めに出たはいいけれどやることが無い。今気付いたが自分はバイト以外無趣味だ。無趣味というかその辺りの記憶の手がかりは一切取り戻せていないのではないか。
料理をするのは好きだけど、一人で食べても味気が無い。コーヒーを淹れるのも自分の為じゃあない。いつも誰かに食べて、飲んでもらっていたのだと思う。だけど今はその誰かはいない。
「……空しい」
それ以外の趣味が一向に考え付かず、ぽつりとひとりごとを零した。葉の落ちた木々が寒々しい公園には人はまばらだけれど、その中に何組かは腕を組んで歩く恋人達を見かける。
「お姉さん」
もしかしたら忘れているだけで自分にも恋人なんていたのかもなあ、などと考えていると不意に背後から声を掛けられる。振り向く前に背後にいた誰かはひょっこりと自分の目の前に回り込んで、もう一度こちらのことを呼んだ。
「こんにちは、お姉さん」
どこからどう見ても愛くるしい外見をした少年は、にこにこと人好きのする笑みを浮かべてこちらに挨拶をしてくる。このご時世に珍しい、礼儀正しい少年だ。
何より目を引くのは獣のような耳と尻尾だろう。ふさふさとしたそれらは非常に手触りがよさそうでつい手が伸びてしまいそうになる。
「こんにちは?」
何故少年に声を掛けられたのか理解が出来ずに自然と語尾に疑問符がついた。目の前にわざわざ回り込んできたのだから声を掛けられたのはおそらく自分で間違いないのだろう。だけどいまいち理由が分からない。
「疑問系なのがちょっと悲しいですけど、気にしません」
少年は外見だけではなく、声色も少年と呼べる可愛らしいものだった。おそらくは声変わりが終わっていないのだろう。
「お姉さん、ちょっと一緒に時間を潰しませんか?」
「えーっと?ごめんね。私、お金はあんまり持ってないんだ」
財布の中身はあまり入れていないんだとアピールすると少年はそうじゃないですよう!と頬を膨らませた。
「僕と一緒にクレープ、食べてくれませんか?ほら、あれです、あれ!」
少年はこちらの服の袖をひっぱりながらもう片方の手で公園の中に停車されているキッチンカーを指差した。よく看板を見れば『カップルは200円引き』の文字が書かれている。なるほど、と納得した。
「だめですか……?」
しゅんと項垂れる少年は非常にあざとかった。何があざといと言えば一緒に耳と尻尾も垂れていたのがあざとい。きっと自分の可愛さを分かってやっているのだろう、というのは何故か想像できる。
「あの、ごめんなさい。本当は友達と待ち合わせしてるんですけど、友達が来なくて、それで、独りで寂しくて……」
駄目押しとばかりに少年は言葉を続ける。寂しいというのは本音のように聞こえた。
「謝らなくていいよ。でも私でいいの?ほら、他にも可愛い女の子がいるし、君だったら声をかけて断られるってことも無いと思う」
そう言うと少年は首を横に振った。
「いいえ。あなたがいいんです。あなたじゃなきゃ駄目なんです」
それは本心からの言葉のように聞こえた。
少年ははしゃぎながら苺の沢山乗ったクレープを選んだ。こちらはというとナッツとバナナの入ったチョコレートのクレープにした。そして代金を払おうとすると少年に奢られた。
少年曰く、「僕が声をかけたからいいんです」だそうだ。
明らかに年下の少年に奢られる、というのは少し情けなさもあるが本人がそう言うのであれば好意はありがたく頂いておこうと思う。
公園に設置されたベンチに二人で並んで座るとつい先ほど感じた空しさが嘘のようだ。
「最近寒くなってきましたね」
「もう冬だから。空気が澄んできたね」
「冬、好きなんですか?」
「いや、どうだろう。分からないな。特別嫌いってものは無いから、全部好きだと思う」
「なるほどー」
少年は器用にクレープを食べ進めながらとりとめもない世間話をこちらに振ってきた。愛想が良く要領も良いのだろう。自分とそれなりに歳が離れているように見えるけれど、人生経験は下手をすると少年の方が濃いのではないかと考えるほどに。尤も、こちらは記憶喪失であるため人生経験も何もないのだけれど。
「友達、連絡はこないの?」
「え?!あっ!そういえば携帯見るの忘れてました!」
慌てて端末を上着のポケットから取りだすと、少年は声を上げた。
「連絡きてたの、気付きませんでした……」
「もうすぐ来るって?」
「はい!その、無理やり付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「ううん。こっちもバイトまで暇だったから」
クレープを食べながら公園に設置された時計を見やると時間にはまだ充分に余裕があった。もしも少年に声をかけられなければ今頃独り寂しくその辺を歩いていたと考えると寒々しい気分になる。
「声をかけて貰えなかったら独りぼっちで寂しく歩いてたと思うし」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
少年の言葉に合わせて尻尾が上機嫌に揺れる。
「でもよかったあ。他の誰かにお姉さんが声をかけられる前にかけれて」
「どうして?」
「お姉さんとどうしても、こうして一緒に過ごしたかったんです」
そう言う少年はどこか寂しそうで、何もした覚えはないはずなのに酷く罪悪感を刺激される。
「あの、もしかして君は……」
私のことを知ってるの?そう聞く前に少年は何かに気づいたように立ち上がった。
「おーい!こっち、こっちですよー!」
元気よくそう声を上げながら手を大きく振って誰かに存在をアピールしている。それに気づいた二人組の少年のうち片方が気だるそうに軽く手を上げてそれに応える。もう片方の少年は何かに驚いている様子だった。
「友達来たみたいだし私はそろそろ……」
「まだクレープ食べ終わってないじゃないですか。ね?」
小柄な少年はとてもねだり上手で、こちらはそれに否と言うことが出来ない。説得されるまま再びベンチに座ると少年もまた座り込んだ。
「あー……怒られるんじゃないの、これ」
そんなひと悶着が終わった頃には少年の友達二人はすぐ傍にやって来ていた。気だるげな少年が頭を掻きながらそう言うとクレープを食べ終えた小柄な少年は笑顔で返事をする。
「大丈夫ですよ。先に抜け駆けしたの、僕じゃないですし」
「まぁそうだけど」
ふぅと一つ溜息をついた後、気だるげな少年はこちらを見る。紫色の短い髪は先ほどまで寝ていたのだろうか、寝ぐせが少しついたままだ。
なんだか気まずくて残ったクレープを必死に食べ進める。のんびりと食べていたそれはいつの間にかにチョコレートが溶け、下へ下へと沁み込みそろそろ漏れだしそうになっており大変よろしくない状態だ。
「じゃあ俺も便乗しよっと」
その言葉の後に小柄な少年の座っている逆側の隣、つまり二人でこちらを挟みこむようにベンチに座り込んだ。
「一体何をして、あなたも便乗とか言って座らないでください」
「何をして……うーん、難しいですね。ナンパ?」
「怒りますよ」
小柄な少年と気だるげな少年はとてもマイペースのようだがもう一人の冷静な少年は非常に真面目なようだ。
「ナンパだったの?」
「はい!大成功です」
無邪気にそう言われると何かを言う気が削がれてしまう。財布を掏られたわけでもないし金銭を要求されたわけでもない。純粋な時間つぶしに付き合ってくれたのだから怒る理由は見当たらなかった。
「あ……なたも!あなたも駄目ですよ、こんな風に年下だからと言って油断して!これが悪い輩だったらどうするんですか?!」
冷静な少年は声を珍しく荒げ、こちらを叱る。事実それが正しいのだと思う。小柄な少年はともかくとして後からやってきた二人の体格は決して悪いものではない。三人がかりで何かされたらこちらは抵抗できずに身ぐるみを剥がれる。
珍しく?
いや初対面なのに珍しいも何もないだろう。それに何かを言おうとしてから無理やりあなたと言い換えたように聞こえた。
「……いえ。出過ぎたことを言いました。ほら、そろそろ行きますよ」
そう冷静な少年が促せば気だるげな少年はあからさまに顔をしかめた。そして何を考えたのかこちらの肩に顔を埋めてきた。
「えー。俺今座ったばっかりなんだけど」
「そこから動きたくないのは分かりますが、そのままだと立てなくなりますよ」
「立てなくなりたい」
「馬鹿を言わないでください。それにあ……の、そちらの方にも予定があるはずです」
残ったクリームとチョコレートの沁み込んだ生地を口の中に押し込む頃にはそこそこの時間になっていた。
「はぁ。行きたくないなー。このままでいたい……」
肩に顔を埋めたままの気だるげな少年は眠いのか何度もぐりぐりと顔を寄せてくる。スキンシップが激しいのかそれともよほど眠いのか、いまいち掴めない。
「ひとりだけずるいですよ。僕も寒いのでくっつきます!」
拒絶をする前に小柄な少年にもひっつかれる。そもそも自分は片手がクレープのゴミで塞がっている為、拒絶も抵抗も難しいところだ。
三人のうちこちらに何もしていない(そもそも何かするのがこの状況だとおかしいと思われる)冷静な少年はどうしているのかと目をやれば小刻みに震えていた。
「な!何を!はやく離れなさい!」
「いいじゃないですか。もしかして羨ましいんですか?」
「う、羨ましいなんてそんなことあるはずないだろう!いい加減にしろ!」
白い肌が真っ赤になるほど顔を赤くした冷静な少年はよほど腹にすえかねたのか他の二人に拳骨を落とす。情け容赦の無い一撃を受けた二人は頭を押さえながらも大人しく立ちあがった。
「はぁ。殴ることないじゃないですか。乱暴だなあ」
「大人しく従っていたら殴ることもありませんでしたよ」
「ほんとだよねー。もうちょっとくらいあのままでもよかったのに」
流石にずっとあのままだと困るのでやめてほしいと思ったが口には出さないでおいた。
それよりもっと、言うべきことがあると思ったからだ。
「あの、もしかして」
先ほどタイミングよく遮られた言葉をもう一度口にしようとする。
「お姉さん。またいつか」
「それじゃあまた」
「失礼します」
こちらが何かを言う前に少年三人組は背を向けてしまった。
彼らの去っていく背を見て、一つ気がつく。
小柄な少年は名前を名乗らなかったし、こちらの名前も聞かなかった。そして、他の二人とも名前で呼び合うことをしなかったのだ。
まるで、こちらに名前を知らせないようにしているように。