09

「……シャル、僕はヒューゴ様に孝行してると思うか…?」


 新しく来た使用人がとても親孝行だと評したシャルティエに、エミリオはそう問いかけた。
 認められたいと望み、より一層の努力をする彼の切実な願いは未だ叶えられていない。


『それにしても、あの子本当に肖像画に似てましたね』
「……」
『あっ!』
「なんだ、」
『カリナさんならクリス様のこと知ってるかもしれませんよ!坊っちゃんとちょっと歳も離れてるみたいですし』
「…姉さん…そんなこと、答えてくれるだろうか」


 そんなことを訊いてみて、どうしようもなく甘えたがりだとか思われたら?また一人前だと認められるのには遠くなってしまう。
 逡巡するエミリオに、件の新人が話しかけてきた。


「マリアンです、お見知りおきを!何か私にもお役目をお申し付けくださいますか?」


 明るい笑顔に、まっすぐエミリオを見つめる優しげな瞳。
 彼女と向き合うと、眩しいような、気付いてはいけない感情が胸から溢れてきそうな気がして苦しかった。
 肖像画に似ているからだけではない。そんな表情で彼に接してきた使用人は今まで誰もいなかった。


「あんな態度、最初のうちだけだ、きっと」


 つい突き放すような態度をとってしまって、そう自分に言い訳をする。彼女もまたしばらくすればガラスの向こうの人になるのだ。


「あ、姉さん」


 使用人たちに指示を出し終え、剣の鍛錬に庭へ向かおうとすると、出かける寸前だったのだろうか、オベロン社の制服に身を包んだカリナと扉の前で鉢合わせた。
 すかさずシャルティエがエミリオを急かす。


『坊っちゃん、ほら訊いてみましょうよ』
「いいよ、別に」
『この間のことも一緒に…』
「――何?」


 シャルティエとひそひそと話しているのが聞こえたのか、顔を正面へ向けたまま彼女が尋ねた。


「…っ、その」
「早く言いなさい。時間がない」
「……いえ。あの、姉さんに借りたい本があって。天地戦争時代についての本をお持ちだと聞きました」


 やはり訊ねる勇気などなくて、誤魔化すように明るい声を出す。カリナがそんな本を持っているかどうかも誰かから聞いたこともなかった。
 彼女はちら、とエミリオに視線を移す。


「天地戦争時代のことなら、ソーディアンに聞いた方が早いのではないの」
「!で、でも。シャルはオリジナルの知っていることしか知らないから」


 訝しげな目線がこちらへ向いている。
 あわてて変えた話題だと気づかれてしまっただろうか。
 それでも、彼女は仕方ないとばかりにため息を吐いた。


「帰って来たらあなたの部屋に本を持って行くから」


 待っていなさいとそれだけ告げて、カリナは邸を出て行った。
 ぽつりとひとり庭に取り残されたまま、その背を見送る。


『坊っちゃん、何で訊かなかったんです?母上のこと』
「そんなこと…知ったところでどうなるんだ?新しく来たメイドが母上に似ているかだなんて」
『それは…、』
「それに、もし」


 姉さんが教えてくれなかったら。くだらないと言われてしまったら。
 そうしたら、ほんの少し芽生えたかもしれない家族のような絆も見失ってしまうかもしれない。
 臆病な心が訊ねるのを拒むのだ。


 日が暮れてからも机に向かっていたエミリオの部屋にカリナが訪れたのは、ずいぶん遅くなってからだった。
 数冊の重たげな本を差し出し、読み終わったらレンブラント爺に預けておくようにと言って早々に退出した。まだ仕事が残っているのだろうか。


『へえー。こんな風に伝わっていたんですね』


 特に理由もなく借りた本を、パラパラとめくってみる。エミリオよりもシャルティエの方が興味深げにしていた。


「歴史の本なんて読んで、姉さんの専門はレンズ製品の開発だろう」
『天地戦争時代がレンズ技術最盛期ですからね。かのハロルド=ベルセリオス博士もいましたし』
「それは知ってるけど。歴史書を読んだって技術が学べるわけではないだろう」


 何度も読んだのか端がよれてしまっている本は、真ん中あたりでパカリと水平に開いた。糊がとれかけたページが危うい。
 と、勢いよく開いた拍子に何かが机の上に落ちる。


「これは…誰の髪だ?」


 金色に光る長めの髪。
 けれど、エミリオの知る限りカリナの本に開いた状態で触れる人物などいそうにない。メイドが片付けるにしたって、本を開きっぱなしで置いておくなんてカリナはしないだろう。
 ならば、いったい誰がこの本を読んでいたというのか?
 エミリオの知らないかもしれない誰かがカリナから本を借りて読んだのだろうか。そんな、親しい人物がいるということなのか?
 落ち着かない気持ちがどんどん心の中に広がっていく。
 あの、風邪をひいた時にエミリオにしたように、優しく他の誰かに触れるのだろうか。その人物はカリナの微笑みをしっているのだろうか。
 彼女のことなんてエミリオは何も知らないのだ。


「…もう、寝よう」


 そう言って本を閉じると、シャルティエから小さく不満の声があがった。
 けれどそれに応える気力もなくベッドへ沈み込む。


『また拗ねてるんですか、坊っちゃん』
「うるさい」


 声を遮断するように枕に顔を埋めて布団を被る。
 まどろみの中でまた誰かの声が聞こえた気がして、眉根を寄せて縮こまった。






2016.08.09投稿
2017.10.17改稿


 
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