10
エミリオの誕生日は、全ての業務を終えた後に、食堂でマリアンとケーキの蝋燭を吹き消すだけの祝いだった。
幼い頃から誕生祝いなどしてもらったことなどなかったが、ここ数年は自分でもその日のことを忘れがちなほどであった。
それを、この邸で唯一マリアンだけは忘れずにこっそりと祝ってくれるのだ。彼女が邸に来た、10の歳からまだ何回かだけれど。
「あれ?このケーキ、いつものとデコレーションが違うね?」
「そうなの。今日買い出しに行った時に偶然新しいお店を見つけて…新しい、って言っても昔からあるみたい。私は初めて知ったのだけれど」
「ふうん…どこにあったの?」
「街の商店街を抜ける道から少し逸れた、路地裏の小さなお店よ。白い壁が綺麗な」
白い壁の菓子屋。
エミリオの脳裏に、昔の思い出がよみがえった。
「…白い器に入った、プリンの店だ」
「あら、知っていたの?」
「うん…前に、姉さんと出かけた帰りにね」
「カリナ様と…」
こっそりとため息を吐く。
エミリオはここ数年、カリナと言葉を交わしていなかった。邸で彼女の姿を見かけなくなったのだ。
レンブラントに訊いたところ、オベロン社の研究所でレンズ技術開発をするのに忙しくてこちらには戻って来ないのだと言ったが、それが本当のことかはわからない。
ともすればカリナなど幼い期待が見せた夢まぼろしだったのではないかとすら思ってしまう。
エミリオの世話係になったマリアンが側にいてくれたからエミリオの寂しさは和らいだが、彼女と入れ替わるようにして消えてしまったカリナのことを度々思い起こさずにはいられなかった。
初めてだったのだ。エミリオや――シャルティエまでも気遣ってくれた人なんて。
「そういえば、この間カリナ様のお部屋を掃除している時に…」
「ん?」
「偶然お会いしたのよ。レンブラント殿にご用事があって邸に寄ったのですって」
「…そうなんだ」
「その時にね、近々お邸に戻っていらっしゃるって聞いたの。だから今、メイド何人かでお嬢様のお部屋を整えているのよ」
マリアンはそう言って、よかったわね、と微笑んだ。
その心からの笑みに、エミリオはあいまいなものしか返すことができなかった。喜んでいいのかわからなかったからだ。
もう何年も会っていない、姉であるかもしれない人にどうやって接すればいいのだろう。
エミリオはあの頃から変わったつもりはないが、カリナが自分の知らないような人になっていたらどうしよう。
そう、彼女には自分よりも親しい人物だっていたはずだ。もしかしたらエミリオのことなど忘れているかもしれない。
考えれば考えるほど、あれだけ大切な思い出が遠ざかっていく気がした。
もう、会いたくないのかもしれない。会って決定的な何かを突きつけられてしまったらと思うと怖くてたまらない。
不安な気持ちをマリアンに見せたくなくて、紅茶で喉の奥に押し込んだ。
蜂蜜の入っているはずのそれは、なんだか苦いような気さえした。
2016.08.09投稿
2017.10.21改稿
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