見えない傷口を苛んで
オレンジの彼には逃げろと言われたが立てないものはどうしようもない。
何度か立ちあがろうと腕に力を込めるが指に砂利とも呼べぬ小石の欠片が食い込むだけだった。
「……どうしようか」
座り込んだまま途方に暮れる。付近の人間は皆一斉に避難しているから肩を貸してくれるような相手も見当たらない。とりあえず座り込んだままというのはどうにかしたいが、やはり腰に力が入らない。
しかし例え立てたとしても、ここから離れるつもりはなかった。思い違いでなければ彼らは、少なくとも赤い目の男性の方は私の過去のことを知っている。でなければ一度店を訪れた時のあの妙な態度に説明がつかない。まさか遊びや趣味であんな思わせぶりな態度を取る人間でもないだろう。
五分と経たないうちに二人は戻ってきた。戻ってきた、というのも何か引っかかるような気がしたが他に言葉が見つからない。付近に妖魔はおらず、おそらく二人の手によって倒されたのだろうということがうかがえる。赤い目の人は片手に何かを握りしめているように見えた。
二人は腰を抜かしたままのこちらを見て、酷く驚いた様子だった。この場に残っているとは夢にも思っていなかったのだろう。
「おい、おまえは何故ここに残っている。先ほどこいつに言われたことを忘れたか」
「聞きたいことがあって」
「ほう……?」
赤い目の人は一応話を聞く気はあるようで、言ってみろとこちらを促す。はたから聞けば頭のおかしい質問をする自覚はある。一度深呼吸をしてから意を決し二人に質した。
「二人とも何者なんですか?まるでその、忍者みたいな恰好をしてますけど」
鼻で笑われると思ったが、二人とも笑わない。どちらかというとやはり驚いている。確かに唐突にこんなことを聞かれれば驚くのも当然だろうが。
オレンジの彼が何か言おうとするのを遮り赤い目の人が口を開いた。
「おまえが幻覚を見ているだけだろう。俺はそんな恰好をしていない」
「そんなこと……」
まさかと思い目をこする。
赤い目の人は黒い装束に何の目的で使うのか分からない笛を身につけていて、オレンジの彼は赤い目の人より明るく淡い色の装束を身にまとい手裏剣のようなものや苦無を持っていた。そんな幻覚なんてあるだろうか。それに私を助けてくれたオレンジの彼が妖魔を怯ませるような一撃を与えたのは間違いない。
「……あれ?」
目を擦ってから再び二人を見ると、何処からどう見ても普通の格好をしていた。先ほどまでの装束や装備は一切無く、洋服に靴と頭のてっぺんからつま先まで見てもまともな格好だ。このまま人の中に紛れていても顔立ちが原因で目を引くことはあっても服装が原因で何かを言われるということは無いだろう。
「それで?俺の格好がなんだと?」
まるで彼らの変身が解けたのか、あるいは私に何かがかけられたようだ。ひとりで見る幻覚にしては襟巻が風に揺れるところまでリアリティがありすぎる。
納得できないと言いたげなこちらを無視して赤い目の人は続けて言う。
「それよりいつまで座り込んでいる。まさか地べたに座るのが気に入ったか?」
「情けないことに腰を抜かして立てないんだ。立ち上がろうにも肩を貸してくれる人なんていないし」
その言葉を聞いた赤い目の男性は深く溜め息をついた。オレンジの彼は心配そうにしゃがみ込み、わざわざこちらに目線を合わせてくれている。
「では治るまでそこでそうしていろ」
「それはちょっとあんまりだよ。それにオレ……置いていけない」
「戯けたことを」
露骨に機嫌を悪くする赤い目の男性をしり目にオレンジの彼はこちらに話しかけてくる。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
「ちょっと髪の毛が切れたくらいじゃないかな」
そう言って一部すっぱりと斬られたであろう髪を撫でる。ほんの数本持っていかれただけで別に美容院で直してもらう必要も無い。大丈夫そうだ。
「あっ!」
大丈夫だと言おうとしたところでオレンジの彼はこちらの手を掴む。見るとそこには転んだときに出来たであろう擦り傷があった。自覚をするまであまり痛くはなかったがこの手のものは自覚するとじわじわ痛んでくるのが厄介だ。
「大変だ。すぐに消毒して手当てしなきゃ」
「いや、大げさな」
そんなに心配しなくともこれくらいは大丈夫だ、そう告げる前にオレンジの彼は真剣な顔つきで「大げさなんかじゃないよ……自分のこと、大事にしなきゃ駄目だ」とこちらの手を優しく包み込んだ。
「オレがおんぶするから、ちょっと知り合いのところで手当てしてもらおう。ここから近いんだよ」
そう言うとオレンジの彼は背を向けてしゃがみこんだ。そこまでしてもらわなくても。そう思ったがまだ立ち上がれそうにない。それに赤い目の人にはばっさりと切り捨てられてしまったけれどオレンジの彼は非常に好意的に接してくれているし、もしかしたらこちらの疑問に答えてくれるかもしれない。
「じゃあお言葉に甘えて」
オレンジの彼の背に乗る前に赤い目の人はくるりと身を翻し、先に歩き出す。
「あれ、どこ行くの?」
「クライアントを待たせている。貴様に付き合う義理は無い」
「はいはい」
怒らせただろうかと心配すると、オレンジの人は笑って言う。
「大丈夫。ただオレに妬いてるだけだよアレ」
連れてこられたのは意外にも喫茶店だった。木で出来た看板には『桜狼亭』という文字が掘られていた。扉には一般的な店のようにベルがついており、高く澄んだ音が響く。
「らっしゃーせー」
喫茶店とは場違いな、まるで居酒屋のような掛け声が店の奥から響く。ばたばたという音と共に厨房の方からエプロンをつけた男性が現れる。淡い桜色のエプロンはおそらく店の名前から決めたのだろうか。
「……って客じゃなくておまえかよ。慌てて出てきて損したぜ」
昼前の仕込みをしていたのならこの時間は忙しくて当然だろう。げんなりしたような様子の店員にオレンジの彼は酷いなぁなんて返している。
「そんなことないよ。お客さん」
「は?そういや誰背負って……?!」
店員は文字通り言葉を失った。今までされた反応の中で一番酷い反応のような気がする。
「おまえ、なんで……」
「怪我してるみたいなんだ。ついでに腰も抜かしてるって。だから救急箱お願い」
「忙しい時間帯に申し訳ない……」
そう詫びると店員は驚いた表情からくしゃりと顔をゆがませた。
「分かった。取ってくる」
「流石!話がはやいなー」
「うるせえ。調子に乗んな」
ぶっきらぼうにそういうと店員は再び奥へと引っ込んだ。その間にオレンジの彼は手近な席に私を下ろし、向かいの席に座る。
桜狼亭の店内はひどく既視感があった。どこになにがあるのか分かりそうなくらいに。そして、雰囲気がバイト先の店に酷似していることにも気付く。
「大丈夫?心配しなくてもしゅ……ああいや、あの人ああ見えて凄くいい人だから大丈夫。口は悪いけどね」
周りをきょろきょろと見渡す私を心配したのかそうオレンジの彼が言う。今更だけどこの彼にも既視感があった。先ほどまではそれどころじゃ無かったが、よく彼の顔を見ればごく最近彼を目にした気がするのだ。
店を見渡すのをやめ、向かいの席にいる彼の顔をじっと見つめる。彼は見られ慣れているのか嫌な顔も赤面する様子も無く「どうしたの?」と微笑んでいた。
見られ慣れている、最近目にした、手掛かりを一つずつ頭の中で噛み砕き、糸を手繰り寄せる。考えても答えの出ない無くした記憶とは違う、もっと単純な既視感。
ふと、店の入り口に置いてある雑誌類が目に留まる。そしてやっと思い出した。
「加茂、さん、ですよね?」
最近売れているモデルで、名前は何だったか。苗字は珍しいから思い出せたけれど。
確認の為に呼ぶとオレンジの彼、加茂さんは笑顔を一瞬だけ無くした。だが瞬きをする間に元の笑顔に戻って「そうだよ」と再び微笑んだ。笑顔じゃ無くなったのが何かの見間違いと思うほどに人好きのする愛らしい笑みだった。
「もしかして雑誌読んでくれてるの?嬉しいな」
「なんとなく、いつも買ってて」
「なんとなくかぁ……。でも、凄く嬉しいよ。ありがとう」
先ほどまでの太陽のような明るい笑みではなく、少し困ったような泣き笑いの表情になってしまった加茂さんは、「でも」と言葉を続ける。
「ね、一度だけ。譲彦、って。名前で呼んでくれないかな」
懇願するような絞り出す言葉に否と言えるわけがない。こんなところをファンに見られたら刺される気がするが女性客は他にいないようなのでほっとする。
「ええと、譲彦さん?」
「さんはいらない」
「譲彦?」
「もう一回」
「譲彦」
「……うん」
頷いた加茂さんはなんだか泣いてしまいそうに見えた。