いつも私を苦しくさせる

しばらくするとやっと店員が「誰だよあんな奥にしまった奴は」と文句を言いながら出てきた。絆創膏一枚で済みそうな擦り傷しかつけた覚えは無いのだが救急箱丸々とそれとは別に包帯まで持って来ていたのでだいぶ心配性なのだろう。

「遅くなって悪ぃな。傷、見せてみろ」

綿棒に消毒液を沁み込ませた店員はこちらに手を差し出す。言われた通りに両手を差し出すと「これくらいなら痕も残らねえな」と容赦なくそれを傷口に触れさせた。悲鳴を上げるほどではないが傷口に沁みる。

「そういやオイ、おまえここでのんびりしてていいのか?今日撮影あるんだろ?」
「え?もうそんな時間?!」

加茂さんは時計を確認すると明らかに嫌そうな声を上げた。

「今日は行きたくない」
「あの人はそういうことすると怒るんじゃねえか」
「……」

溜め息を一つついて加茂さんは席から立ち上がる。そして財布から一枚紙幣を取りだすとテーブルに置いた。

「これで美味しいものでも食べて行って。前より味は落ちたけど、美味しいんだよここの店」
「てめぇ余計なこと言うんじゃねえよ」
「じゃあ、いってくるね」

そう言うと止める間も質問をする間も無く加茂さんは行ってしまう。腰が抜けたのは治ったが今は手の擦り傷を店員の人が丁寧に手当てしてくれている為に後を追うことも出来ない。
あれよあれよという間に加茂さんはこちらに軽く手を振って店から出て行ってしまった。扉に付けられたベルがカランカランと鳴ったのが時間切れの警告音にしか聞こえない。

「ああ、あいつはああいう奴だからほっとけ。多分金もあんたより稼いでる」
「いやそうじゃなくて、聞きたいことがあったんだ……」

しゅんと項垂れると店員も申し訳なさそうに頭を掻いた。別に店員を責めているわけではない。元々有耶無耶にされた自分が悪いのだ。
消毒を終えると店員の人は絆創膏を手に取り、悩み始めた。

「正直コレ、つける必要無いと思うんだが。それにおまえも掌だと邪魔だろ?洗い物とかすると剥がれちまうだろうし」
「大丈夫。そもそも大した怪我でもないし」
「だよなあ」

こちらに了解を取ると店員は持っていた絆創膏を救急箱の中に戻した。手当てはこれで終わりだろう。ただの擦り傷で、小石が傷口に入る、ということも無かったようだ。

「ありがとうございました。こんなかすり傷に」
「気にすんな。あんたのせいじゃねえよ」

救急箱を持って立ちあがった店員は何かを思いついたらしく「そうだ」とこちらを見て言った。

「なんか作ってくる。よければ食ってけよ」
「えっ、いや、だって迷惑じゃ?それにこれからランチタイムで混むし……」
「どうせあいつが出て行くときに看板裏返しちまっただろうし」

あいつ、とは加茂さんのことだろうか。流石に稼ぎ時にそんな悪質ないたずらはしないと思うのだが。

「この店、利益度外視でやってんだよ。まぁそれにいざという時はあいつが客寄せになるし問題ねえよ」

どうにか断ろうとするが断り文句が考え付く前に店員はカウンター裏へ移動する。そしてしゃがみ込んだ。

「おい銀狼。起きろ。てめぇいつまで寝てるつもりだ。つーかおまえ匂いで分かるだろ」

がたがたと何かが動く音がしたと思うと、カウンターの影から何かが飛び出した。

「こいつに相手してもらってくれ。すぐ作ってくる」

それだけ言い残して店員は厨房へと下がってしまう。飛び出した何かはちょこまかと移動すると最終的にこちらの足元に落ち着いた。
ただの毛玉にしか見えないその物体は「ワン」と鳴き声を一度上げた後、ご丁寧に靴の上にころりと丸くなった。

「……銀狼」

よく見れば端の方に、おそらく銀狼のものであろう餌入れと水入れが置いてある。
喫茶店で、動物を飼っている。そして強い既視感。

「そういえば、質問できなかったんだったな」
「何の質問だい?」

店員とは違う声が奥の席から突然聞こえ、反射的に身体が震えた。他にも客がいたとは気付かなかったし独り言を聞かれていたのは相当恥ずかしい。何よりも読書や食事の邪魔をしたなら大変申し訳ない。

「ごめんなさい。独り言です」
「随分他人行儀な喋り方だね?まぁ、仕方ないか」

よっ、と。そんな言葉とともにひょっこりと奥の席から男性がひとり現れる。外見の感想を一言で言うのであれば神秘的、に尽きる。金と青の血統書つきの猫を思わせるオッドアイに薄く水色の混じる銀色に光る髪は、明らかに一般人のものではない。

「僕だって本当は大人しくしていようとしたんだけどね。でも彼までギアスを破るじゃないか。僕だけ律儀に守っているなんてバカみたいだろう?」

そして彼はこちらが何か返事をするまで先ほどまで店員が座っていた席に何の言葉も無く、座り込んだ。椅子を引いた時の音で銀狼が足元で動いた気がしたがどいてはくれないらしい。
彼は芝居がかったポーズを取りながら言葉を続ける。片手に抱えている大きなスケッチブックを邪魔ともせずに華麗にポーズを決めているあたり慣れを感じた。

「君が望むなら僕が君の知りたい答えを全て教えてあげてもいい」
「本当に?」
「ああ。僕は嘘はつかない。だけど勿論ただで、とはいかないな」

財布を取り出そうとすると「そうじゃない」と言われた。やはりか。

「……条件は?」
「なぁに簡単さ。僕の出すクイズに正解するだけでいい。そうしたら、そうだね。彼が君に料理を持ってくるまでは君の質問に答えるよ」

それだけ?とは聞かずに頷くと、「いい子だ」と彼は微笑んだ。










「さて、問題。僕の職業はなんでしょう?」

神秘的な男性の出した問題は予想の斜め上の難易度だった。
今日初対面の相手の職業など分かるわけがない。どこが簡単なのか。

「おっと。ヒントは無いよ。簡単だからね」

そう言った後に神秘的な男性は優雅に腕を組んでこちらに微笑んだ。微笑んでいるけれど笑っていない。何かを試しているようだった。

「……」

平日の昼間に喫茶店にスケッチブックを持って長居をしている職業とすれば範囲はだいぶ限られてくる。少なくともサラリーマンではない。だけど多分この男性の求めていることはそんな推理ゲームではないだろう。彼は私の過去を知っていて、だからこそ自分を思い出してみろ、と。そう言っているのだ。
じっと男性の顔を見つめる。見覚えがあるかと言われればある。けれど思い出そうと思っても思い出せない。だけどきっと私はこの人を知っている。

「わからない?ならあてずっぽうで言ってみればいいんじゃないかな?もしかしたらそのうち正解するかもしれないよ」
「いいや、そんなことしない」

目を閉じて男性の姿を思い浮かべる。目立つ外見で、独特な感性。変な人。だけど、面倒見のいい一面もあり、それで。

「……分かった」
「へぇ?」


「ファッションデザイナー」



そう答えると彼はこちらを祝福するように拍手をした。必死に頭を使ったせいか嫌な汗をかいている。

「本当に一発なんてね!凄いな。本当に覚えて無いんだろう?それとも実はスケッチブックから連想でもしたかい?」
「しようと思ったけど、やめた」
「まさか記憶が戻ったとか?」
「いいや。あなたの名前も分からない」
「だよねぇ」

返答が満足のいくものだったのか、彼は非常に面白そうだった。

「名前も分からないけど、ただ、なんとなく、凄く」
「凄く?」
「堕天使とか、そういうのが好きそうだなって」

その言葉を聞いた男性はついに腹を抱えて笑いだした。自分でもなんでそんな答えを出したのか分からないがそこまで笑うことだろうか。

「ああ、そうだね。凄く好きだ。高潔で、それでいて罪深い。僕にぴったりだろう?」

一通り笑い終えた彼はそのなんとなくが当たっていたと御墨付きをくれた。

「約束だ。好きなことを聞くといい。ただし僕が知らないことは答えられないけどね」

またうっかり流されるところだったと首を横に振って彼に向き直る。

「まず名前を知りたい。名前を呼べないのは不便だ」
「黒鐘惣七。他には?」

「私の過去を知っている?」
「知っているよ。なにせ僕は君と一緒に行動していたからね」

この人は私の過去を知っている。自然と拳を痛いくらいに握りしめていた。嫌な汗も背中と掌にじわりと浮かんできているが、最大のチャンスがやってきたのだから向き合わなければならない。

「加茂さんがさっき忍者みたいな格好をして妖魔と戦ってたんだけど、何か知ってる?」

先ほど赤い目の人に誤魔化された疑問を黒鐘さんに問う。あの時確かに私は装束を着た二人を見たはずだ。それは幻覚ではない。

「……それ、君が見たのかい?」
「はい」
「ああいや、先に質問に答える契約だったね。答えは譲彦が忍だからだよ」
「忍って……じゃあやっぱり幻覚じゃなかったんだ」

非日常のような出来事は幻などではなく、自分はありのままの事実を見ていたらしい。一先ず幻覚や頭がおかしいという類のものではなくほっとする。

「おまえが幻覚を見ているだけだって言われてしまって、不安だったんだ。ありがとう」
「誰が君にそれを言ったのか予想がつくし、何をしたのかも想像出来るよ」
「あとは、そうだな。ここって凄く既視感があるし落ち着くんだけど、もしかして私ってここで働いていたことがある?」
「そうだね。働いていたというより店長代理みたいなものだったよ。今もここ、店長が行方不明でね」
「行方不明!?」
「おい惣七、テメェ何余計なこと喋ってんだ」

一体なんで。それを聞こうとしたときにドスの聞いた声が厨房の方から聞こえてきた。手には料理の盛られた皿が二、三枚乗せられたトレイがある。

「皆で話し合ったろうが。それをひとりでぺらぺらと……」
「そもそも律儀に守っていたのなんて僕とキミくらいじゃない?他の皆はあっさりと接触してたし、君も君で嬉しそうに食事の支度をする始末。なによりも本人が勘付いてるんだから無意味だと思うんだけど」

愁と呼ばれた男性は私の前に料理の皿を並べ始める。サンドイッチにクラムチャウダー、そしてクリスマスを意識したデザートのブッシュドノエル。それに喫茶店らしく飲み物はコーヒー。

「もう手遅れだよ、彼女。蓋をするのも限界だ」
「うるせえよ。おまえは何も注文しねえなら帰れ。今日はもう店じまいだ」
「はぁやれやれ。乱暴だなあ」

そんなことを欠片も思っていないような声色で黒鐘さんは言う。完全にからかっているのだ。それを分かっているのか愁さん?も相手にはしていないように見えた。

「でも確かにそろそろ行かなきゃならないんだよねぇ。どうせ覚えて無いだろうってたかをくくったのが不味かったね」

オウシュウの方のイベントに顔出さなきゃいけないからなぁと黒鐘さんはぼやく。そうしてからゆったりとした動きで椅子から立ち上がりこちらの頭を一度撫でると甘く微笑んだ。

「僕は君の一度言いだした馬鹿みたいなことを本当にやり遂げるところは好きなんだ。さっきも有言実行した時は本当に愉快な気持だったよ。だから……もうひとつだけ。やり遂げて欲しいな」


マスター。彼は私をそう呼んで去っていった。一般的な他者への呼び方ではないそれは、彼の口から出た途端それ以上ないような呼ばれ方になっていた。

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